【続き】
安倍:たったキャリア数年でね、4年くらいかな、4年か5年で。ただモスクワオリンピックの代表だったんで残念ながらね・・・
田村:出れなくなったんですよね。
安倍:出れなくなったんですよねぇ、岡崎さんって人だったんですけども。ただ、私の場合は才能が無くてね、結局、これは才能がないな、ってのは1年で気付いただけでも(笑)。
田村:そんな早くわかりました?(笑)
安倍:これはね、かなり才能の部分が大きいんですよ、アーチェリーってのは。
田村:才能の部分ってのはこの、なんですか、その・・・。
安倍:この、当てる勘なんですね。当てる勘がない選手はダメなんです、相当練習しても。ただまぁ、やり始めたからにはもう、と思って4年間やりましたけども。
田村:1年で才能がないのに気付いたのに、4年間はやったんですか。
安倍:そういう意味では私はまぁ、しぶといんですよ(笑)。
(スタジオ内爆笑)
安倍:ま、なんとなく「しぶとくないんじゃないか」というイメージが強いかもしれないけど(笑)
田村:しぶといですねぇ。
安倍:しぶとい時にはしぶといですよ。今アーチェリー連盟の私は会長やってますけどね。
田村:え、そうなんですか、じゃ今もやられる時は・・・。
安倍:まったくやってないんですが(笑)。だから選手としてはダメだったんだけども、その後総理大臣になったということもあってですね、会長に就任・・・。
田村:すごいですね。
安倍:久々にやったのがね、さんまさんの番組に出てね、さんまさんとアーチェリー対決、というのをやったんですけどね(注:2006年4月28日のフジテレビのバラエティ番組)。
田村:やったんですか。
安倍:やりました。
永野:さんまさん、できるんですね。
安倍:あの人は運動神経いいですね。私は絶対負けるわけにはいかないな、と。
田村:そりゃそうですよ。
安倍:その段階で私はアーチェリー連盟の会長でしたからね(笑)。
田村:まずいですね、アーチェリー連盟の会長負けるわけにはいかないですね(笑)。
安倍:で、やっぱりそれは、勝ちましたね。
田村:見事・・・。
安倍:ええ、そらもう悠々と。でも緊張してましたね。
田村:相当震えたんじゃないですか手元は。
安倍:非常に緊張しましたよ(笑)。その時私が勝ったら、焼き肉をご馳走してくれるという話だったんですけどね。
田村:それ実行してもらいました?
安倍:まだご馳走してもらってません(笑)。
田村:じゃ、僕言っときますよ(笑)。しかと伝えておきます。
永野:ま、そんなこんないろいろあって、で、衆議院議員の話に入りたいんですけども。何かこう、ここで出ようというきっかけなり、今がタイミングだ、っていうものはあったんですか?
安倍:私が会社勤めて数年たったところでですね、親父が外務大臣になりました(注:1982年の第一次中曽根内閣)。自分も政治の世界に入ったのは、祖父が外務大臣になったときに、秘書官になったと、その時のは非常にいい経験になったと。ということでですね、私にも「お前もう辞めろ」と、こう言われまして私も迷ったんですが、まぁやっぱり、夢である政治家を目指そうと、ニッポンという国をもっともっと良くしていく仕事がしたいと思いましてね、それで会社を辞めて、親父の秘書官になって、親父の秘書を約9年間務めました。
田村:ほぇー、9年・・・。
安倍:9年。で、そして9年目に、親父が病を得て他界した後ですね、親父の志を継ごう、と決意をしたんですね。特に親父の最後の1年間、ガンになって厳しい状況だったんですが、それでもなんとか、ニッポンと当時のソビエト、今のロシアですね、の平和条約を結ぼうと、北方四島の問題を解決をして、と。もう命を削ってものすごく、この2月、厳冬のモスクワまで行ってですね、交渉したりしました。その姿を見て、自分も生涯をこの仕事に懸けようと、そう決意をしまして。で、親父が死んだ後の選挙に立候補しました(注:1993年の第40回衆議院議員総選挙)。親父が死んでから2年間あったんですがね。その間、選挙運動をずっと、展開をしまして、淳さんの家のあるへんもね、ずーっと挨拶をね、ぐるぐる回りましたけどね。
田村:彦島もたぶん回って・・・。
安倍:ええ回りましたよ。
永野:ヒコットランドも・・・。
田村:へー、なっかなか聞けないですよこんな、貴重なお話。
永野:もうステップいま聞いてますからね、総理になるまでの今の。
田村:そうですよ。
