縁という言葉は日本特有。運命的という言葉だと、ちょっと大袈裟になる。
でも、縁という言葉だと、離れていても、何かと関わりがあると縁があるなーと思い、近くても関わりがなくなると縁がないのかなーと思う。一種の自己防衛かも。でも、何気なく縁を感じながら過ごしているのは幸せな事かもしれないなーという訳で、今月末、何かと縁の深さを感じる人が、秋田を訪問する予定。。
でも、縁という言葉だと、離れていても、何かと関わりがあると縁があるなーと思い、近くても関わりがなくなると縁がないのかなーと思う。一種の自己防衛かも。でも、何気なく縁を感じながら過ごしているのは幸せな事かもしれないなーという訳で、今月末、何かと縁の深さを感じる人が、秋田を訪問する予定。。
どこかのお菓子屋さんで出してるサブレの外装効能書きにもあるように、縁は円に通じて丸いと・・・。
そういわれてみると、縁、といったときには、個人対個人の直線的なつながりではなくて、たくさんの人のつながりを連想します。直線的じゃなく、立体的。誰もが球の中心になれる。音が共鳴するみたいに(ビヨヨヨよ~~~~んってかんじですが)どこまでもひろがっていける、ようなイメージ。
一方運命というと、なんと言うか・・・個人対個人のあいだにある切り離せない太い綱、直線的で強烈なイメージ。端っこと端っこがわかる定規で書いた直線。
どちらからおいでになるかわかりませんが、観光には向かない時期の来秋、暖かい気持ちで歓待したいですね。