☆厨二病、こじらせちゃってる話5️⃣☆

2022-05-16 23:02:51 | まとめノート(精神世界)
今回は先にお伝えした通り前回の続きで、愛とはなんぞ?という話です。

愛のある人って自ら進んで、
他人が嫌がる事をするんですよね。
嫌がる事って悪意のある事じゃなくて、
いわゆるトイレ掃除とかゴミ拾いとか、
そういうの。

どういう事かっていうと、
「たまたま入ったトイレが汚かった。
じゃあキレイにして出よう。」
とか、
「たまたま道歩いてたら、
ゴミ落ちてた。
じゃあ拾っておこう。」
ってやつです。
この行動に見返りを求める事は
ありません。
誰かに見られていようが、
誰にも見られていなかろうが、
特に気にすることも無く、
スっとやってサっと居なくなります。
でも実はみんなこの人の
行いを知ってるので、
この人が困った時、
助けてくれます。
それは、みんながその人を見て
「かっこいい!素敵だな!」
と思って寄ってくるから。
そして、こういう人は神様も見てて、
運やお金をプレゼントしてくれるんです。
愛の有る人は人からも神様からも
愛されるんですね。

でも、ここで少し注意が必要なんです。
色んな人が寄ってくるって事は、
「自分勝手な人」も自分にとって都合のいいカモにするために、寄ってくるのを注意しないといけません。

この話を説明するとまた、
長くなってしまうので、
また次回にさせていただきますが、
ひとつだけ最後に例外の不思議な話を
させていただきますね。

☆すごーく不思議な話☆
世の中には、
自分の欲求を満たす事で、
他人を幸せにする不思議な人達がいます。

かれらの特徴は、
ただそこにいて、
自分のしたい事をして
生きてるだけで、
その場の周囲の環境や
波長エネルギーを変えてしまうのです。
一般に「ムードメーカー
と呼ばれる人達です。

そして、かれらを束縛したり、
かれらを制御しようとすると
波動エネルギーが落ちてしまい、
負の連鎖に巻き込まれます。
かれらの自由と解放が世界を救います。

☆厨二病、こじらせちゃってる話4️⃣☆

2022-05-16 00:23:56 | まとめノート(精神世界)
今回は2、3回分使って、
愛の話をしたいと思います。
愛ってなんでしょうか?
言葉にするのは、
なかなか難しいですよね。

私の尊敬する斎藤一人先生は、
「マザー・テレサも言ってたけど、
愛の反対は憎しみじゃなくて、
無関心なんだよね。」
とおっしゃってました。

という事は愛って、
他人に関心を持つこと
なんだと私は思います。
そしてその愛の反対である無関心って、
他人に対して興味がなくて、
自分の事しか考えられない。
って事なんですよね。

愛がある人の心理は、
まず大前提として、
ダメな部分の自分がいたとしても、
自分を否定しないで、
「そういう自分が居たっていいんだよ。」って自分を好きになって、
自分も大切な存在なんだというのを、
分かっています。
その上で自分も大切な存在だけど、
他の人もそれとも同じ位、
大切な存在なんだと
分かっている人なんですよ。
そう言う人って、
「自分も親切にしてもらった時
幸せな気持ちになれたから、
どこの誰とも関係なく、
自分の行動で幸せになってくれたら、
嬉しいな。」と思い、
親切に生きていくようになります。
でも、無関心な人って自分の事しか
考えてないので、
「他人が何かで苦しもうが、
自分は苦しくないから関係ない。」
と思っていますので、
自分にとって利益にならないと
思う事はやりません。
それなのに他人からの愛を求めます。

ここで何か分かったかも。
と思った方はいるかも知れませんが、
要するに、
親切にできる人は自分の中にある幸せを、外側に出して行って
無関心で生きてる人は自分の中の空洞を埋めるために幸せを自分の外側に求める
ってことなんですよね。
何かギブアンドテイクが
成立してるような気がしてる方も
いるかも知れませんがそうではないです。

実は本来誰しも皆平等に、
永遠に無くならない幸せが、
自分の中にあるんですけど、
その場所ってのが真我って言う、
もう1人の自分というか
要するに魂なんですけど、
自分勝手な人ほど、
自分の魂君を自我って言う、
表面的な考え方を使って作った、
牢屋で何重にも囲って
見えなくなるくらい厳重に閉じ込めてる
って事なんですよ。

真我って内神様って言ったり、
自分自神様って言ったりも
するんですけど、
まだまだこの話には続きがあって
全然終わりそうもない話なので、
今回はこの辺で終わりにします。
相変わらず長くてごめんなさい。
冒頭にありますようにしばらく、
続きますが、よろしくお願いします。