野田秀樹、AERA連載打ち切り。
「放射能がくる」の前号表紙で。
劇作家・演出家で、俳優も務める野田秀樹氏(55)が、週刊誌「AERA(アエラ)」で連載していたコラム「ひつまぶし」を、28日発売の4月4日号で自ら打ち切ることを明らかにしている。
「突然ですが、最終回です」のタイトルで書かれたコラムでは、先週(28日号)の同誌が「放射能がくる」という大きな文字とともに、防護マスクの写真を表紙で大きく掲載したことに反発。いたずらに読者の恐怖や不安を招いたことに強い疑問を抱き、連載を自分から辞めることを申し出たとしている。
先週のコラムで野田氏は、危機をあおる報道に対して警鐘を鳴らし、国民がもっと冷静になるべきという、表紙とは正反対の持論をつづっていた。野田氏の関係者は「自らが書いたことが(雑誌の内容と)あまりにも異なっていたことから、これ以上、続けられないと考え(連載中止を)決めたようです」。
対立する形で連載を辞めるが今後、AERA側と闘うつもりはない。ただ、コラムの最後で野田氏は「直感的に覚えた、このアエラの『現実』に対する姿勢への不安が消えません。アエラという雑誌は何を目指しているのですか?」と疑問を投げかけている。
28日号に関しては、発売直後から出版元の朝日新聞出版に苦情が殺到。インターネット上などでも「不謹慎」などの批判がされたことから、同社はツイッターとホームページで「福島第1原発の事故の深刻さを伝える意図で写真や見出しを掲載しましたが、ご不快な思いをされた方には心よりお詫び申し上げます」との謝罪文を掲載していた。
◆野田 秀樹(のだ・ひでき)1955年12月20日、長崎県生まれ。55歳。5歳の時に東京に移り住む。東大法学部在学時に劇団「夢の遊眠社」を結成。81年に中退。83年、「野獣降臨」で岸田國士戯曲賞、86年に紀伊國屋演劇賞、90年には文化庁芸術祭賞を受賞。92年、「夢の遊眠社」を解散。ロンドンに1年留学し、93年に企画製作会社「NODA・MAP」を設立。01年、東京・歌舞伎座の「野田版 研辰の討たれ」で歌舞伎を初演出。09年、東京芸術劇場の初代芸術監督に就任する。
(スポーツ報知/yahooニュース)
表紙は防護服、というか防護マスクでしょうね、
それがどばーんっと掲げてあって、
たったひとこと《放射能がくる》
あり得ないでしょう、
知的週刊誌としては何たる失態。
徒に不安を煽ってどうするんだ、の巻でした。
「ばっかだよね、AERA」
知人と話したり、家族に訴えたり。
でも、きっとセンセーショナルだったから、
部数を伸ばしたのに違いないんですよ。
AERA編集部では《よくやった!》と、
いつかの出目川さんばりに乾杯ムードだったんじゃないの?
・・・・なんてなんて思っていたら、
この野田秀樹さんのこの連載打ち切りとこのひとこと、
>アエラという雑誌は何を目指しているのですか?
ほんとにそうですよね。
ということで、AERAはどこかの失言レポーターが翌日から出なくなったように、
しばらくは休刊したほうがいいのじゃないかと。
>ご不快な思いをされた方には心よりお詫び申し上げます
ご不快な思いをされた方、と限定する根拠はなんだ?
この期に及んでも自らの不適切をわびようとしない、
いやはや、こんな雑誌だったとは思いませんでした。
ほかの執筆群もちゃんと考えた方がいいと、個人的には思いました。
お返事遅くなってすみません。
この雑誌を抱えているひとを見ると、
ぎょっとすると思います。電車の中には塾帰りのこどもらもいて。
私はかなりショックを受けました。
跳ね上がり分子のしわざですかね。
どんなにいい記事を書いても読んでもらえなければ、
表紙の愚をなしにはできないのでは?
野田さんという批判が機能したのはよかったし、今後編集部がうしなった信頼を
どうやって回復してゆくのか、注視したいです
まずは表紙から^^
「最悪の場合はこうなります。でも、今はこういう状況で心配ないです。ただし、こういうことが起きたら警戒レベルをあげましょう」
と懇切丁寧に説明してくれるところが、記事のいいところです。なのに、「最悪の場合だけ」を表紙にもってきてしまったものだから、野田さんにも不信感を抱かれてしまう。
この表紙にあおられて買った人もいるでしょうね。でも、中身を読んで安心したはずです。
「最悪を説明する」ことと「最悪と煽る」ことは違う、ということを編集部は肝に銘じたことでしょう。
繰り返しますが、記事そのものは、きちんとしていたのです。それだけに残念です。