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オレに模型を作る時間をくれぇ~っ!

安倍元首相出演ラジオ番組の文字起こし(2)

2009-02-22 22:15:09 | 政治経済
【続き】

永野:ではさっそく本日のゲストをご紹介しましょう。元内閣総理大臣、自民党衆議院議員の安倍晋三さんです。こんばんわ。
安倍:どうぞよろしくお願いします。
田村:お願いしまーす。
永野:よろしくお願いします。
田村:うわ~、来てくださいましたよ~。
永野:はい(笑)。
田村:はい、よろしくお願いします。初めまして、なんですけど、ウチの母が一度、安倍さんに・・・。
安倍:そうなんですよ、それは私の地元のね、彦島、オオタ造船という会社の前を歩いていたらね、突然、軽(自動車)が止まって、お母さんが降りてこられてね、「私は淳の母です!」(笑)
田村:申し訳ないです(笑)。
安倍:初めてお目に掛かって・・・よく似ておられますね。
田村:そうですね、似てる・・・。
永野:そうなんですか。
安倍:目とか・・・似てるんですよ。
永野:その時いきなり「淳の母です」って仰ったんですか?
安倍:ええ、で、「淳の母」って言われたんでね、淳さんってどの淳さんだろうって(笑)。
田村:そうですよね、いきなり「淳の母」って・・・。
安倍:でもロンドンブーツっていえば、わかったんだけど。だんだん「あ、そうだ」ってことがわかってね。あ、彦島だし、って思ってね。
田村:申し訳ないです。んとに、なんかホント嬉しそうに、ウチの母ちゃんが写ってる写真を、この前見せられたんですけど。
安倍:もうあの、彦島始め下関の皆さんはね、大変期待してますから。
田村:僕ですか?
安倍:たまには帰ってきてくださいよ。
田村:いえいえいえ、まぁそうですね、帰りたいですけど・・・。僕、期待されてます?そんなに。
安倍:いやぁ、期待されてますよ。
田村:そうですか。
安倍:彦島のン大臣として・・・(笑)。
永野:偉人ですか(笑)。
田村:偉人ではないんですけど(笑)。
永野:芸人の方向なのか、それとも将来日本を背負って立つというほうの、なんかどっちで・・・。
安倍:まずは芸人の・・・。
永野:あ、まずは。
田村:そうですよね。
安倍:方向ですね。
田村:ええ、そりゃそうですね。
安倍:下関出身では波多陽句さんなんかもね。
田村:そうですね。
永野:あ~ぁ。
安倍:下関出身なんですけど。
田村:波多陽句のほうが進学校ですからね、豊浦高校っていう。
安倍:豊浦高校だったんですか。
田村:はい。僕は下関中央工業っていう。
安倍:あ、中央工業ね。
田村:はい、ほとんど大学に行かない人が行く学校なんですけど(笑)。
安倍:彦島っていうね、地域の人たち、団結力の強い、地域のね。
田村:そうですね、下関のほんと端っこにある、ちっちゃい島なんです。
安倍:もちろん橋架かってますけどね。「ヒコットランド」っていう(笑)。
田村:「ヒコットランド」って言われてます(笑)。
永野:なんですかそれ(笑)。
安倍:これあまり、彦島以外の人にはわからない話なんですけどね。
田村:そうなんですよね。ヒコットランド、ヒコットランドって言われたんですけど。その、みんながバカにして言ってるのは、高校生になるまで僕もわかんなかったですけどね。
永野:でもそれ語源はスコットランドじゃないんですか?
田村:スコットランドからなんですけど。
永野:じゃぁすごいじゃないですか。
田村:すごいですけど・・・(笑)。
安倍:かつてね、長州藩が、英国を始めね、四ヶ国と戦争をした時に(注:下関戦争、1863・1864)、この和平協定の時にね、イギリス側は彦島をね、イギリスに99年間租借しろと、香港みたいに、申し入れたんですよ。
永野:ええーっ!
安倍:それを高杉晋作が断ったんですよね。
田村:へえええーっ!
安倍:それだったらもう1回戦争しましょうと言って、で、イギリスが折れたんですよ。だからもしあの時にそうなっていたら、あすこ、彦島が香港みたいになってましたからね、淳さんもイギリス国籍だったかもしれない。
永野:そうですよ、英国の・・・(笑)。
田村:オレ、イギリス国籍(笑)。あの島がイギリス国籍の可能性があったんですか。
