The Globe Now: ゆっくりと進化を続ける日本企業
〜 ウリケ・シェーデ『シン・日本の経営』を読む
■■ Japan On the Globe(1411)■■ 国際派日本人養成講座 ■■
「失われた30年」は失われていなかった。多くの日本企業はゆっくりと着実に新しい時代に適応し、進化を続けていた。
■1.ゆっくりと着実に体質改善して、蘇りつつある日本企業
伊勢: 花子ちゃんは「失われた30年」という言葉を聞いたことがあるだろう?
花子: ええ、うちの父がいつも言っています。確か1990年代初頭から、現在まで続いている30年もの日本経済の停滞ということですね。
父はちょうど2000年に大学を卒業したんですけど、その頃はバブル崩壊後の就職超氷河期でどこにも就職できず、やむなく近くの蕎麦屋さんでアルバイトを始めたそうです。幸い、一生懸命に働いたんで、ご主人からも気に入られて、暖簾(のれん)分けして貰って、今の蕎麦屋をやっています。
伊勢: お父さんはちょうど卒業時期が超氷河期にぶつかって不運だったけど、頑張って自分の店を持てたんだね。でも、それもできない多くの人々が、大学は出たけれど、派遣社員やアルバイトで安定した仕事につけないという悲惨な状況が続いた。
こういうことから、私のメルマガ「国際派日本人養成講座」でも、何度か「失われた30年」という表現を使ってきたけど、実はこの期間、多くの日本企業が停滞していたのではなく、ゆっくりだけど着実に進化して、力強く蘇りつつある、と分析した経済書が出たんだ。『シン・日本の経営 悲観バイアスを排す』という本だけどね。
■2.今の日本の最大の課題は「絶え間ない悲観と憂鬱」
花子: 『シン・ゴジラ』みたいなタイトルですね。でも日本企業が蘇りつつある、なんて、初めて聞きました。少子高齢化、人口減少、円安、物価高、一向に出口の見えないデフレ、、、そんな暗いニュースばかり聞かされていますけど。
伊勢: そこが、この本で「悲観バイアスを排す」と副題についている理由だね。この本の著者ウリケ・シェーデさんは、ドイツ出身の女性経営学者で9年以上の日本滞在経験を持ち、一橋大学や日本銀行などで研究員や客員教授を務めた。現在はアメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校の大学院教授をしている。
花子: 「悲観バイアス」って、日本人が物事を悲観的に見過ぎているということですか?
伊勢: その通り、この本の結論部で、著者はこう語っている。
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日本は過去20〜30年の「停滞」の間も着実に成長してきたという観点から、日本を見ていくべきだ。日本の失業率は他のOECD加盟国よりもはるかに低い。人々は勤勉かつ誠実に働き、高いスキルを持たない人でもパートタイムの仕事を見つけることができる。
多くを望みすぎなければ、一部のパートタイムの仕事は終身雇用に転換されることもある。社会は混乱状態にはないし、大きな社会的な分断もない。社会のセーフティネットは充実し、国土は美しく、都市は清潔で安全だ。これらはすべて大きな成果といえる。[シェーデ、p183]
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花子: そう言われれば、確かにアメリカのように大規模な黒人暴動が起きたり、ヨーロッパのように移民の集団が犯罪を犯すような混乱はないですね。でも、食料品の値上げで、みな大変な思いをしてますけど。
伊勢: 15歳から24歳の若者の失業率で見ると、アメリカは9.0%、ヨーロッパは14.1%に対して、日本は4.1%だから、欧米よりははるかにましなんだね。「国土は美しく、都市は清潔で安全」なのは、言うまでもない。こうして見ると、我々日本人は欧米などよりも、はるかに安定し、安全で清潔な国に住みながら、「日本には希望がない、もうダメだ」などと言っている訳だ。
シェーデさんは、「悲観バイアス」について、こう語っている。
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おそらく今の日本の最大の課題は「絶え間ない悲観と憂鬱」とでも呼ぶべき考え方が蔓延していることだろう。・・・
このように常に暗いトーンで語られるせいで、日本の強みはとかく見過ごされ、・・・最近の改善状況はほとんど注目されていなかった。これがあまりにも長く続いてきたので、良いニュースがあっても、日本人を含めて、ほとんどの人がそれを信じきれずにいる。[シェーデ、p185]
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伊勢: これはまさしく経済版の「自虐史観」だね。これでは本当の自分の実力を知って、それを発揮して主体的に未来を切り開いていることはできない。
■3.きわめて専門性の強い事業分野で高い利益率を持つ企業群
花子: 日本の失業率の低さや、安全で清潔な国、というのは、分かりましたが、「過去20 〜 30年の「停滞」の間も着実に成長してきた」というのは、どんな事実から言えるのでしょうか?
