煙草と珈琲とお月様

趣向品は煙草と珈琲。
趣味は、星空観察。
星空の中でも、お月様が大好きな天体バカ。

18/08/19 視床(ししょう)脳内出血…。アレから3ヶ月が経ちました…。

2018-08-19 11:05:40 | 闘病記
※病気に伴う症状は、その状況により人それぞれです。ここに書かせて頂く病状は、我が家の事ですから、同じ病気を発症したからと言って、全てが同じではありません。


早いもので、奥さんが倒れて、3カ月が経ちました…。

緊急搬送された救急病院に52日間入院して、その後に今いるリハビリテーション病院へ転院…。

転院したその日から運動・作業・言語・摂食のリハビリが始まりました。

始めの頃は、寝たきり生活が長かった為、少し起き上がるだけでも「貧血」や「目眩」がおきてしまい、リハビリもなかなか先に進みませんでした。

食事も「トロミ食」を介護士さんに食べさせてもらう状況でした。

車椅子も普通の車椅子では無く、リクライニング出来るタイプで、娘と「社長の椅子」って呼んでます。
(苦笑)

この頃は、長い寝たきり生活の為、ほぼ全身の筋肉が無くなり、動く左足一本でも、膝が折れてしまい、自力で立てない状況です。

そして、動かない右腕の肩も、筋肉が無くなり「脱臼寸前」みたいな状態でした。
コレには結構焦りました。

ベットに横になったり、車椅子に乗ったり、トイレに行くのも常に「2人介助」での入院生活…。

私も娘も毎日病院に行けなかったので、行くと不安が増す感じでした。

ちょうどその頃に、ママさんバスケの仲良し3家族さんが奥さんの回復を祈って「千羽鶴」を作ってくれました!



初めて千羽鶴を見ました!
奥さんも…。
「わぁ〜綺麗!」って!

ご家族総出で作ってくれたそうです。
有難いです。

奥さんは、脳の視床出血での障害の為、麻痺のある右側の「反側空間無視」と言う障害もあり「見えているはずなのに見えない」という症状もあります。

例えば…。
テーブルにある食事も、右側の食べ物に気が付かない…。
リハビリで、カードや積み木などを右側に置くと分からない…。
目の前で見ていると「マジ?!」ってコッチが焦ります…。

そして…。

一番厄介なのが「痴呆」の症状が酷いです…。

自分の名前は言えます。
家族の名前も言えます。
でも…。
住んでいる場所が結婚する前の場所だったり、結婚当初の場所だったり…。
施設にいる母は何処にいるとか…。
25年前に亡くなった父は何してるとか…。
夕飯食べに出掛けよう…。
家に帰ろう…。
年齢も20代になったり60代になったり…。
酷いのは、風呂上がりに「サッパリしたね。」って聞いたら「風呂入ってない」とか…。
「食事は何だった?」って聞いたら「分からない」、「食べてない」とか…。

当初、コレには本気で泣きそうになりました…。
娘は泣いてました…。

命は取り止め、失明を免れて、言葉が出て、当初は喜んでいました…。

しかし、リハビリが進むにつれ、言葉数も増え、多少の会話も出来る状態になりましたが…。

脳出血に伴う障害の怖さを実感しました…。

1時間のうち「痴呆によりピンずれが50分以上」…。
要は、ほとんど「ボケ状態」です…。

何かの拍子に一瞬元の奥さんに戻ってきますが、直ぐに「ボケ状態」…。

身体的な障害もあり、痴呆もあり、主治医の先生からは「介護する人が居ない状態で家に一人でいるのはムリなので、自宅への帰宅はムリ」と転院一か月後の面談で「断言」されました…。

主治医の発言に何も言えませんでした…。
娘も泣き出してしまい、何も出来ない自分が、ただそこに座っていました…。

その後の主治医の話は何も覚えていません…。

頭の中で「もう家族3人で住めない」って事ばかり考えていました…。

もちろん「在宅ケアでヘルパーさん」がいたりすれば良いのですが、私も娘も朝7時から夜の20時位迄仕事で不在です…。

そんなに長い時間、来てくれる「ヘルパーさん」いるのか?
「家政婦さん」をお願いするのか??

そして…。

自分達で、夜から朝迄の介護をして翌日の仕事に行けるのか?

奥さんの状態・状況が明確になればなるほど不安にしかなりません…。

そんな時にもう一つ事件が…。

たまたま会社の帰り道にお見舞いに行った時…。

担当看護師が夕飯の時間になり部屋に迎えに来ました…。

車椅子への移乗の際に聞こえきた一言…。

「コレじゃあ家には帰れない。」

耳を疑いました。
看護師さんって「患者が少しでも良くなってくれるように助けてくれる人」じゃあないの?
「少しでも良くなるように思ってくれてる人」じゃあないの?
「患者の状態をジャッジするのって先生」じゃあないの?

奥さんのいる目の前でブチキレそうになるのをすっごい我慢して…。

病院の相談室の担当者に速攻でブチギレ…。

翌日には総看護婦長と総務課と相談室担当と面談。

「経営理念」と「患者の権利」を掲げている病院が「金儲けの為の病院」にしか見えなくなった。

もちろん、主治医からの厳しいジャッジもありましたが、私も娘も「自宅帰宅」をまだ諦めていません。

何年掛かっても、奥さんが絶対に家に帰ってこれるって信じています。

あの主治医と担当看護師にギャフンと言わせてみせます。

今、ココで病院名や関係者の実名をあげても良いのですが…。

その後の病院の対応が、主治医以外は驚くほど急変して、主治医と元担当看護師以外とは「良い関係」なので、ココで触れるのはやめておきます。

と言うのも、転院してちょうど一か月くらい経った頃から、各種リハビリの先生たちのおかげで「効果」が少しずつ出てきて…。
①トロミ食が刻み食に。
②お粥も少し硬めのご飯に。
③食事も左手で一人で食べる。
④「痴呆」はあるけど良く喋る。(笑)
⑤「反側空間無視」はあるけど目は見える!
⑥耳は恐ろしいほど「地獄耳」!
⑦始めの頃は10分位しか座って入れなかった車椅子にも1時間位は座っていれるようになった。
⑧起きた時の目眩も貧血も無くなった!
⑨残念ながら右手と右足は動きません…。
⑩自分ではまだ立てないし、ベットからも起き上がれません…。

転院前の段階で「寝たきりの奥さんの状態をゼロと思い、リハビリ病院で何か出来るようになったら、それは儲けた!って思う」って娘と決めていましたので、辛く嫌なこともありましたけど、たくさんの「儲け!」もありました。

病院で花火大会を家族で観れたし!



そして、お誕生日も無事に迎えられたし!



本当にリハビリの先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。

我が家では奥さんの状態の変化を「進展」ではなく「進化」って言ってます。
(苦笑)

そうそう、夏の甲子園を見ていた時なのですが…。

以前から奥さんは「負けてるチームを応援する」癖があったんです。
案の定、負けちゃった選手の涙を見て…。
奥さんもつられて大泣き…。
コレには驚きました!
元気な頃の奥さんでした。
私は「嬉しくて」涙が出ました。

リハビリ病院からは、もう「転院の話」も出たりして「介護認定」を受けるために役所に行ってきました。

さて…。

これから一か月、奥さんは、一体どんな「進化」を見せてくれるのでしょうか?

では。
コメント (8)
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