安倍:可能性があったんですよ。
田村:じゃあ高杉晋作さんに守られたんですね。
安倍:守られたってことですね。
永野:でも逆に、イギリスが欲した島ですよね。
安倍:そりゃそうですね。そりゃあのぉ、朝鮮半島にも近いしね。非常に戦略的にも重要な場所だと思ったんでしょうね。
田村:そうですね。ただ、思ったよりデカイですからね、彦島っていう島が。
安倍:大きいですよ。それは、大きな造船所とかね、三菱重工とかたくさんありますね。
田村:まさかここで歴史のお勉強ができるとは。ありがとうございます。
永野:たぶん「ヒコットランド」という言葉が、ずっと放送で出てなかったんじゃないですかね。
田村:出てないんじゃないですか。
永野:この先も出ないかも知れない、貴重な言葉ですよね。
田村:そうですよね、ヒコットランド出身の僕が(笑)。
永野:あの、以前奥様にはこの番組に来ていただいたんですが、その時に、安倍さんご自身がよくお笑いの番組もご覧になるとお聞きしたんですけど、本当ですか。
安倍:そうですね。たまに気分転換で見ますけどね。
田村:へー、僕の番組とかも・・・。
安倍:見たことありますよ。
田村:あります!?
安倍:こりゃぁ教育に良くないなぁ、と思ってね(笑)。
(スタジオ内爆笑)
田村:やめてくださいよ(笑)、安倍さんが言うと影響力あるんですから。守ってくださいよ(笑)。ただでさえ叩かれてるんですから、ウチの番組。でも見てもらってるということだけでもね、すごいですよ。じゃ、最近だと「お笑いレッドカーペット」とか、ご覧になったことありますか?
安倍:あのー、たまにね。あと「エンタの神様」とかね。
田村:はいはいはい。
安倍:あと昔、「ボキャブラ天国」だっけ、ああいう新人が出てくる番組っていうのがね、ああいった人たちってものすごいエネルギーがあるじゃないですか、勢いとかね。
田村:行くぞー、みたいな気持ちがありますから。
安倍:ああいう人たちのチャレンジを見てると、楽しいですよね。
田村:なるほど、僕はもう「ボキャブラ天国」世代なんで。「ボキャ天」から出てきましたから。
永野:ものすごいアピールしてますね、今(笑)。
田村:そういう番組も出てたんですよ、っていう(笑)。教育上良くない番組だけじゃないっていう(笑)。
安倍:あれレベル高かったですよね、「ボキャブラ天国」はね。
田村:そうですね、あの時ホント、あすこで出てた芸人さんが、今いろんな番組持ってますから。
安倍:爆笑問題なんかもねぇ。
永野:はぁー。
田村:くりぃむしちゅーさんも海砂利水魚って名前で出てましたからね。
安倍:あれはネタを作るのも大変でしょ、あれは。
田村:僕、でもその収録の日に、行って楽屋でいつも作ってましたよ。この言葉はこれに似てる、みたいな。
安倍:すごいねそれは。はぁ~。
田村:何回か取りましたよ、あの大座布団みたいなの。
安倍:そうですか。
田村:あのまた、VTRお送りします。僕があの、大賞取った時のVTR(笑)。
安倍:最初から才能あったんだね。
田村:いや、とんでもないです。
永野:じゃちょっと、淳さんのお話はちょっと置いときまして、今日の、安倍晋三さんのほうから、プロフィールを今さらなんですが、簡単にご紹介させていただきましょう。1954年のお生まれ、山口県のご出身です。成蹊大学の政治学科を卒業後、会社員、そしてお父様、晋太郎元外務大臣の秘書などを務めて、衆議院議員になられました。第二次森内閣、そして小泉改造内閣で官房副長官、そして自民党の幹事長、また第三次小泉内閣で官房長官を務めて、平成18年9月、自由民主党総裁に就任し、第90代内閣総理大臣を務められました。もうちっちゃい頃から、周りの環境からして、将来は政治家になろうと思われてたんですか?
安倍:ま、親父も政治家で、父方の祖父も母方の祖父もね、政治家だったんで。割とその、親父の職業ってのを最初に、職業として意識するじゃないですか。それがまぁ、自然だったんですかね。ただまぁ、私が小学校2年生の時に、親父が選挙に落選しましてね(注:1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選)
田村:あ、そうなんですか。
