日本書紀 巻第十三
雄朝津間稚子宿禰天皇 五
・玉田宿禰の罪
・耳原陵
五年秋七月十四日、
地震ありました。
これより先に、
葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)の孫、
玉田宿禰(たまだのすくね)に命じて、
瑞歯別天皇(みつはわけのすめらみこと)の
殯(もがり)を主(つかさど)らせました。
則ち、地震があった夕に、
尾張連吾襲(おわりのむらじのあそ)を
遣わして、
殯宮の消息(あるかたち)を
察(み)させました。
時に諸人は悉く聚(あつ)まり、
闕(か)けているところもありませんでした。
唯、
玉田宿禰だけがいませんでした。
吾襲は、
「殯宮大夫(もがりのみやのかみ)である
玉田宿禰が、
殯の所に見えません」
と奏言しました。
則ち、また吾襲を葛城に遣わして、
玉田宿禰を視(み)させました。
この日、
玉田宿禰は男女を集めて、
酒宴をしていました。
吾襲は状具(ことのかたち)を上げて、
玉田宿禰に告げました。
宿禰は、則ち、
事が表沙汰になることを畏れて、
馬一匹を吾襲に授けて、
幣礼(へいれい)としました。
乃ち、
密かに吾襲を遮(さえぎ)り、
道路で殺しました。
即ち、
武内宿禰の墓城に逃げ隠れました。
天皇はこれを聞いて、
玉田宿禰を喚(よ)びましたが、
玉田宿禰は疑って、
甲(よろい)を襖(ころも)の中に
服(き)て、
参り赴きました。
甲の端が衣の中から出ていました。
天皇は分明(あきらか)に
その状が知りたいと欲(おも)い、
乃ち、
小墾田(おはりだ)の采女に
令(いいつけ)て、
酒を玉田宿禰に与えました。
ここに、
采女は分明(あきらか)に
衣の中に鎧があるのを瞻(み)て、
具(つぶさ)に天皇に申しあげました。
天皇は兵を設けて殺そうとしました。
玉田宿禰は、
乃ち、密かに逃げ出して、
家に匿(かく)れました。
天皇は、さらに卒(いくさ)を発して、
玉田の家を囲み、
捕えて、乃ち誅(ころ)しました。
冬十一月十一日、
瑞歯別天皇を耳原陵に葬りました。
・殯(もがり)
本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること。喪の一種とみられ,その建物を殯宮(もがりのみや)という。古代皇室の葬送儀礼では,陵墓ができるまで続けられ,その間,高官たちが次々に遺体に向かって誄(しのびごと)をたてまつった。
本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること。喪の一種とみられ,その建物を殯宮(もがりのみや)という。古代皇室の葬送儀礼では,陵墓ができるまで続けられ,その間,高官たちが次々に遺体に向かって誄(しのびごと)をたてまつった。
・闕(か)
欠ける、足りない、除く
・幣礼(へいれい)
幣物を贈って礼をあつくすること
(感想)
允恭天皇5年秋7月14日、
地震ありました。
日本書紀で初めて地震が記されましたね。
状況を視察させるということは、
大きな地震だったということでしょう。
これより以前、
葛城襲津彦の孫の玉田宿禰に命じて、
反正天皇の殯(もがり)を
つかさどらせました。
すぐに、
地震があった夕に、
尾張連吾襲(あそ)を遣わして、
殯宮の状況を視察させました。
この時、
諸人は悉く集まり、
欠けているところもありませんでした。
被害がなくてよかったです。
ただ、
玉田宿禰だけがいませんでした。
吾襲は、
「殯宮大夫である玉田宿禰が、
殯の所に見えません」
と奏言しました。
則ち、また吾襲を葛城に遣わして、
玉田宿禰を視察させました。
この日、
玉田宿禰は男女を集めて、
酒宴をしていました。
コラ、
仕事サボってんじゃね。
本来なら葬るまでの間、
高官は遺体に向かって
誄(しのびごと)をしなければならないのに。
なに考えてんだ、玉田宿禰。
吾襲は状況を上げて、
玉田宿禰に告げました。
宿祢は、事が表沙汰になることを畏れて、
馬一匹を吾襲に授けて、
幣礼としました。
弊礼とは…
ワイロとは、なんか汚い。
そして密かに、
吾襲の帰り道を遮り、
道路で殺しました。
しかも、待ち伏せて殺害とは…
ひでーやつですね。
そして、
武内宿禰の墓城に逃げ隠れました。
こんなことしでかして、
御先祖様の墓に逃げ込むとは…
最悪だな
天皇はこれを聞いて、
玉田宿禰をよびましたが、
玉田宿禰は天皇を疑って、
鎧を衣の中に着て、
参内しました。
鎧の端が衣の中から出ていました。
天皇ははっきりとした状況を知りたいと思い、
そこで、
小墾田(おわりだ)の采女に命令して、
酒を玉田宿禰に酒を与えました。
ここに、
采女は明らかに
衣の中に鎧を着ているのを見つけ、
つぶさに天皇に申しあげました。
天皇は兵を設けて殺そうとしました。
玉田宿禰は、
すぐに、密かに逃げ出して、
家に隠れました。
天皇は、
さらに兵を増やして、
玉田の家を囲み、
捕えて、すぐに誅(ころ)しました。
冬11月11日、
反正天皇を耳原陵に葬りました。
仕事はサボるは、
同僚を殺すは。
天皇の母親は、
葛城襲津彦の娘、
磐之媛命(いわのひめのみこと)。
天皇の従兄弟だからと色々
甘くみていたんですかね。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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