日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 二十三
・任那王・助けを乞う
夏四月七日、
任那王、己能末多干岐(このまたかんき)が
来朝しました。
(己能末多という者は、阿利斯等(ありしと)だと思われます)
大伴大連金村
(おおとものおおむらじかなむら)
に話して、
「海表(わたのほか)の
諸蕃(となりのくに)は、
胎中天皇が
内官家(うちつみやけ)を置いたときから、
本土を棄てず、
因ってその地を封じたのは、
まことに理由があるからでしょう。
今、新羅は、
元々の賜封(しふう)の限に違い、
たびたび、
境を越えて侵してきます。
請います。
天皇に奏して、
臣の国を救助してほしい」
といいました。
大伴大連は、
乞われたまま奏聞(そうぶん)しました。
・海表(わたのほか)
海外
・封
領土をあたえて諸侯とすること
・賜封(しふう)
政治面・軍事面で功績のあった者などに別途で与えられた封戸
・奏聞(そうぶん)
天子に申しあげること。奏上
(感想)
継体天皇23年夏4月7日、
任那王、己能末多干岐が来朝しました。
大伴大連金村に話して、
「海外の諸蕃(となりのくに)は、
応神天皇が
内官家(うちつみやけ)を置いたときから、
本土を棄てず、
その地をあたえたのは、
まことに理由があるからでしょう。
今、
新羅は元々の与えられた領土の
定められた範囲に違反して、
たびたび、
国境を越えて侵してきます。
請います。
天皇に奏して、
臣の国を救助してほしい」
といいました。
大伴大連は、
乞われたまま奏上しました。
今回の騒動の一番の被害者は、
任那王ではないでしょうか。
昔、
与えられた領土を勝手に分割され、
百済に奪われ。
さらに、港まで奪われた。
そりゃ、
それを許した日本を
恨まずにはいられないでしょう。
対抗しようと新羅と手を組んだら、
また、新羅に裏切られて更に領土を奪われた。
まさに、
踏んだり蹴ったり。
日本ももう少し思慮していたら
任那を失わずに済んだのではないかと。
失策ですね。
さて、今後はいかに。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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