安倍:そうなんですよ。で、家族みな大変だったんですよ。政治家は選挙に落選するとその日から収入もないし、仕事ないんですから。ですから、家の中も暗いしですね。だから、これはやっぱり、政治家ってのは大変だなぁとその時思いましたね。
田村:あの、落ちてるイメージが全くなかったですけどね。
安倍:その後は親父も選挙は強かったですからね。落選して3年8ヶ月間、落選時代がありましたね(注:1967年の第31回衆議院議員総選挙で復帰)。だから淳さんなんかはまだ若いからさ、親父が、まだその時代はまだ産まれてないと思うんですよね。その後ずっと選挙強いころ、しか恐らく知らないんだと思うんですよね。
田村:そうですね、安倍さんの看板はもう下関、もう至る所で見てますから。すごい、だから落ちてるイメージは全くなかったですね。
安倍:とまぁ、政治家ってのは大変だなぁと思いましたね。だから、親父が次の選挙で復活したときは嬉しかったですね。
田村:もう、記憶が今でもちゃんと・・・。
安倍:今でも鮮明でね、当時私が、友達やなんかがね、みんな「親父今度は大丈夫かなぁ」なんて言うわけですよ(笑)。
田村:だってその前落ちてるわけですからね(笑)。
安倍:で、また(聞き取れず)でやだなぁと思ってたら当選したんでね、嬉しかったですね。友達やなんかとみんなで、選挙速報なんか見てね、小学校6年生だったですもんね。
田村:へー、うわ、その身内の状態で選挙速報見るって、またこれドキドキしますねぇ。
安倍:まぁドキドキしますよ。あの時ほんとドキドキしましたね。
田村:でも、今度ご自身が選挙に出て、ってことになっていくわけですよね。
安倍:そりゃもう自分の時のほうがもっとドキドキしますよ(笑)。
田村:そうですよね、受かるかどうかっていうのは。
安倍:そりゃそうですよ。
永野:最初に、その前に会社員になられましたけど、その時にはどんなお仕事されてたんですか?
安倍:私は神戸製鋼という製鉄メーカーの社員でしたね。最初は加古川製鉄所っていう製鉄所に約1年くらい勤務して、そのあと冷延鋼板っていう自動車用の薄い板ですね、自動車用だけではないんですが、薄板の輸出、東南アジア向けの輸出を担当してましたけどね。非常にやり甲斐があって楽しかったです。割と冷延鋼板っていう分野ではね、神戸製鋼は後発メーカーだったもんですから、あまり先輩がいないんですよ。先輩がいないってことはけっこうやりたいことができるんですね。
田村:そうですね、自由にやれる(笑)。
安倍:自由にやれると。ですから、割と私も自由にやってましたね。
田村:のびのびと(笑)。
安倍:のびのびと。ですから結構この輸出の営業では、自分で言うのもなんなんですがね、相当の成果を・・・(笑)。
田村:そうなんですか?(笑)
安倍:上げたとね、自負してますが。で、いつもこの、一番大きな会社は新日本製鐵ですね、で、新日鐵が相手だとファイトがわくんですね(笑)。
田村:やっつけてやる!と。
安倍:やっつけてやろうと。で、その頃ね、ラグビーでも・・・。
田村:強かったですね~。
(注:新日鐵釜石ラグビー部は1978年から1984年まで日本選手権7連覇。1986年に神戸製鋼に敗北する)
安倍:強いじゃないですか。で、ラグビーでも負けてるんでね、本業でも、向こうは全然大きいんだけども、「せめてオレくらいは勝つぞ」みたいな感じでね、あのー、なかなか楽しかったですね、毎日張りがあって。
田村:安倍さん、何かスポーツやります?
安倍:私はね、大学時代アーチェリー部だったんですよ。
田村:アーチェリー部。
安倍:アーチェリーってのは非常にこの、マイナーなスポーツなんですが、マイナーなスポーツのほうがね、いわば・・・。
田村:またやる気が起きるんですか(笑)。
安倍:ええやる気が起きるんですね(笑)。その、大学に入って何か運動部に入りたいなと思ったんですね。そしたらアーチェリーの人たちが勧誘に来てね、アーチェリーってのはこうね、オリンピックに出れる可能性もありますよなんて言われてね。
田村:えーと競技人口が少ない分、出やすいと(笑)。
安倍:出やすいと。層が薄いですから。で、確かにその通りでね、私の学校の後輩の、1年後輩の女の子がね、オリンピック選手になれましたよ。
田村:えーっ!

【続く】


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