永野:淳さん、最終目標は総理ですからね。
安倍:なるほど。
(スタジオ内爆笑)
田村:あれですよ、あくまでも大きな夢ですよ、それは(笑)。
安倍:この番組を始めた意図が、初めてわかりましたね。
田村:そうです。いや僕、全く政治に疎いんで、とりあえず勉強しようということで、今この番組で勉強させてもらってるんですけども。
安倍:順調に進んでますか。
田村:順調に進んでます。だって、安倍さんにもこうやって来ていただくようになった番組になったっていうことは、当然、近づいてると言って・・・。
安倍:近づいてますね。
田村:はい。
安倍:あんまり民主党の人は呼ばない方がいいな(笑)。
(スタジオ内爆笑)
永野:呼んじゃいましたよね(笑)。
田村:もう呼んじゃったんですよ1回。
安倍:あ、もう呼んじゃった。
田村:でも大丈夫です、その方、名古屋市長をやられるっていうふうに・・・。
安倍:あ、名古屋市長をやるね、名古屋弁の人ですね。
田村:名古屋弁のかたです(笑)。
永野:さぁあの、総理になってからのお話もちょっとお伺いしたいんですが、なった瞬間といいますか、すぐの段階では、どう思われるんですか?「やったー!」なのか、「いやこれから大変だな」のほうなのか・・・。
安倍:そりゃもう、「これから大変だな」と思いましたね。非常にやっぱり緊張しますよ。自分の判断で、最終的なことが決まっていくからね。
田村:そうですよね、全部決めていかないといけないですもんね。
安倍:そりゃやっぱり、国民の生命と財産を、自分の責任で担っていかなければいけないと、国民の生命と財産を守るのは最終的には自分なんだと。そのことを考えると本当に、ものすごく緊張してまぁ、震えるような、そんな気持ちになりますよね。
田村:でもやはり、政治家になったからには、総理大臣という職はやってみたい、という気持ちはやっぱりあったんですよね。
安倍:やはり政治家になるってのは、これをやりたいとか、あれをやりたいっていう気持ちがありますね。で、物事をやっていく上においてはですね、権力を持たないと、例えばその仕事ができるポストに就かない限りできませんね。で、総理大臣というのは最終的な責任者ですから、やはり「こういうことをやりたい」ということを実現するためには、みんなやはり総理大臣になりたい、と。
田村:そうですよね。
安倍:ま、ですから、マックス・ウェーバーという有名な政治学者(注:19世紀末から20世紀初頭にかけて活動した、ドイツの社会学者・経済学者)がね、「いわば政治というのは権力に近づいていこうという行為だ」と、こう言ってるんですね。それはまぁ、自分が権力者になって威張りたいということではなくて、権力者にならなければ物事を実現することが出来ない、とこういうことなんですね。私の場合は15年、政治経験15年で総理になれましたけれど。で、親父を見ていてですね、30年とにかく死に物狂いでやっても残念ながらなれませんでしたね。で、親父の努力を見ていて、自分が果たしてなっていいんだろうか、という思いはありましたね。ましかし、なったからにはとにかくやるべきことをやっていこう、と。もちろん、身が打ち震えるような思いであったと同時にですね、それまでにやることを決めていましたんで。
田村:なったらこうしよう、と。
安倍:これをやろう、あれをやろうと。で、これ早速じゃぁ、今日からやっていこうと、いう気持ちの両方だったですね。
田村:なった日からガラリと変わるんですか、生活は。
安倍:生活はガラッと変わります。
田村:もうなった瞬間に。
安倍:これは例えばですね、分かりやすい話があるんですが、総理の権力が移動するのはね、衆議院の本会議場で、首班指名選挙というのを行いますね、この瞬間に変わるんですね。例えば私が総理を辞任する、ということを発表した段階では総理のままなんですね。で、私から福田さんに変わるのはですね、首班指名選挙で変わるんです。で例えばまぁ、総理大臣の時には例えば警護の人たちが40名近く付いていて・・・。
田村:そんなに・・・。
安倍:で、秘書官の人たちもたくさんいてですね、車も車列を組んで行くんですね。その状況でですね、総理官邸から本会議場に行きますね。で、私が辞めるときの話ですが、で首班指名選挙で福田さんが選ばれます。で本会議場から出ていくとですね、もう誰もいないっていう・・・。
田村:え、一気に一人になるんですか!?
