リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十二 ・飛鳥寺の僧の福楊、罪に連坐する




日本書紀 巻第二十九 
天命開別天皇 六十二

・飛鳥寺の僧の福楊、罪に連坐する



十一日、
三野王(みののおおきみ)等が、
信濃国の図を進めました。

十六日、
宮中で斎を設けました。

よってもって、
罪のある舍人等を赦しました。

二十四日、
飛鳥寺の僧の福楊(ふくよう)が坐して、
入獄(にゅうごく)しました。

二十九日、
僧の福楊は、
自ら頸を刺して死にました。

五月十四日、
自ら化した百濟の僧尼、
及び俗の男女、
あわせて二十三人を、
皆、武藏国に安置しました。

二十八日、
三輪引田君難波麻呂
(みわのひけたのきみなにわまろ)を
大使として

桑原連人足
(くわはらのむらじひとたり)を
小使として、
高麗に遣わしました。

六月四日、
雩(あまひき)をしました。

秋七月四日、
廣瀬に幸しました。

九日、
廣瀬、龍田の神を祭りました。

二十三日、
彗星が西北に出ました。
長さは一丈餘。



・入獄(にゅうごく)
牢屋(ろうや)・刑務所に入れられること
・雩(あまひき)
日でりのとき、降雨を神仏に祈願すること



(感想)

(天武天皇13年4月)

11日、
三野王らが、
信濃国の地図を献上しました。

16日、
宮中で斎を設けました。

よって、
罪を犯した舍人たちを赦しました。

24日、
飛鳥寺の僧の福楊が、
罪に連坐して、
獄に入れられました。

・連坐(れんざ)
刑罰の一種で、罪を犯した本人だけでなく、その家族などに刑罰を及ぼすこと

29日、
僧の福楊は、
自ら首を刺して自死しました。

5月14日、
自ら帰化し来日した、
百済の僧尼、
および俗人の男女、
あわせて23人を、

皆、武蔵国に安置しました。

28日、
三輪引田君難波麻呂を大使として、
桑原連人足を小使として、
高麗に派遣しました。

6月4日、
雨乞いをしました。

秋7月4日、
広瀬に行幸しました。

9日、
広瀬、龍田の神を祭りました。

23日、
彗星が西北に出現しました。
長さは一丈余り。

明日に続きます。

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ありがとうございました。





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