伊勢: それがシェーデさんの経営学者としての研究成果の核心なんだけど、冒頭でこんなふうに要約している。
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日本が世間で言われるよりもはるかに強い理由は、日本企業の再興が進行中であり、グローバルな最先端技術の領域で事業を展開する機敏で賢い企業が新たに出てきたことにある。こうした企業の多くは最終製品ではなく、素材や部品などの中間財を製造している。消費者は日本の中間財の技術や生産設備の重要性に気づいていないことが多い。[シェーデ、p5]
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そんな「機敏で賢い」企業例が、シェーデさんの本に「2000〜2009年度の平均営業利益率の上位40社」として、一覧表として並んでいる。上位の5社ほど、事業内容と利益率を紹介すると、こんな具合なんだ。
・(株)キーエンス センサ、測定器など、47.48%
・ファナック(株) 工場自動化、ロボットなど、32.69%
・ヒロセ電機(株) 高性能コネクタ、29.42%
・(株)ホギメディカル 医療用不織布、24.72%
・ユニオン・ツール 産業用切削工具、24.38%
等々、こんな具体に40社も並んでいる。利益率20%と言ったら、一億円売ったら、2千万円も利益が出る、という大変な水準だ。
花子: キーエンスとか、ファナックは聞いたことがありますけど、あとは知らない企業ばかりですね。
伊勢: そう、ひところのパナソニックとか、日立、ソニーなどの有名な大企業ではなく、きわめて専門性の高い事業分野で、独占的な位置を占め、高い利益率を誇っている企業がたくさん出てきている。
特に、センサ、高性能コネクタ、医療用不織布など、高度に専門的な部品材料、あるいは、ロボットや産業用切削工具など、工場で用いられるハイテク設備類など、一般消費者には縁のない商品ばかりだから、聞いたことのないのは当然だね。こういうハイテク企業が、化学、鉄鋼、精密機械、医薬品などの分野でゴロゴロしている。
ハーバード大学では、世界各国の「複雑性ランキング」を発表している。これは各国がどれだけ難しい、容易に真似できない製品を輸出しているか、のランキングだ。たとえば、ワイシャツなんかは、どこの国でも作れるけど、医療用不織布を作れる国は限られている。こういう観点から、世界の国々をランキングすると、日本は過去30年にわたって、1位を続けているそうだ。
花子: えーっ、そうなんですか? そんな話は初めて聞きました。
伊勢: 一般消費者の知らないところで、多くの日本企業が独自の製品技術や生産技術に磨きを掛け、他の国には容易に真似できない商品を生み出し続けているんだね。
■4.小錦から舞の海へ
伊勢: 昭和の頃の代表的な日本企業と、令和の日本企業の違いをシェーデさんは、大相撲の「小錦から舞の海へ」という巧みな比喩で表現している。
花子: 私は相撲はまったく知らないんですけど、その二人はどんなお相撲さんなんですか?
伊勢: 小錦は身長184センチで体重が275キロの巨漢だ。一方の舞の海は身長171センチ、体重は100キロに満たない。その小柄な舞の海が小錦と12回対戦して5勝を上げている。圧倒的な体格差から見れば、舞の海の善戦ぶりは凄いと言えるだろう。
花子: 身長171センチ、体重は100キロに満たないと言ったら、普通の人とあまり変わりませんね。それだけの体格差で、舞の海はどうして小錦に5回も勝てたんですか?
伊勢: 舞の海は現役時代に33種類もの決まり手を使ったそうだ。その技の多さで、「技のデパート」という異名をとった。しかも、対戦毎に相手も戦法を変えてくるから、それを上回る形で、毎回新たな技を繰り出して、対戦相手と観客を驚かせていたらしい。
花子: 「体格の小錦」対「技の舞の海」という構図は分かりましたけど、それが企業にどう関係するんですか?