安倍:そうなんですね。
永野:まる、丸腰ですね。
田村:今まで、40人のSPとかいたのが、もう終わったら・・・。
安倍:まぁ一人は付きますけどね。一人は付くんですが、あともちろん車もありませんし。
田村:車もなくなるんですか。
安倍:なくなります。
田村:一気に増えて一気になくなる、もう環境がガラッと変わるんですね。
永野:そんな具体的なお話をこの後も引き続きお伺いしたいんですが、ちょっとこの辺りで1曲、リクエスト曲をお届けしたいと思います。
安倍:私が中学時代か高校時代だったかな、ファンだったキャロル・キングの歌で、「You've Got A Friend」。
田村:では曲を聴いていただきたいと思います。どうぞ。
【You've Got A Friend/Carole King】
【ジングル】
永野:今日は元内閣総理大臣、自民党衆議院議員の安倍晋三さんをゲストにお招きしております。
田村:はい。
永野:総理大臣って、ものすごくこう、全然もちろんもう想像付かないんですが、プレッシャーがすごいと思うんですよね、さっきも仰ってましたけど。気が休まることってのは総理の時にありました?
安倍:本当にホッとするって時はほとんどないですね。えーこれはもう、土日も含めて、ずーっと公務が続いているという気持ちですね。例えば大地震とかそういうことは土日にも起こることはありますし、実際起こりましたしね、ですから常に緊張していますね。それとまぁ一日の行動が全てオープンになりますしね。
永野:なりますね。
田村:もう誰かに絶対に知られてるということですよね。
安倍:そういうことですよね。ですからある意味では、外に出るとずーっとこうたくさんの、番記者の人たちが取り巻いていますし、なにか本屋に行ってもですね、何を買ったかということまで(笑)、流れますよね。
(スタジオ内爆笑)
田村:バレちゃうんですか?
安倍:そうですよ。ですから淳さん、大丈夫ですかそうなっても。厳しいでしょう。
田村:いや~そこまでは・・・じゃ全くないんですか自分の時間は。
永野:岩盤浴も行けないでしょ?
(注:下記ニュース参照)
ロンブー淳 元首相経験談に「岩盤浴行けない」(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
田村:岩盤浴行けないとかそれいいんですけど(笑)。自分の自由な時間みたいなのはないんですか。
安倍:その、監視をされながら、やるってことですね。
田村:監視をされた中の自由、ってことですか。
安倍:そうですね、だから例えば、私も総理の時に1回だけゴルフをやったんですが、そうしますと最初のティーショットはテレビカメラで(周囲笑)写されるわけですよ(周囲笑)。
田村:うぇー緊張しますねそれ(笑)。
安倍:まぁプロの人がね、打つんだったらいいですよ、しかし、こちらはまぁ、チョロみたいなこともあるわけですよ(笑)。テレビカメラの前でチョロでもしたらね、恐らく何回もそれをね、放映されるんだろうなぁと。
田村:そりゃそうですよ。
安倍:そうでしょう? だからそれはやっぱり緊張しますねぇ。
田村:そりゃ緊張しますねそのティーショット。それ、上手くいったんですか?
