粟田祭の「神幸祭」に行ってきました。剣鉾の巡幸を見るためです。
昨日も書いたのですが、このお祭りは、千年以上の歴史を持っており、祇園祭が斎行出来なかった時には、粟田祭を以て代わりとしたと言われているようです。山鉾巡行の原型とも言われています。
10月8日から始まり、15日の例大祭までが期間です。
三条通を東に向かって歩き、烏丸通・河原町通・東大路通と渡り、平安神宮の大鳥居から続く神宮道を超えた先が粟田神社です。途中の家には、粟田祭の剣鉾が飾られていました。

右手に粟田神社の参道が見えてきます。神社の境内には、鳥居の先から続く坂道を登っていきます。



今日は、本殿にお参りする方も多く、何時もは静かな境内も人で一杯でした。


本殿の横には、今日の剣鉾が並べられていました。


大神輿が本殿前に運ばれてきました。

境内からは、平安神宮の大鳥居等、京都市街がよく見えます。

舞殿の前には、今日の行列を先導する天狗の面等が並べられていました。




神事の後、剣鉾を立てる「剣差し」が始まりました。お腹の前に付けた縄のようなものに、剣鉾の竿を載せて持ち上げます。歩くたびに剣鉾の先が前後に大きく曲がり、取り付けられた鈴が「ガラン、ガラン」と鳴り響きます。












剣鉾を立てたまま、最後まで巡航していくわけでは無いようですが、バランスを取りながら歩くのは難しいことでしょう。
子供神輿も出発しました。

境内を出て、三条通を巡航する行列を見るため、神宮道との交差点で待っていました。
剣鉾などの「先之行列」は通り過ぎた後でしたが、暫くすると神輿がやって来ました。神宮道を平安神宮方面に進んでいきました。



剣鉾の姿を見るのを諦めかけていた時、「ガラン、ガラン」と鈴の音が聞こえてきました。剣鉾が戻ってきたのです。秋空に金色の剣鉾が良く映えます。




帰りは、神宮道を下がって青蓮院まで来ると、青蓮院の石段の前に人が集まっていました。神輿が青蓮院に入るため、急な石段を登る様子を見る人達でした。神輿が勅使門までの石段を登り始めると、掛け声も大きくなります。歓声や拍手の中、神輿が青蓮院の中に入っていきました。なかなか見応えが有りました。勅使門は、天皇が来られたときと粟田祭の時にしか開けられないのだそうです。




このお祭りは、神社と寺院が合同で行う神仏習合の形が残されているようです。
知恩院の黒門の前から華頂通を歩いて帰りました。黒門の前には「瓜生石」があります。この石は「知恩院の七不思議」の一つで、知恩院が建立される前からあり、「この石から瓜が生えてきたとか、石の下には二条城への抜け道が有るとか、隕石だ」等の言い伝えが有るようです。黒門から少し下がった道路の真ん中に、石柱で囲まれています。



帰りに通った白川は昨日も来た場所ですが、綺麗な風景でしたので写真を取ってきました。

明日、長野に帰りますので、今回最後の散歩でしたが、歴史ある「粟田祭」を見ることが出来て「大満足」の街歩きになりました。この次に京都に来るのは、紅葉が見られる時期になると良いのですが。
今日の歩数は、9,898歩。