あの、可笑しくて悲しい≪かちかち山≫、
また別の話を芥川龍之介が書いていました。
読み解くというよりも、夢幻世界を感じてください。
著作権をクリアしています、青空文庫より。
芥川龍之介
≪かちかち山≫
2009-02-05
童話時代のうす明りの中に、
一人の老人と一頭の兎(うさぎ)とは、
舌切雀(したきりすずめ)のかすかな羽音を聞きながら、
しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。
とほくに懶(ものう)い響を立ててゐるのは、
鬼ヶ島へ通(かよ)ふ夢の海の、
永久にくづれる事のない波であらう。
老人の妻の屍骸(しがい)を埋めた土の上には、
花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、
細(こまか)く空にのばしてゐる。
その木の上の空には、あけ方の半透明な光が漂(ただよ)つて、
吐息(といき)ほどの風さへない。
やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、
海辺につないである二艘(にさう)の舟を指さした。
舟の一つは白く、一つは墨をなすつたやうに黒い。
老人は、涙にぬれた顔をあげて、頷(うなづ)いた。
童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、
花のない桜の木の下に、互に互をなぐさめながら、
力なく別れをつげた。
老人は、蹲(うづくま)つたまま泣いてゐる。
兎は何度も後をふりむきながら、舟の方へ歩いてゆく。
その空には、舌切雀のかすかな羽音がして、
あけ方の半透明な光も、何時か少しづつひろがつて来た。
黒い舟の上には、さつきから、一頭の狸(たぬき)が、
ぢつと波の音を聞いてゐる。
これは龍宮の燈火(ともしび)の油をぬすむつもりであらうか。
或は又、水の中に住む赤魚(あかめ)の恋を
妬(ねた)んででもゐるのであらうか。
兎は、狸の傍に近づいた。
さうして、彼等は徐(おもむろ)に遠い昔の話をし始めた。
彼等が、火の燃える山と砂の流れる河との間にゐて、
おごそかに獣(けもの)の命(いのち)をまもつてゐた
「むかしむかし」の話である。
童話時代のうす明りの中に、一頭の兎と一頭の狸とは、
それぞれ白い舟と黒い舟とに乗つて、静に夢の海へ漕(こ)いで出た。
永久にくづれる事のない波は、善悪の舟をめぐつて、
懶(ものう)い子守唄をうたつてゐる。
花のない桜の木の下にゐた老人は、
この時漸(やうやく)頭をあげて、海の上へ眼をやつた。
くもりながら、白く光つてゐる海の上には、
二頭の獣が、最後の争ひをつづけてゐる。
除(おもむろ)に沈んで行く黒い舟には、
狸が乗つてゐるのではなからうか。
さうして、その近くに浮いてゐる、
白い舟には、兎が乗つてゐるのではなからうか。
老人は、涙にぬれた眼をかがやかせて、
海の上の兎を扶(たす)けるやうに、
高く両の手をさしあげた。
見よ。それと共に、花のない桜の木には、
貝殻(かひがら)のやうな花がさいた。
あけ方の半透明な光にあふれた空にも、
青ざめた金(きん)いろの日輪が、さし昇つた。
童話時代の明け方に、――獣性の獣性を亡ぼす争ひに、
歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、
日輪は、さうして、
その下にさく象嵌(ざうがん)のやうな桜の花は。
(青空文庫)
読んでいて、なぜか、
松山くんの角川文庫CMのことを思い出したんです。
モノクロームで、
どこか懐かしく、美術的でしたね。
この物語世界と似通ったものを感じてしまいます。
いいですねーーー♪
それにしても、
芥川竜之介が。≪かちかち山≫だなんて、
考えられないですね。
繰り返しの多用は面白いですね。
近代に対する皮肉が感じられて、あの芥川の顎に手を置いた写真をまた眺めたくなりました。
(私の中で、芥川は日本文壇3大美男子です!)
よく耳にするキーワードがぽろぽろと。
絵本に仕上げられそうですね。幻想的な絵本。
物語の世界に引き込みそうで、でも、どこか突き放したような
どうにもその世界の住人にはなれませんよ、といった感じがたまらなく切ないです。
すぐに直感でものを選ぶくせがあります。
選んでから、
どうやって総括するべえべえと思いました。
芥川ってそうか、ペダンチックなんだ、
きざとか皮肉とかしか浮かばなかったし(笑)
夢現の世界、でも老人の悲しみだけがやけにリアル、
こういうお話は大好きです、
花が咲いて、美しい眺め・・
そのはなびらも風にふかれると消えそうですが・・
芥川、美しいひとですよね。
現国の先生が、三島と芥川の自殺をくらべて、
芥川ラブ!!してたのを
思い出しました、ちなみに男性教諭です(笑)
ここに奇妙なおかっぱの男子が出てきたら、
《たま》の世界かもしれないですね。
つげ義春とか、あ、そこまでひねくれてないか(笑
せつないっていうのは感じますね、
老人の亡き妻に捧げる思いとかね。
でも、獣性とか言われると、口あんぐりです(笑
国語の時間に読んだ らしょうもん」より シュールです。
老人のみた桜は 夢か幻か。
小説は読み捨てられるもの、
というような捉え方があると思うのですけど、
こういう小説は長く愛されますよね。
時代を超えて永らえるのが童話だと思うのですけど、
旧仮名遣いがとても素敵。
仮名遣いがシュールを加速させている感じですね。