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リートリンの覚書

散策日記・上野恩賜公園

今回の散策日記は上野恩賜公園です。

訪れたのは去年の秋で、まとめるのに時間がかかり、季節外れの記事となってしまいました。

すみません。

上野恩賜公園

上野公園きほんのき
上野公園は、上野の山と呼ばれる台地と不忍池からなり、個性豊かなみどりや水辺景観が形成されており、都民の憩いの場となっています。また博物館や美術館、動物園など多くの文化施設が集積しており、質の高い芸術文化に親しむことができます。

上野恩賜公園 公式HPより引用

上野恩賜公園内を見学しました。

上野恩賜公園説明書き


下町まちしるべ

旧 上野恩賜公園

 江戸時代初期、この地は、津軽、藤堂、堀家の屋敷であったが徳川三代将軍家光は天海僧正に命じて寛永寺を建てさせた。寛永二年(一六二五)のことである。その後大きな変化もなく幕末を迎えるが慶応四年(一八六八)の彰義隊と官軍の戦争により寛永寺が焼失、一面焼け野原と化した。荒れ果てた姿のままであったが明治六年一月の太政官布逹により公園に指定されたとこから公園地となった。
 恩賜公園のいわれは、大正十三年に帝室御料地だったものを東京市へ下賜されたことにちなんでいる。その後規模・景観はもとより施設など我が国有数の都市型公園として整備された。面積六十二万平方メートル余り。
 上野公園生みの親がオランダ人医師のボードワン博士。病院建設予定地であった上野の山を見て、その景観の良さから公園にすべきでることを政府に進言して実現したものである。

看板より引用


西郷隆盛像


上野恩賜公園・西郷隆盛像

東京都台東区上野の上野公園に建っている西郷像は高村光雲の作(傍らの犬「ツン」は後藤貞行作)、鋳造は岡崎雪聲、台座は塚本靖が設計した。
引用・Wikipedia

上野公園と言ったら、階段を登るとすぐ右手に見える、西郷さんの像ですよね。

この像を見ると上野に来たなぁ、と実感します。

まずは、清水観音堂を見学しました。

実は、何度も訪れている上野恩賜公園。こちらの清水観音堂を参拝するのは初めてです。何十年も関東に住んで居たのにね。

清水観音堂


上野公園内にあり、千手観音を祀っています。寛永8年(1631年)の建立されました。京都の清水寺本堂と同様の懸造建築です。

訪れたのは、去年の秋。紅葉が美しく、たくさん写真を撮りました。舞台から望む不忍池もいい眺めでした。

清水観音堂に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非、ご覧ください。
また、ここ清水観音堂は、名所江戸百景 第11景 「上野清水堂不忍ノ池」で描かれています。

第11景 「上野清水堂不忍ノ池」に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非、ご覧ください。
月の松


また、清水観音堂にある「月の松」も
名所江戸百景 第89景 「上野山内月のまつ」で描かれています。

 第89景 「上野山内月のまつ」に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非、ご覧ください。


さて、清水観音堂を見学した後は、不忍池辯天堂を参拝しました。こちらも、初めて参拝させていただきました。

不忍池辯天堂


不忍池辯天堂は、上野公園南側にある不忍池の弁天島(中之島)に、天海が竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請して建立しました。

不忍池と弁天島

不忍池辯天堂に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非、ご覧ください。


不忍池辯天堂を参拝した後は、名所江戸百景 第12景 「上野山した」で描かれていた、五條天神社を参拝しました。

五條天神社


五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)は、東京都台東区の上野公園にある神社です。寛永寺の拡張などで何度か遷座しましたが、1928年に現在地に遷座されました。

主祭神
大己貴命(おおなむじのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
相殿神
菅原道真公(すがわらみちざね)

花園稲荷神社

神社の創建年代は不詳ですが、五條天神社が移転してくる以前からこの地にあった神社です。

祭神
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

こちらの神社も、初めて参拝させていただきました。周りの喧騒とはうって変わり落ち着いた境内。癒しをいただきました。

五條天神社に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非、ご覧ください。


五條天神社を参拝した後は、上野東照宮を参拝しました。

上野東照宮

上野東照宮(うえのとうしょうぐう)は、東京都台東区上野恩賜公園内にある神社です。

主祭神
徳川家康
徳川吉宗
徳川慶喜

東照宮に関しましては、
私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非、ご覧ください。


東照宮は、家康公自ら、神となる。祀って欲しい、と願い創建させた。

と思っていましたが、東照宮略記を読みますと、

藤堂高虎と天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言

とありました。

自ら願ったのではないのですね。かなり勘違いをしていました。一つの所に三人で末長く。その願いは叶ったのでしょうか。

藤堂景虎の墓は、上野動物園内にあるようです。動物園の中にお墓があったとは。知りませんでしたよ。

また、藤堂景虎公は、三重県津市にある高山神社で祀られています。

戦国時代はちょっと興味が無くて、一部の武将しか知らなかったのですが、藤堂景虎公。かなり気になる人物ですね。忍者の元締めであったと言われると。興味が湧いてきました。

天海僧正の廟所は、栃木県日光市にある輪王寺、埼玉県川越市にある喜多院(きたいん)、大津市にある慈眼堂(じげんどう)にあります。

どうやら、三人一つの所で末長くとは、行かなかったようですね。

しかし、三氏ともに、江戸の鬼門を封じる場所で、今もなお、江戸を守り続けているのですね。感謝しないといけませんね。

この三人、かなり気になる人物です。機会があったら、調べてみたいものです。
(忍者に、風水などなど)

五重塔

銀杏の木


今回の散策。何度と訪れていた上野恩賜公園ですが、初めて訪れる場所が多々ありました。

また、興味をそそられる事が次々と現れ、楽しい散策となりました。

引っ越してしまったので、しばらくは、上野に行けませんが、上野恩賜公園には訪れていない場所がまだまだありますので、また訪れたいものです。


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