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リートリンの覚書

127・日本の神様・兄媛・御友別


127・日本の神様

・兄媛
・御友別


兄媛
(えひめ)


応神天皇の妃のひとり
吉備臣の祖の御友別の妹


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“十四日、高台に登って遠望しました。この時、妃の兄媛が侍していましたが、西を望んで大いに嘆きました。”

応神天皇22年春3月5日、
天皇は難波に行幸して、
大隅宮に居ました。

14日、
高台(たかどの)登り
遠望(えんぼう)しました。

この時、
妃の兄媛が側に付き添っていましたが、
西を望んで父母を恋しく思い、
大いに嘆きました。

そして、
しばらく吉備へ還って、
親を訪問したいと願い出ました。

天皇は承諾し、
淡路の御原(みはら)の
海人(あま)八十人を呼び寄せて
水手(かこ)とし、
吉備に送ることにしました。

夏4月、
兄媛は大津から出航していきました。

応神天皇22年秋9月10日、
天皇は、
葉田葦守宮(はだのあしもりのみや)に
いました。

その時、
兄媛の兄・御友別(みともわけ)が
参上しました。

そして、
その兄弟子孫を膳夫(かしわで)として
食事を奉りました。

天皇は、
御友別が謹惶(かしこまり)て
仕え奉る状況をみて、
うれしく思い、
そこで吉備の国を分割して、
その子らを与えることにしました。

兄媛には織部(はとりべ)を与えました。


祀る神社


葦守八幡宮(岡山県岡山市)


御友別
(みともわけ)


吉備臣の遠祖


別名


御友別命
吉備御友別(きびのみともわけ)


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十
本文では、
このように登場しています。

“時に、御友別が参上しました。そして、その兄弟子孫を膳夫として食事を奉りました。”

応神天皇22年秋9月6日、
天皇は淡路島で借りをしました。

10日、
葉田葦守宮(はだのあしもりのみや)に移り、居ました。

その時、
御友別(みともわけ)が参上しました。

そして、
その兄弟子孫を膳夫(かしわで)として
食事を奉りました。

天皇は御友別が謹惶(かしこまり)て
仕え奉る状況をみて、
うれしく思い、

そこで吉備の国を分割して、
その子らを与えることにしました。


祀る神社


葦守八幡宮(岡山県岡山市)
吉備津神社(岡山県岡山市)



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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