日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 十五
・文貴将軍等、帰国
・物部連等、伴跛に伐たれ逃遁する
九年春二月四日、
百済の使者、
文貴(もんき)将軍等が帰国を請いました。
そこで勅して、
物部連(名を欠く)を副えて遣わし、
帰らせました。
(百済本記は云う、物部至至連(もののべのちちむらじ)と)
この月、
沙都島(さとのせま)に到って、
人づてに、
伴跛人が恨を懐にいだき、
毒(あしきこと)をふくみ、
強をたのみに、
虐をほしいままにしていると聞きました。
故に、
物部連は、
舟師(ふないくさ)、
五百を率いて、
直ぐに帯沙江(たさのえ)に詣でました。
文貴将軍は、
新羅から去りました。
夏四月、
物部連が、
帯沙江に停まること六日。
伴跛が、
師(いくさ)を興して伐(う)ちにきました。
衣裳(きもの)を剥ぎ取り、
もちものを却掠(かすめと)り、
ことごとく帷幕(きぬまく)を焼きました。
物部連等は怖畏(ふい)し、
逃遁(とんとう)しました。
わずかな命に身を置き、
汶慕羅(もんもら)に留まりました。
(伴跛羅は島名です。)
・沙都嶋(さとのせま)
巨済島
・舟師(ふないくさ)
軍船
・帯沙江(たさのえ)
蟾津江
・師(いくさ)
軍隊
・帷幕(きぬまく)
=いばく・本陣で、作戦を図るところ。高等司令部
・怖畏(ふい)
おそれおののくこと
・逃遁(とんとう)
逃げ去って免れる。逃げてその場を去る
(感想)
継体天皇9年2月4日、
百済の使者、文貴将軍等が
帰国したいと請いました。
そこで勅して、
物部連を副えて派遣し、
帰国させました。
この月、
沙都島に到着しましたが、
人づてに、
伴跛(はへ)人は恨を懐にいだき、
悪しき事を含み、
強いことをたのみに、
残虐を欲しいままにしていると聞きました。
故に、
物部連は、軍船、五百艘を率いて、
直ぐに帯沙江に向かいました。
文貴将軍は、
新羅から去りました。
夏4月、
物部連が、帯沙江に停まること六日。
伴跛が、
軍隊を興して攻めてきました。
衣裳(きもの)を剥ぎ取り、
持ち物を奪い取り、
ことごとく
物部陣営の帷幕を焼きました。
物部連等はおそれおののき、
逃げてその場を去りました。
命からがら、
汶慕羅に留まりました。
伴跛人…
怖
明日に続きます。
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