安倍:それは上手くいきましたよ(笑)。
田村:さすが、勝負強い。
【続く】
安倍:たったキャリア数年でね、4年くらいかな、4年か5年で。ただモスクワオリンピックの代表だったんで残念ながらね・・・
田村:出れなくなったんですよね。
安倍:出れなくなったんですよねぇ、岡崎さんって人だったんですけども。ただ、私の場合は才能が無くてね、結局、これは才能がないな、ってのは1年で気付いただけでも(笑)。
田村:そんな早くわかりました?(笑)
安倍:これはね、かなり才能の部分が大きいんですよ、アーチェリーってのは。
田村:才能の部分ってのはこの、なんですか、その・・・。
安倍:この、当てる勘なんですね。当てる勘がない選手はダメなんです、相当練習しても。ただまぁ、やり始めたからにはもう、と思って4年間やりましたけども。
田村:1年で才能がないのに気付いたのに、4年間はやったんですか。
安倍:そういう意味では私はまぁ、しぶといんですよ(笑)。
(スタジオ内爆笑)
安倍:ま、なんとなく「しぶとくないんじゃないか」というイメージが強いかもしれないけど(笑)
田村:しぶといですねぇ。
安倍:しぶとい時にはしぶといですよ。今アーチェリー連盟の私は会長やってますけどね。
田村:え、そうなんですか、じゃ今もやられる時は・・・。
安倍:まったくやってないんですが(笑)。だから選手としてはダメだったんだけども、その後総理大臣になったということもあってですね、会長に就任・・・。
田村:すごいですね。
安倍:久々にやったのがね、さんまさんの番組に出てね、さんまさんとアーチェリー対決、というのをやったんですけどね(注:2006年4月28日のフジテレビのバラエティ番組)。
田村:やったんですか。
安倍:やりました。
永野:さんまさん、できるんですね。
安倍:あの人は運動神経いいですね。私は絶対負けるわけにはいかないな、と。
田村:そりゃそうですよ。
安倍:その段階で私はアーチェリー連盟の会長でしたからね(笑)。
田村:まずいですね、アーチェリー連盟の会長負けるわけにはいかないですね(笑)。
安倍:で、やっぱりそれは、勝ちましたね。
田村:見事・・・。
安倍:ええ、そらもう悠々と。でも緊張してましたね。
田村:相当震えたんじゃないですか手元は。
安倍:非常に緊張しましたよ(笑)。その時私が勝ったら、焼き肉をご馳走してくれるという話だったんですけどね。
田村:それ実行してもらいました?
安倍:まだご馳走してもらってません(笑)。
田村:じゃ、僕言っときますよ(笑)。しかと伝えておきます。
永野:ま、そんなこんないろいろあって、で、衆議院議員の話に入りたいんですけども。何かこう、ここで出ようというきっかけなり、今がタイミングだ、っていうものはあったんですか?
安倍:私が会社勤めて数年たったところでですね、親父が外務大臣になりました(注:1982年の第一次中曽根内閣)。自分も政治の世界に入ったのは、祖父が外務大臣になったときに、秘書官になったと、その時のは非常にいい経験になったと。ということでですね、私にも「お前もう辞めろ」と、こう言われまして私も迷ったんですが、まぁやっぱり、夢である政治家を目指そうと、ニッポンという国をもっともっと良くしていく仕事がしたいと思いましてね、それで会社を辞めて、親父の秘書官になって、親父の秘書を約9年間務めました。
田村:ほぇー、9年・・・。
安倍:9年。で、そして9年目に、親父が病を得て他界した後ですね、親父の志を継ごう、と決意をしたんですね。特に親父の最後の1年間、ガンになって厳しい状況だったんですが、それでもなんとか、ニッポンと当時のソビエト、今のロシアですね、の平和条約を結ぼうと、北方四島の問題を解決をして、と。もう命を削ってものすごく、この2月、厳冬のモスクワまで行ってですね、交渉したりしました。その姿を見て、自分も生涯をこの仕事に懸けようと、そう決意をしまして。で、親父が死んだ後の選挙に立候補しました(注:1993年の第40回衆議院議員総選挙)。親父が死んでから2年間あったんですがね。その間、選挙運動をずっと、展開をしまして、淳さんの家のあるへんもね、ずーっと挨拶をね、ぐるぐる回りましたけどね。
田村:彦島もたぶん回って・・・。
安倍:ええ回りましたよ。
永野:ヒコットランドも・・・。
田村:へー、なっかなか聞けないですよこんな、貴重なお話。
永野:もうステップいま聞いてますからね、総理になるまでの今の。
