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リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 六 ・難波を断罪する ・蘇我馬子大臣を吉備に派遣する



日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 六

・難波を断罪する
・蘇我馬子大臣を吉備に派遣する



三年夏五月五日、
高麗の使人が、
越海の岸に泊まりました。

秋七月二十日、
高麗の使人は、
京に入り奏して、

「臣等は、去年、
送使(おくるつかい)にしたがって、
国に帰還しました。

臣等が先に、
臣の蕃(くに)に到りました。

臣の蕃は、
即、使人の礼に准じて、

大嶋首磐日(おおしまのおびといわい)等を
礼饗(れいきょう)しました。

高麗国の王は、
別に厚い礼で礼しました。

やがて、
送使の船は、
今になっても到りません。

故に、更に、
謹んで使人、
併せて磐日等を遣わして、
臣の使が来ない意を聞きたいのです」
といいました。

天皇は聞いて、

即、
難波(なにわ)の罪をせめて、
数えあげて、

「朝廷を欺誑(ごおう)したのが、
一である。

隣の使いを溺殺(ふしづけ)したのが、
二である。

この大罪をもって、
放ち還すことはできぬ」
といいました。

その罪を断じました。

冬十月九日、
蘇我馬子大臣(そがのうまこおおおみ)
吉備の国に遣わし、

白猪屯倉(しらいのみやけ)と田部とを
増益(ぞうえき)しました。

即、
田部の名籍(なのふみた)を、
白猪史(しらいのふびと)
膽津(いつ)に授けました。

十一日、
船史(ふねのふびと)、
王辰爾(おうじんに)の弟、
牛(うし)に詔して、

姓を賜わり
津史(つのふひと)としました。

十一月、
新羅が遣使して
調(みつき)を進(たてまつ)りました。



・礼饗(れいきょう)
敬意をもって賓客をもてなす
・欺誑(ごおう)
あざむきたぶらかすこと
・溺殺(ふしづけ)
溺れさせ殺すこと
・増益(ぞうえき)
増やし加えること



(感想)


敏達天皇3年夏5月5日、
高麗の使者が、
越海の岸に停泊しました。

秋7月20日、
高麗の使者は、
京に入り奏して、

「私どもは、去年、
送使に従って、
国に帰還しました。

私どもが先に、
私の国に到着しました。

私の国は、
すぐに、
使者の礼に准じて、

大島首磐日らを
敬意をもってもてなしました。

高麗国の王は、
別に厚い礼で礼遇しました。

しばらく経ちましたが、
送使の船は、
今になっても到着しません。

ですから更に、
謹んで使者、
併せて磐日らを派遣して、

私の使いが
到着しない理由を聞きたいのです」
といいました。

天皇は聞いて、
すぐに、
難波の罪を責め、

罪を数えあげて、
「朝廷をあざむきたぶらかしたのが、
その一である。

隣の使いを溺れさせ殺したのが、
その二である。

この大罪では、
許し還すことはできない」
といいました。

その罪を断じました。

…高麗の使者は、
この裁きで納得したのでしょうか?

なんか…
二人も殺したのに、
あまいような

冬10月9日、
蘇我馬子大臣を吉備国に派遣し、
白猪屯倉と田部とを増やし加えました。

すぐに、
田部の戸籍を、
白猪史膽津に授けました。

11日、
船史、王辰爾の
牛に詔して、
姓を与え津史としました。

11月、
新羅が遣使して
調(みつき)を献上しました。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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