神の話:2️⃣

2022-04-30 22:01:47 | まとめノート(精神世界)
前回は、
創造主様と宇宙の関係について触れたが、今回はもう1つの方の神の話。
一般的に宗教などで神と呼ばれている存在たちの話だ。

ひと口に一般的に神と呼ばれている存在でも、地域や宗教の考えによって異なる。

西洋系宗教の考え方には、
大まかに2つの種類があり、
それを一神教多神教と呼ぶ。
どちらの考え方も大元は同じ教えであったが様々な地域に伝えて行くにつれて、各地に元々あった別の信仰と統合された事で信仰の仕方が変わり、
分岐して様々な宗教になって行った。

次に東洋系の仏教系の考え方だ。
東洋系宗教にも西洋系と同じように各地に元々あった別の信仰と統合される動きはあったものの、そもそもの話、
神よりも解脱した人間の方が偉い
という考えがある。
(解脱とは悟りを開いたという事です。)

西洋と東洋と言うだけでも、
神の扱いにおいてこれ程の考え方の違いがある。
その上、仏教的考えにおいては、
神というものの概念の違いだけではなく、宇宙創成の概念もない。
仏教系世界観において宇宙の概念とは、
この宇宙は、
ずっと昔から続いており、
これからも未来永劫ずっと続いていく、ただそれだけ。」
という考えである。
要するに前回の記事の
創造主様の話は存在しないのだ。

以前の記事にあれだけの量で、
書いた内容は仏教的考えから見ると、全く参考になるものでは無いのだが、日本神話(神道)においては宇宙創造が存在していたりする。
よって、の考えを信じるかは自分次第なのだ。

日本人は過去の戦争の影響によって
無宗教になった人が多いが、
神道は未だ廃れず、かと思えば、神道を強制されることも無くどんな宗教も自由に信仰できる。
すごく不思議で自由な国になった。
このチャンスを活かして、
自分自身が何を信じるか。
それを楽しんでみると良いかもしれない。

最後に私が小耳に挟んだ程度のウワサ話でほとんど参考にはならないと思うが、
興味があったら読んでみると良いかもしれないネタをおいて神の話は閉めようと思う。

「処刑後のイエス様は死んで蘇ったのでは無く、そもそも死んではおらず東洋の方へ旅に出てお釈迦様の教えを学び、とてつもなく感動した後、最終的に今の青森の辺りで生涯を終えた。」
この話を、信じるか信じないかはあなた次第だ。

神の話:1️⃣

2022-04-30 10:38:32 | まとめノート(精神世界)
以前の記事で宇宙とは神であると書い
たが、実を言うと厳密には少し違う。
その理由は、
1、宇宙が先ではなく神が先であるから。
2、神と一言で言っても、考え方や出身地、種類によって複数存在するから。
という2点の理由があげられるからだ。
今回の記事は1の理由の方の話を取り上げる。

確かに宇宙は全ての魂であるが、
宇宙を含め全ての魂は元々1つの存在から創り出されている。
それはどういう事なのか。
創造主とは何者なのか。
ビックバンとは何なのか。

創造主とは宇宙を含め全ての魂の原点で
あり、全ての魂の頂点であるお方だ。
宇宙ができる前、創造主様は何も無い中、光の塊として1人でおられた。しかしある時、創造主様は「私とはいったい、何者なのだろうか?」とお感じになられた。
そこで、ご自身のコピーである魂をお創りになった。
創造主様は魂達に「貴方達は、愛と幸せと光で、できています。」
と仰らた。
すると魂達は「それは何か?」と思った。
(以下は以前の記事で書いたので省略する。)

ビックバンとは、創造主様がご自身のコピーである魂を創造された事を言う。
ここでの魂とは宇宙も含め全てのモノの事だ。

何も無い中に何かが有るというのは、違和感があるかもしれないが、
量子力学において、
空気も何も無い空間を作りだしたとき、どこからともなく物質の粒子が現れた
という研究結果がでている。
何とも不思議な話だ。

ここまで書いておいてはなんだが、
神の話は全体的に、
とりあえず訳分からん事を書いている。
頭の善し悪しで理解出来る話では無いので、理解してもしなくても問題ない。
ただそういう事があったという風に理解してもらえれば大丈夫だ。