田村:そうですよ。
永野:淳さん、最終目標は総理ですからね。
安倍:なるほど。
(スタジオ内爆笑)
田村:あれですよ、あくまでも大きな夢ですよ、それは(笑)。
安倍:この番組を始めた意図が、初めてわかりましたね。
田村:そうです。いや僕、全く政治に疎いんで、とりあえず勉強しようということで、今この番組で勉強させてもらってるんですけども。
安倍:順調に進んでますか。
田村:順調に進んでます。だって、安倍さんにもこうやって来ていただくようになった番組になったっていうことは、当然、近づいてると言って・・・。
安倍:近づいてますね。
田村:はい。
安倍:あんまり民主党の人は呼ばない方がいいな(笑)。
(スタジオ内爆笑)
永野:呼んじゃいましたよね(笑)。
田村:もう呼んじゃったんですよ1回。
安倍:あ、もう呼んじゃった。
田村:でも大丈夫です、その方、名古屋市長をやられるっていうふうに・・・。
安倍:あ、名古屋市長をやるね、名古屋弁の人ですね。
田村:名古屋弁のかたです(笑)。
永野:さぁあの、総理になってからのお話もちょっとお伺いしたいんですが、なった瞬間といいますか、すぐの段階では、どう思われるんですか?「やったー!」なのか、「いやこれから大変だな」のほうなのか・・・。
安倍:そりゃもう、「これから大変だな」と思いましたね。非常にやっぱり緊張しますよ。自分の判断で、最終的なことが決まっていくからね。
田村:そうですよね、全部決めていかないといけないですもんね。
安倍:そりゃやっぱり、国民の生命と財産を、自分の責任で担っていかなければいけないと、国民の生命と財産を守るのは最終的には自分なんだと。そのことを考えると本当に、ものすごく緊張してまぁ、震えるような、そんな気持ちになりますよね。
田村:でもやはり、政治家になったからには、総理大臣という職はやってみたい、という気持ちはやっぱりあったんですよね。
安倍:やはり政治家になるってのは、これをやりたいとか、あれをやりたいっていう気持ちがありますね。で、物事をやっていく上においてはですね、権力を持たないと、例えばその仕事ができるポストに就かない限りできませんね。で、総理大臣というのは最終的な責任者ですから、やはり「こういうことをやりたい」ということを実現するためには、みんなやはり総理大臣になりたい、と。
田村:そうですよね。
安倍:ま、ですから、マックス・ウェーバーという有名な政治学者(注:19世紀末から20世紀初頭にかけて活動した、ドイツの社会学者・経済学者)がね、「いわば政治というのは権力に近づいていこうという行為だ」と、こう言ってるんですね。それはまぁ、自分が権力者になって威張りたいということではなくて、権力者にならなければ物事を実現することが出来ない、とこういうことなんですね。私の場合は15年、政治経験15年で総理になれましたけれど。で、親父を見ていてですね、30年とにかく死に物狂いでやっても残念ながらなれませんでしたね。で、親父の努力を見ていて、自分が果たしてなっていいんだろうか、という思いはありましたね。ましかし、なったからにはとにかくやるべきことをやっていこう、と。もちろん、身が打ち震えるような思いであったと同時にですね、それまでにやることを決めていましたんで。
田村:なったらこうしよう、と。
安倍:これをやろう、あれをやろうと。で、これ早速じゃぁ、今日からやっていこうと、いう気持ちの両方だったですね。
田村:なった日からガラリと変わるんですか、生活は。
安倍:生活はガラッと変わります。
田村:もうなった瞬間に。
安倍:これは例えばですね、分かりやすい話があるんですが、総理の権力が移動するのはね、衆議院の本会議場で、首班指名選挙というのを行いますね、この瞬間に変わるんですね。例えば私が総理を辞任する、ということを発表した段階では総理のままなんですね。で、私から福田さんに変わるのはですね、首班指名選挙で変わるんです。で例えばまぁ、総理大臣の時には例えば警護の人たちが40名近く付いていて・・・。
田村:そんなに・・・。
安倍:で、秘書官の人たちもたくさんいてですね、車も車列を組んで行くんですね。その状況でですね、総理官邸から本会議場に行きますね。で、私が辞めるときの話ですが、で首班指名選挙で福田さんが選ばれます。で本会議場から出ていくとですね、もう誰もいないっていう・・・。
田村:え、一気に一人になるんですか!?
