日本書紀 巻第二十四
天豊財重日足姫天皇 二十六
・中大兄の謀
・乙巳の変 一
中大兄と中臣鎌子連等、蘇我入鹿を伐つ1
六月八日、
中大兄は、
密かに
倉山田麻呂臣
(くらやまだのまろのおみ)に語って、
「三韓の調(みつき)を
進(たてまつ)る日に、
必ず卿にその表(ふみ)を
読唱(どくしょう)させる」
といいました。
遂に入鹿(いるか)を
斬ろうとおもう謀(はかりごと)を
陳(の)べました。
麻呂臣は許し奉りました。
十二日、
天皇は大極殿にいました。
古人大兄が侍っていました。
中臣鎌子連
(なかとみのかまこのむらじ)は、
蘇我入鹿臣の人となりが疑り深く、
晝夜(ちゅうや)剣を持っているのを
知っていました。
俳優(わざひと)に教えて、
方便を使わせて、
解かせました。
入鹿臣は、
咲(わら)って剣を解き、
入って座(しきい)に侍りました。
倉山田麻呂臣は、
進み出て三韓の表文を読唱しました。
ここにおいて、
中大兄は、
衞門府(えもんふ)を戒め、
一時、
倶(とも)に十二通門をとざして、
往来を差し止め、
衞門府を一所に召し集め、
給禄を給しようとしました。
時に、
中大兄は、卽ち、
自ら長槍を執り、
殿側に隠(かく)れました。
中臣鎌子連等は、
弓矢を持ち、
助け衛(まも)りました。
海犬養連勝麻呂
(あまのいぬかいのむらじかつまろ)に、
箱の中の両剣を、
佐伯連子麻呂
(さえきのむらじこまろ)と
葛城稚犬養連網田
(かづらきのわかいぬかいのむあらじあみた)に
授けさせて、
「努力努力(ゆめゆめ)、
急ぎ、須(すべから)く、
まさに斬るべきである。」
といいました。
子麻呂等は、
飯を水で送りこみましたが、
恐れて吐き出してしまいました。
中臣鎌子連は、
叱咤激励しました。
・倉山田麻呂臣(くらやまだのまろのおみ)
蘇我倉山田麻呂臣
・入鹿(いるか)
蘇我入鹿
・晝夜(ちゅうや)
昼と夜
・俳優(わざひと)
道化
・衞門府(えもんふ)
宮城諸門の警備、部署の巡検、行幸の先駆けなどにあたった
(感想)
(皇極天皇4年)
6月8日、
中大兄は、
密かに蘇我倉山田麻呂臣に語って、
「三韓の調(みつき)を献上する日に、
必ず卿にその表(ふみ)を
読唱させる」
といいました。
遂に、
蘇我入鹿を
斬ろうと思う計画を述べました。
麻呂臣は許諾しました。
12日、
天皇は大極殿にいて、
古人大兄がお側で仕えました。
中臣鎌子連は、
蘇我入鹿臣の人となりが疑り深く、
昼夜、剣を持っているのを知っていました。
そこで、
俳優(わざひと)に教えて、
方便を使わせて、
剣を解かせました。
入鹿臣は、
笑って剣を解き、
入って座(しきい)で、お側仕えしました。
倉山田麻呂臣は、
進み出て三韓の表文を読唱しました。
この時、
中大兄は、
衛門府を戒め、
同時に十二通門をとざし、
往来を差し止め、
衛門府を一所に召し集め、
給禄を与えようとしました。
この時、
中大兄は、
すぐに、自ら長槍をとり、
殿側に隠れました。
中臣鎌子連らは、
弓矢を持ち、
助け守りました。
海犬養連勝麻呂に、
箱の中の両剣を
佐伯連子麻呂と
葛城稚犬養連網田に授けさせて、
「努めて、
急ぎ、必ず斬るべきだ!」
といいました。
子麻呂らは、
飯を水で送りこみましたが、
恐れて吐き出してしまいました。
中臣鎌子連は、
叱咤激励しました。
教科書で初めて乙巳の変を読んだ、
その時の感想は。
あー、
この中大兄皇子は、
皇位継承が低く、
天皇になれないから、
天皇になりたくて、
時の権利者を殺して
天皇になろうとしたのね。
、と思っていました。
中臣鎌子も同様。
身分が低くて、
それが嫌で下克上したのね。
なんて思っていましたが。
まぁ、
中臣鎌子に関しては、
そのまま下克上ですがね。
しかし、
中大兄皇子に関しては、
日本書紀を読んで
初めて皇太子であることを知りました。
(ははは、無知ですいません。学生時代は、歴史の授業が大嫌いで、疑問に思っても、調べようとも思わなかったのです)
そこで新たな疑問が沸き起こる。
なんで、
中大兄皇子。
何もしなくても
普通に次期天皇になれるのに
何で、
武力行使に至ったの?
謎??
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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