(補足:創造主様の話をもう少し簡単に理解されたい場合、ポケモン世界をご存知でしたらシンオウ神話のアルセウスのお話を参考にされると理解しやすくなります
YouTubeでシンオウ神話を取り上げて、簡単に説明してくださる方の動画などもございますので、機会がありましたらどうぞ。
*作者は日本神話→旧約聖書→シンオウ神話→2chスレの流れで理解しました。)

宇宙と個人の話:3️⃣

2022-04-29 20:57:42 | まとめノート(精神世界)
前の記事にて書いた、
動物的世界観
植物的世界観
機械的世界観
には、まだ続きの話がある。
(以下これら3つの世界観を、この様に表記していく。動物的:A 植物的:B 機械的:C)

Aの考えもBの考えもCの考えも、
今現在の私達が暮らしている次元に全て存在している。
Aは目に見える事に重点をおくので、
技術革新は凄いが同時に争いが起こり易い。
Bは目に見えない事に重点をおくので、
精神的能力は凄いが技術面はなかなか進化しない。
CABの長所短所を補いあった見え方だが、元々あったABの価値観からすると、全く理解されない考えなので、排除される可能性がある。

それぞれの考えを知っておくと、
どれが良くてどれが悪いか
では無い事が分かる。
どの世界観を選んでも、
楽しい事も苦しい事も起きるし、
私達は幸せになれる。
何を選ぶかは自分次第だ。

私達は生まれる前に、
宇宙に"幸せになる事"を義務化されている。
「幸せになる事は、
権利ではなく義務なのだ
それが分かっていて出来るのであれば、
どんな世界観の人生を選択しても、
私達は幸せになれるのだ。

宇宙と個人の話:2️⃣

2022-04-29 14:06:02 | まとめノート(精神世界)
宇宙とは神であり、自分自身であると、
前の記事で書いた。

魂は皆、宇宙のコピーである。
宇宙は幸せを持っている。
例外なく、どの魂も皆平等で上も下もなく、幸せを持っている。

しかし、魂とは不思議なモノで
愛や幸せ、光とは何なのかを、
知りたくなった。

そこで肉体を創り出し、
あるものは上下や優劣の有る世界観を
創り出し、その中で愛や幸せ、光とは何かを学ぶ事にした。
また別のあるものは、上下や優劣は無く他の者との横の繋がりを大切にする世界観を創り出し、その中で愛や幸せ、光とは何かを学ぶ事にした。
この2つの流れが、
動物的植物的世界の創造である。
やがてそれ等は2つの道を作り出す。

動物的な世界観は、
目に見えている物が幸せを創っていると感じ、それを求めて技術革新という道を作りだした。
植物的な世界観は、
目に見えない物が幸せを創っていると感じ、それを求めて信仰という道を作りだした。

しかし、どちらにも欠点が生じた。
動物的な世界観には協調性が、
植物的な世界観には競走する事で養われる技術革新が、それぞれ足らなかったのだ。

ある時、動物的植物的のどちらの世界観も統合しないと見えてこない物が、あると気がついた者がいた。
統合された両方の世界観では、
見える物も見えない物も両方あろうと、
なかろうと、幸せは今ここに存在していると気が付いた。
幸せは創り出す物じゃない。
今ここにあって
感謝すべき物だったんだと気がついた。
それがわかった途端に、
その者は思い出した。
全ては自分の中に存在した。
これを学ぶ為にやって来たんだと。

この考えを、
機械的世界観と言い、
一般では、
悟りの世界
と呼ぶのである。

宇宙と個人の話:1️⃣

2022-04-28 21:50:49 | まとめノート(精神世界)
宇宙とは何かと聞かれて、
真っ先に思い浮かぶものは、
空や大気圏の外の事だと答えられるのではないだろうか。
その考えは"目に見える表現"の答え

では視点を変えてみよう。
"目に見えない表現"を考えた時、
宇宙とは何だろうか。

ここでの見える見えないは、
単純に視力や技術の事ではない。
目で見えるか心で感じるかだ。

"目に見えない表現"の宇宙とは、
全ての魂だ。

全ての魂とは、
自分であり他人であり、
集団であり個人であり、
動物であり植物であり、
生物でありそれ以外でもあり、
有機物であり無機物でもあり、
時間であり空間でもある。
どんな物にも魂は宿っている。
そして宇宙とは、
全ての魂の創造主たる神の事である。

つまり、

宇宙とは神様であり、
自分自身なのだ。