日本書紀 巻第七
大足彦忍代別天皇 十六
・草薙横刀と熱田社
・伊勢神宮に献上した蝦夷等のその後
・日本武尊の妻と子どもたち
初め、
日本武尊の腰につけていた
草薙横刀(くさなぎのたち)は、
これ今、
尾張国の
年魚市郡(あゆちのこおり)熱田社にあります。
そこで、
神宮に献じた蝦夷等は、
昼も夜も喧嘩(けんくわ)で、
出入も礼もありませんでした。
時に、倭姫命は、
「この蝦夷等は、
神宮に近づけてはいけません」
といい、
すぐに、朝廷に進上しました。
そこで、
御諸山(みもろのやま)の傍(ほとり)に
安置させました。
幾時も経たないうちに、
ことごとく神山の樹を伐(き)り、
隣の里に叫呼(きょうこ)し、
人民を脅かしました。
天皇はこれを聞いて、
群卿に詔して、
「神山の傍に置いた蝦夷は、
是、もともと獣心(あかしき)があり、
中国(うちつくに)に住むのは難しい。
故に、
その心の願いのままに、
国の畿外に離せ」
といいました。
これが、今、
播磨(はりま)、讃岐(さぬき)、
伊予(いよ)、安芸(あき)、阿波(あわ)、
すべて五国の佐伯部の祖です。
初め、
日本武尊は両道入姫皇女(ふたじのいりひめ)
を娶って妃とし、
稲依別王(いなよりわけ)を生みました。
次に足仲彦(たらしなかつひこ)天皇、
次に布忍入姫命(ぬのしいりひめのみこと)、
次に稚武王(わかたけおう)を生みました。
その兄稲依別王は、
犬上君(いぬかみのきみ)、
武部君(たけるべのきみ)、
すべて二族の始祖です。
また妃の、
吉備武彦(きびのたけひこ)の娘、
吉備穴戸武媛(あなとのたけひめ)は、
武卵王(たけかいごのみこ)と
十城別王(とおきわけのみこ)とを生みました。
兄の武卵王は、
讃岐綾君(さぬきのあやのきみ)の始祖です。
弟の十城別王は、
伊予別君(いよのわけのきみ)の始祖です。
次の妃の、
穂積氏忍山宿禰
(ほづみのうじのおしやまのすくね)の娘、
弟橘媛(おとたちばなひめ)は、
稚武彦王(わかたけひこのみこ)を
生みました。
・熱田社
熱田神宮。名古屋市熱田区
・喧嘩(けんくわ)
かまびすしい、やかましい、さわがしい
・御諸山(みもろのやま)
奈良県桜井市三輪山
・叫呼(きょうこ)
大声でさけぶ、わめくこと
・中国(うちつくに)
畿内
・磨(はりま)
兵庫県)
・讃岐(さぬき)
香川県
・伊予(いよ)
愛媛県
・安芸(あき)
広島県
・阿波(あわ)
徳島県
感想
初め、
日本武尊の腰につけていた草薙横刀は、
これは今、
尾張国の年魚市郡熱田社にあります。
そこで、
神宮に献じた蝦夷等は、
昼も夜も騒がしく、
出入も礼もありませんでした。
時に、倭姫命は、
「この蝦夷等は、
神宮に近づけてはいけません」
といい、
すぐに、朝廷に進上しました。
そこで、
御諸山(三輪山)の傍に安置させました。
しかし、
幾時も経たないうちに、
ことごとく神山の樹を伐り、
隣の里に大声でさけび、
人民を脅かしました。
うーむ、
蝦夷の悪行。
記述を読むと違和感バリバリ。
縄文文化が色濃く残る土地から
連れてこられた人々は、
自然の中に神々が宿ると考えているはず。
その人々が、
ことごとく神山の樹を伐り
なんて、自然破壊をするとは思えない。
また、
自然から得た物は、
分け合うという風俗がある縄文文化。
近隣の村を脅すとは思えない。
蝦夷を貶めるための
印象操作の可能性大ですね。
この辺は、
今も昔も変わらない。
残念だな。
天皇はこれを聞いて、
群卿に詔して、
「神山の傍に置いた蝦夷は、
これ、
もともと獣の心があり、
都の側に住むのは難しい。
こういうわけで、
その心願にまかせ、
国の畿外に離して置け」
といいました。
これが今、
播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波、
すべて五国の佐伯部の祖です。
初め、
日本武尊は両道入姫皇女を娶って妃とし、
稲依別王を生みました。
次に足仲彦天皇、
次に布忍入姫命、
次に稚武王を生みました。
その長兄稲依別王は、
犬上君、武部君、すべて二氏族の始祖です。
また妃の吉備武彦の娘、
吉備穴戸武媛は、
武卵王と十城別王とを生みました。
兄の武卵王は、讃岐綾君の始祖です。
弟の十城別王は、伊予別君の始祖です。
次の妃の、穂積氏忍山宿禰の娘、
弟橘媛は、稚武彦王を生みました。
本日はここまでです。
明日に続きます。
読んで頂きありがとうございました。