■5.日立製作所の変貌
伊勢: 昭和の頃の日本企業は、とにかく大企業になろうということで、いわば小錦を目指していた。それが令和の日本企業は小さくとも、高度な技術で勝負する舞の海になった、ということだね。
その代表例を、シェーデさんは、日立製作所の例で説明している。バブル崩壊前は日立に限らず、日本の多くの大企業は、とにかく事業を多角化して、売上げを大きくすることを目指していた。しかし、そんな「小錦」戦略はバブル崩壊で行き詰まる。
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バブル崩壊後、日立は大苦戦し、2001年から2010年にかけて営業利益率は2%を割った。過度に多角化して多数の事業に手を広げたものの、その多くは収益性が低かった。
2010年の日立のウェブサイトには、冷蔵庫や掃除機などの家電製品、ハードディスク・ドライブや半導体などコンピュータの周辺機器、化学品、建設機械、医療機器、鉄道車両、フォークリフト、タービン、発電所など、10以上の「中核」事業が並んでいた。これら事業に共通するコア・コンピタンス(JOG注: 中核技術)は何かと聞かれると、日立の経営陣でさえ口ごもった。[シェーデ、p69]
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■6.日立の「舞の海」への変貌
日立はこの「小錦」戦略から、「舞の海」戦略に転換した。
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そんな日立が過去10年の間に新しい会社へと変貌を遂げている。既存事業の多くから撤退し、日立化成など珠玉の事業も売却した。新たに掲げた目標は「スマートシティ」技術とアプリケーションのリーダーになることだ。・・・
日立製作所は2023年に11年連続で、情報サービス企業クラリベイトの「Top100グローバル・イノベーター」に選ばれたが、これは同社が集中的にディープテック(JOG注: 先端技術)戦略に移行している証だ。[シェーデ、p69]
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花子: 今でも家電の量販店に行けば、日立の冷蔵庫やエアコンなどが並んでいますから、そんな風に変わったとは気がつきませんでした。
伊勢: 2010年度と2023年度を比べると、売上高は約9兆3100億円から10兆8900億円と、13年で17%ほどしか伸びていない。年平均の成長率は1.2%ほどに過ぎない。これだけ見たら「失われた30年」の停滞と言えるだろう。でも、営業利益は約4,400億円から7,481億円へと1.7倍に伸びている。営業利益率も4.6%から6.9%に伸びた。
「スマートシティ」技術の一環が鉄道事業で、売上高は約5倍に伸びて、その8割を海外で稼いでいる。日本の高品質な鉄道技術を海外市場に展開し、信頼性や安全性の高さが評価されている。イギリスで車両約600両の製造と27年半の保守事業の一括受注で、総事業費5500億円もの巨大プロジェクトの受注に成功している。
花子: イギリスのような先進国で、そんな巨大事業の受注に成功するなんて、凄いですね。
伊勢: 鉄道事業は、中国が低コスト戦略で海外受注にも積極的だが、車両の製造から保守、線路、信号の保守点検、運行システムなど、実にさまざまな技術を総合的に組み合わせて初めて高度の信頼性、安全性が実現する。それこそ「舞の海」戦略そのものだろう。
■7.社会の安定、安心を維持するための「遅い」変化
花子: パソコンや家電で、日本企業のブランドが見えなくなって、その代わりに中国や韓国ばかりが活躍しているので、日本企業は衰退一方かと思っていました。
伊勢: 確かに、日本企業の活躍舞台はハイテクの部品材料や、設備・インフラなど、一般消費者には見えない所に移ったので、そう思うのは無理はない。もう一つ、日本企業の進化が目に見えないのは、それがとてもゆっくりだからだ。
たとえば、GAFA、つまり、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンは近年、急速に我々の生活シーンに入ってきて、いかにもアメリカ企業のスピードの速さが印象づけられている。たとえば、Amazonは過去5年間で年平均約16%もの成長を続けている。5年で2倍以上だね。
花子: 確かにウチの父も、数年前にアマゾンを使い始めて、今ではあれこれ日常的に使っています。
伊勢: しかし、こうした成功企業の陰では、多くの敗残企業が倒産し、失業者をたくさん出している。それに比べると、日本企業はリストラと言っても、退職金の上乗せをした早期退職制度や、配置転換など、穏やかな手段をとっている。
花子: 国によって、企業のスピードはだいぶ違うんですね。
伊勢: そう、それをよく「日本の企業はアメリカに比べて、変化のスピードが遅い」などと言う人がいるけど、シェーデさんは、変化のスピードの遅さは、「日本企業が安定し、安全で、比較的平等な社会を維持するために甘んじて支払っている代償だ」[シェーデ、p128]と指摘している。
「スピードが遅いから日本企業はダメだ」というのは、これまた自虐的な指摘で、「安定、安全で、比較的平等な社会を維持するためには、変化はゆっくりで良い」と言う戦略と考えるべきだね。その根本にあるのが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を調和を理想とするの日本の「三方よし」の事業哲学だ。「売り手よし」には従業員の生活も入るから、急激な人員整理などできない。
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テーマ・マガジン「三方よしの日本的経営」
多くの企業が、買い手よし、売り手よし、世間よしの「三方よし」を追求することで、永続的な成功を享受してきた。
https://note.com/jog_jp/m/me3ec3c881a98
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伊勢: この哲学で、多くの日本企業がじっくり自らの技術を磨き、今では世界市場でも独自の技術で活躍し、高収益と安定的な雇用を維持している。それが我々、日本の事業哲学なんだ。
花子: 私も、そんな企業に就職したいなぁ。何か、希望が湧いてきました。
(文責 伊勢雅臣)
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