柳川城は1558年~1569年から蒲池鑑盛(あきもり)
によって近世の城郭の基礎となるものが整備され
蒲池氏が龍造寺氏に滅ぼされ1587年立花宗茂が入城
1600年関ヶ原の戦いで功をたてた岡崎城主田中吉政が
筑後一円の領主として入城、天守閣を備えた近世城郭を
築いた。天守閣は8mの石垣の上に立てられ5層からなり
高さは35mであったと言われています。戦国の二度の
攻撃にも落ちなかった柳川城は水を利用した名城となり
田中家には嫡子がなく断絶後は再び1621年に立花宗茂
が城主となり明治維新を迎えます。
1872年(明治5年)1月18日に失火により消失しました。
城の堀は川下りコースとなっている
柳川さげもん
立花家の別邸 御花 西洋館