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リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五 ・葬礼



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 五

・葬礼



元年春正月一日、
皇太子が、公卿、百寮人等を率いて、
殯宮(もがりのみや)にゆき、
慟哭(どうこく)をしました。

納言の布勢朝臣御主人
(ふせのあそみみぬし)が、
誄(しのびごと)をしました。
禮です。

誄をおえて、
衆庶(しゅうしょ)が
發哀(はつあい)をしました。

次に、梵衆(ぼんしゅう)が發哀しました。

ここにおいて、
奉膳(ぶうぜん)の紀紀朝臣真人
(きのあそみまひと)等が
奠(みけ)を奉りました。

奠がおわり、
膳部と采女等が發哀をしました。
樂官が樂(うたまい)を奏しました。

五日、
皇太子が公卿、百寮人等を率いて、
殯宮にゆき慟哭しました。
梵衆が随い發哀しました。

十五日、
京師(みやこ)で、
年が八十以上、
及び 重病人、貧しく、
自ら生きていけない者に、

絁(ふとぎぬ)、綿を賜りましたが、
各々差がありました。

十九日、
直廣肆の田中朝臣法麻呂
(たなかあそみのりまろ)と

追大貳の守君苅田
(もりのきみかりた)等を新羅に使わせ、
天皇の喪を告げさせました。



・慟哭(どうこく)
悲しみに耐えきれないで大声をあげて泣くこと。号泣すること
・誄(しのびごと)
死者を慕い、その霊にむかって生前の功徳などを述べることば。死者に対する哀悼の辞。しぬびごと。るい。るいし
・衆庶(しゅうしょ)
一般の人々。庶民
・發哀(はつあい)
死者を弔うために泣き声をあげる礼の一つ
・梵衆(ぼんしゅう)
僧衆
・奉膳(ぶうぜん)
天皇に供する物の食事や皇后の食事の調理をつかさどる



(感想)

持統天皇元年春正月1日、
皇太子が、公卿、百寮人らを率いて、
殯宮に行き、慟哭をしました。

納言の布勢朝臣御主人が、
誄をしました。
これは礼です。

誄をおえて庶民が発哀をしました。

次に、僧衆が発哀しました。

ここにおいて、
奉膳の紀紀朝臣真人らが香奠を奉りました。

奠がおわり、
膳部と采女らが発哀をしました。
楽官が楽舞を奏しました。

5日、
皇太子が公卿、百寮人らを率いて、
殯宮にゆき慟哭しました。
僧らが随い発哀しました。

15日、
京師で、
年が80歳以上、
および重病人、
貧しく自活できない者に、

絁、綿を与えましたが、
各々差がありました。

19日、
直広肆の田中朝臣法麻呂と
追大弍の守君苅田らを新羅に派遣して、
天皇の喪を告げさせました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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