信仰の話

2022-05-01 17:23:37 | まとめノート(精神世界)
今回は信仰についてを、
掘り下げていきたいたいと思う。

まず、信仰とは何か。
例を2つあげるので読んで頂きたい。

1️⃣:人間以外を対象とした場合。
(今回は水を例にあげます)
まず水に人間と似た様な身体を、
想像し当てはめて見る。
すると水の魂が宿った人間と
似たようなモノが出来上がる。
外側は人間と似てはいるが、
元が人間とは違うモノなので、
分類としては神や精霊となっていく。
すると神や精霊となったそれは、
己に身体を与えた者達に、
助言や警告をする。
その助言や警告を聞き入れて
適切な行動をする者が信者となり、
神や精霊を崇める。

2️⃣:人間が対象の場合。
目に見える対象が人間の場合、
1つ目のような想像はしない。
目に見えるそれが、
周囲の者に助言や警告をする。
その助言などを聞き入れ、
適切な行動をとった者が、
信者となりその人間を崇める。

どちらも、ある特定のものを崇めている。これを信仰と呼ぶ。
上記の例により「信仰とは何か。」
を知ることが出来たが、
それと同時に2パターンあったのを
理解頂けただろうか。

1️⃣の例は、どんなモノにも魂が
宿るという考え方で自然信仰と呼ぶ。
アミニズム、シャーマニズムとも呼ぶ事もある。
凄く簡単に言うと自然(宇宙を含む)を
擬人化し、その対象にお話を頂くという考え方だ。
日本の神道はこの考え方が多い。
(偉人を御祭神としている場合のお社は、次の例に該当します。)

2️⃣の例は、
要するに仏教やキリスト教などの
信仰の仕方だ。
元々目に見える信仰対象なので、
その人達からからお話をいただく
という考え方だ。

要するに大まかな違いは、
見えるか見えないかだ。
どんな宗教を選んで、
何を信仰しようと構わない。
というのは、
結局この部分に繋がってくる。
見える見えないだけの話なら、
両方を信仰しても良いし、
両方とも信仰しなくても良い。
何も信仰しなくても良い。

外界の神は興味なくて、
信仰したくないけど、
自分自身を信仰したいというのであれば、自分自身を信仰すれば良いのだ。

自分自身も内なる神なのだから。