リートリンの覚書

日本の神様71・磯城津彦玉手看天皇・大日本彦耜友天皇・観松彦香殖稲天皇


磯城津彦玉手看天皇
(しきつひこたまてみのすめらみこと)


安寧(あんねい)天皇
日本の第三代天皇
綏靖天皇の嫡子
母は、
事代主神の次女・
五十鈴依媛(いすずよりひめ)命。

・別名
師木津日子玉手見命
(しきつひこたまてみのみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“天皇の伯母である后は、磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)をお生みになりました。”

綏靖天皇と五十鈴依媛の間に生まれました。
都は片塩、浮孔の宮。


陵・霊廟

陵の名は
畝傍山西南御陰井上陵
(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)


主な神社

安寧天皇神社(奈良県)
皇居内・皇霊殿(東京都)


大日本彦耜友天皇
(おおやまとひこすきとものすめらみこと)


懿徳(いとく)天皇
日本の第四代天皇
安寧(あんねい)天皇の第二子。

・別名
大倭日子鉏友命
(おおやまとひこすきとものみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“二人皇子が生まれていました。第一子は息石耳命(おきそみみのみこと)といい、第二子は大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)です。”

安寧天皇の第二皇子です。
母は鴨王(事代主神の孫)
娘・渟名底仲媛命です。

都は軽、曲峡(まがりお)の宮。


陵・霊廟

陵の名は
畝傍山美真美真子鑯沙溪上陵
(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)

主な神社

皇居内・皇霊殿(東京都)


観松彦香殖稲天皇
(みまつひこかえしね)


孝昭(こうしょう)天皇
日本の第五代天皇

・別名
御真津日子訶恵志泥命
(みまつひこかえしねのみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“后は、観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしね)を生みました。“

大日本彦耜友天皇
(おおやまとひこすきとも・懿徳)の嫡子です。
母は皇后の
天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)

都は掖上(わきのかみ)、池心(いけごころ)の宮。


陵・霊廟

陵の名は掖上博多山上陵
(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)


主な神社

孝昭天皇神社(孝昭宮)(奈良県)
皇居内・皇霊殿(東京都)


感想

今日ご紹介の方々。
日本書紀では、
名前、両親、妃、子ども、都などの
説明はあるのですが、
詳しい活躍は記述されていません。

それゆえ、


欠史八代と言われ、

現代の歴史学では

実在せず後世になって創作されたと

考えられているのでしょう。


ですが、

自分としては、

実在していたと思っています。


創作にしては、

名前、家柄、都等こと細かく書いてありますし。


また、

昨日ご紹介した


神八井耳命のように


実在したからこそ、

子孫に語り継がれ、

後裔氏族の方々が代々、

彼を祀ってきたのだと思います。


なにより、

日本書紀は諸外国に向けて

書かれたものと言われています。


他国から

ツッコミを入れられるような事を

書くはずないと思うのです。


ですから、

実在説に賛成です。


まぁ、素人意見ですがね😅


皆さんはどう思いますか?


さて、今日はこれで。


明日も日本の神様シリーズ続きます。


最後まで読んで頂き

ありがとうございました。





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