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リートリンの覚書

日本書紀 巻第三 その七

十一月七日、
皇軍は大挙して、
磯城彦を攻めようとしました。

まず使者を遣わし、
兄磯城(えしき)を呼びだしました。

しかし、
兄磯城は呼び出しに答えませんでした。

そこで、
さらに頭八咫烏を派遣しました。

烏は兄磯城の屯営に着き、
「天神の子がお前を呼んでいる、
さぁ、さぁ」
と鳴きました。

兄磯城は怒って
「天壓神(あめおすのかみ)
やって来たと聞いて、
俺は憤っている。
そんな時に烏が悪しき声で鳴いている」
といい、弓を引いて烏を射りました。

烏はたちまち逃げ去りました。

烏は、
次に弟磯城(おとしき)の家に行き、
「天神の子が、お前を呼んでいる、
さぁ、さぁ」
と鳴きました。

弟磯城は恐れおののき、居を正すと、
「私は、天壓神がいらっしゃったと聞き、
朝夕と畏れかしこまっておりました。
よきかな、烏。
お前がこのように鳴くことはいい」
といい、八枚の皿を作って、
食物を振る舞いました。

その後、弟磯城は
烏のあとを追ってやってきて告げると、
「私の兄・兄磯城は、
天神の子が来ると聞き、
すぐさま八十梟帥を集めて、
兵甲を装備し、
一緒に決戦しようとしています。
早急に策を立てるべきです」
といいました。

天皇は諸将を集め問いました。
「今、兄磯城は、
やはり逆賊の意志があるようだ。
召してみても来ない。
どうしたものだろうか」

諸将は、
「兄磯城は悪賢い賊です。
まず、弟磯城を派遣して教え諭し、
同時に兄倉下(えくらじ)、
弟倉下(おとくらじ)も説得しましょう。

どうしても帰順しないようでしたら、
その後に挙兵しても遅くはないかと」
といいました。

そこで弟磯城に利害を開示させましたが、
兄磯城はなおも愚かな謀を続け、
降伏を受け入れようとはしませんでした。

この時、
椎根彦が計略して、
「まず我が女軍を派遣して、
忍坂道から出陣させましょう。

すると賊はそれを見て
必ず精鋭を向かわせることでしょう。

我が軍は強兵を率いて、
真っ直ぐ墨坂を目指し、
菟田川の水を汲んで、
その炭火に注ぎ、

一瞬の不意を突いて出れば、
撃破することできると思います」
といいました。

天皇はその策を善いとして、
すぐに女軍を出してみました。

賊は大兵がやって来たと思い、
力を尽くしてそれを迎え撃とうとしました。

皇軍は攻めると必ず攻め取り、
戦いは必ず勝ちました。

しかし、甲冑(かっちゅう)の兵が
疲労していないわけではありません。

そこで、歌を作り、
将兵の心を慰めました。
その歌は、

楯を並べて射る
そのいなさの山の
木の間を通って
見張りをつづけ
戦ったので
ああ腹がへった
島の鳥、鵜飼(うかい)の伴(とも)
すぐ助けに来い

そこで男軍は墨坂を越えさせ、
後方からはさみ撃ちにして破りました。

その首領兄磯城等を斬りました。


続く

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