これは僕がお坊さんになる勉強を始める少し前のお話。
享年97歳。
大往生だ。
祖父が亡くなる10日前のこと、老人ホームにいるはずの祖父から突然電話がかかってきた。
「家族は元気か?京都はもう春か?身体に気を付けてこれからも頑張って」
とりとめのない話をしたあとに
「じゃあまた」
とお互いに言って電話が終わった。
一体どうしたのかと少し不思議に思っていたら、それから10日後に朝ごはんとおやつのどら焼きを食べた祖父は昼寝をしたまま意識がなくなりそのまま目覚めることなくお浄土に旅立っていった。
あとから母に聞いたら祖父は何日かに分けて家族全員に電話をかけていたようだ。
祖父からの着信通知はスクショにして大切に保管している。
数日後、僕は葬儀のために慌ただしく帰省した。コロナ禍ということもあり家族葬にして身内だけでひっそりと済ませることになった。
「これより〇〇家の葬儀が始まりますのでご遺族の皆様は会場にお集まりをお願いします」
葬儀会館のスタッフさんの声のもと、僕達家族は各々会場に入っていった。
最後にお坊さんが入ってきて葬儀が始まった。
読経と家族のすすり泣く音が混ざる中、葬儀は続いていった。
ふと、僕はある違和感を感じた。
「あれ?うちは無宗教のはずだけどなんでお坊さん?」
そんなこと思っていたが、祖父がいなくなった悲しみが勝ってしまいその違和感は一旦置いて悲しみに身を任せた。
葬儀が終わり、会場の外で座っている伯父に挨拶をして先程の違和感について尋ねた。
「あのお坊さんはご近所の☓〇寺の?」
「いや……コロナ禍ですぐに来てくれるのがあのお坊さんしかいなかったんだ」
「そっか」
「葬儀会社さんがお坊さんからなにから決めてくれたよ。最近は全部セットなんだね。あのお坊さんは浄土宗のなんとかというお寺の住職さんだって」
「浄土宗なら京都に本山(知恩院)があるから改めて京都でお礼参りをするよ」
「ありがとう」
僕と話し終えた伯父は翌日のお葬式の打ち合わせがあると葬儀会社の担当者さんに呼ばれて再び会場に入っていった。僕はというと一人で違和感についてまだ考えていた。
(お経をあげてくれたお坊さんには失礼だけど葬儀会社が決めた縁もゆかりも無いお坊さんに送ってもらって果たして良かったのだろうか……。)
しかし喪主でもない僕が口を出すことではないのでほんの少し複雑な気持ちを抱えながら翌日の葬儀も終えて京都に帰った。
帰りの新幹線の中で祖父の葬儀で感じた違和感についてもう少し考えてみた。
(もしそう遠くない未来に僕の家族がなくなったら伯父のようにお任せで葬儀をするのだろうか?なんかそれは嫌だな。とはいえ無宗教なので寺社仏閣や教会にご縁はないし……)
それからというもの出口の見つからないトンネルを進むような気持ちを抱えたまま僕は毎日を送っていた。伯父はもちろん間違ったことはしていない。コロナ禍で当たり前だったことがそうではなくなった今、伯父なりに自分の父親のために出来ることを最大限にした結果だと思うし、「お葬式=お坊さん」というのは至極当然なことだ。
でも何か心にひっかかる。
そんなある日、
「浄土真宗本願寺派(西本願寺)にはお坊さんになるための学校があってそこはお寺の子じゃなくても入れるんだよ」
という話を妻から聞いた。
(もし僕がお坊さんになったら……大切な人達を人任せにしないで自分で見送ることができるのかな?)
良くも悪くも一人で何でもやろうとしてしまう性格の僕はそんなことを考え始めた。
「京都の桜は満開です!」
つけっぱなしのテレビから円山公園でレポートをする女性アナウンサーの弾んだ声が聴こえていた。
京都に春がやってきた。
おわり
次回は「お坊さんになる勉強をしている僕が学校に入るまでのこと」を書いてみます。
引き続きよろしくお願いいたします。
南無阿弥陀仏
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