日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 十六
・百済、物部連等を迎え入れる
・五経博士の交換
・友好を結ぶ
・百済王、薨去
・遷都する
十年夏五月、
百済が
前部木刕不麻甲背
(ぜんほうもくらふまこうはい)
を遣わし、
物部連等を
己汶(こもん)に迎えてねぎらい、
ひきいて国に入りました。
群臣は、
各々衣裳(きもの)、斧鉄(おのかね)、
帛布(きぬ)を出し、
国物(くにつもの)に加えて、
朝廷に積んで置きました。
慰問も慇懃(ねんごろ)で、
賞禄(たまいもの)は豊かでした。
秋九月、
百済は、
州利卽次(つりそに)將軍を遣わして、
物部連に副えて、来て、
己汶の地を与えられたことを
謝(あやま)りました。
別に五経博士の
漢高安茂(あやのこうあんも)を
貢(みつ)ぎ、
博士の段楊爾(だんように)と
代(か)えてくれるよう請いました。
依請(もうしのままに)代えました。
十四日、
百済が灼莫古(やくまくこ)将軍と、
日本の斯那奴阿比多(しなのあひた)
を遣わして、
高麗の使い安定(あんてい)に副え、
来朝して好をむすびました。
十二年春三月九日、
都を弟国(おとくに)に遷しました。
十七年(523)夏五月、
百済王武寧(ぶねい)が薨じました。
十八年春正月、
百済の太子・明(めい)が即位しました。
二十年秋九月十三日、
都を磐余の玉穂に遷しました。
(一本は云う、七年であると)
・弟国(おとくに)
山城国乙訓郡
(感想)
継体天皇10年夏5月、
百済が前部の
木刕不麻甲背を遣わし、
物部連等を己汶に迎えてねぎらい、
率いて国に入りました。
群臣は各々、
衣裳、斧鉄、帛布を出し合い、
国の産物に加えて、
朝廷に積んで置きました。
慰問も慇懃で、
褒美として与えられた給料は、
きまりより優っていました。
秋9月、
百済は、州利卽次将軍を派遣して、
物部連に副えて来朝し、
己汶の地を与えられたことを
感謝しました。
別に五経博士の漢高安茂を貢(みつ)ぎ、
博士の段楊爾と代(か)えてくれるよう
請いました。
依請(もうしのままに)代えました。
14日、
百済が灼莫古将軍と、
日本の斯那奴阿比多を派遣して、
高麗の使者・安定に副え、
来朝して好を結びました。
継体天皇 12年春3月9日、
都を弟国に遷しました。
継体天皇17年(523)夏5月、
百済王・武寧が薨じました。
継体天皇18年春1月、
百済の太子・明が即位しました。
継体天皇20年秋9月13日、
都を磐余の玉穂に遷しました。
(一本はいう、七年である)
継体天皇の条。
本人のお話が少ない。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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