安倍:そうなんですね。
永野:まる、丸腰ですね。
田村:今まで、40人のSPとかいたのが、もう終わったら・・・。
安倍:まぁ一人は付きますけどね。一人は付くんですが、あともちろん車もありませんし。
田村:車もなくなるんですか。
安倍:なくなります。
田村:一気に増えて一気になくなる、もう環境がガラッと変わるんですね。
永野:そんな具体的なお話をこの後も引き続きお伺いしたいんですが、ちょっとこの辺りで1曲、リクエスト曲をお届けしたいと思います。
安倍:私が中学時代か高校時代だったかな、ファンだったキャロル・キングの歌で、「You've Got A Friend」。
田村:では曲を聴いていただきたいと思います。どうぞ。
【You've Got A Friend/Carole King】
【ジングル】
永野:今日は元内閣総理大臣、自民党衆議院議員の安倍晋三さんをゲストにお招きしております。
田村:はい。
永野:総理大臣って、ものすごくこう、全然もちろんもう想像付かないんですが、プレッシャーがすごいと思うんですよね、さっきも仰ってましたけど。気が休まることってのは総理の時にありました?
安倍:本当にホッとするって時はほとんどないですね。えーこれはもう、土日も含めて、ずーっと公務が続いているという気持ちですね。例えば大地震とかそういうことは土日にも起こることはありますし、実際起こりましたしね、ですから常に緊張していますね。それとまぁ一日の行動が全てオープンになりますしね。
永野:なりますね。
田村:もう誰かに絶対に知られてるということですよね。
安倍:そういうことですよね。ですからある意味では、外に出るとずーっとこうたくさんの、番記者の人たちが取り巻いていますし、なにか本屋に行ってもですね、何を買ったかということまで(笑)、流れますよね。
(スタジオ内爆笑)
田村:バレちゃうんですか?
安倍:そうですよ。ですから淳さん、大丈夫ですかそうなっても。厳しいでしょう。
田村:いや~そこまでは・・・じゃ全くないんですか自分の時間は。
永野:岩盤浴も行けないでしょ?
(注:下記ニュース参照)
ロンブー淳 元首相経験談に「岩盤浴行けない」(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース
文化放送「ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB」(木曜後9・00)に安倍晋三元首相がゲスト出演し、収録が10日、東京・浜松町の同局で行われた。19日に放送される。ロンブーの田村淳(35)は「総理大臣が夢」と小学校の文集に書いていたが、安倍氏が「総理になると1日の行動がすべてオープンになり、外に出ると多くの番記者に囲まれる」という話を聞くと「う~ん」と苦しそうな表情。1月に写真誌に松嶋菜々子似モデル風美女との岩盤浴デートが報じられており「岩盤浴も行けない」と漏らした。収録後、「これまでは、友達とご飯を食べに行って書かれるとその時の彼女に申し開きが大変だったが、今回はその必要がない」と本命と認めた。
田村:岩盤浴行けないとかそれいいんですけど(笑)。自分の自由な時間みたいなのはないんですか。
安倍:その、監視をされながら、やるってことですね。
田村:監視をされた中の自由、ってことですか。
安倍:そうですね、だから例えば、私も総理の時に1回だけゴルフをやったんですが、そうしますと最初のティーショットはテレビカメラで(周囲笑)写されるわけですよ(周囲笑)。
田村:うぇー緊張しますねそれ(笑)。
安倍:まぁプロの人がね、打つんだったらいいですよ、しかし、こちらはまぁ、チョロみたいなこともあるわけですよ(笑)。テレビカメラの前でチョロでもしたらね、恐らく何回もそれをね、放映されるんだろうなぁと。
田村:そりゃそうですよ。
安倍:そうでしょう? だからそれはやっぱり緊張しますねぇ。
田村:そりゃ緊張しますねそのティーショット。それ、上手くいったんですか?
安倍:それは上手くいきましたよ(笑)。
田村:さすが、勝負強い。
【続く】