歴史は生き物だってことが、この方たちには判らないのでせうかね。
沖縄戦集団自決、検定巡り岩波書店と大江さんが抗議 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
今までの教科書が岩波書店や大江氏の主張のみを取り上げて書かれていた、っていうだけなんですけどね。それを覆す説が出てきたら記述を変えるのは当たり前だと思いますが。それが歴史の研究ってもんです。だいたいが、文科省は『「日本軍による自決命令などなかった」と書き直せ』と言ってるわけぢゃないんですが。
それに、歴史ってのは裁判で決めるものなんですか? 違うでしょ。そもそもこの裁判はあくまでも「名誉毀損」が争われているわけですよ。その判決次第で沖縄戦の歴史が決まるなんてことがあったら、歴史学者の立場がありません罠。
あーアレだ、岩波書店と大江氏は、「『沖縄ノート』は不磨の大典であり、間違っている箇所などあるはずがない、書かれている一言一句全てが正しいのだ」と言いたいわけね。orz
沖縄戦集団自決、検定巡り岩波書店と大江さんが抗議 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
高校日本史の教科書検定で、沖縄戦の集団自決に「日本軍の強制があった」とする表現に検定意見が付き、修正が求められたことに対し、「命令はしていない」と主張する旧陸軍の元少佐らと民事訴訟で係争中の岩波書店、作家の大江健三郎さんは4日、抗議文を伊吹文部科学相に送付した。
抗議文では「元少佐側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは誠に遺憾で、強く抗議する」としている。
元少佐らは、集団自決を命じたなどと記述された大江さんの書籍などで名誉を傷つけられたとして、大江さんと出版元の同社に賠償などを求めた訴訟を大阪地裁に起こし、「自決を命じたことはない」と意見陳述した。文科省は、記述の修正を求めた理由の一つに、この意見陳述を挙げ、「日本軍による命令や強要があったかどうかは明らかでなく、沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」として意見を付けた。
同日の記者会見で同社側は「訴訟は継続中で、原告の意見だけで修正が行われるのは信じられない」と話した。
(2007年4月4日21時5分 読売新聞)
今までの教科書が岩波書店や大江氏の主張のみを取り上げて書かれていた、っていうだけなんですけどね。それを覆す説が出てきたら記述を変えるのは当たり前だと思いますが。それが歴史の研究ってもんです。だいたいが、文科省は『「日本軍による自決命令などなかった」と書き直せ』と言ってるわけぢゃないんですが。
それに、歴史ってのは裁判で決めるものなんですか? 違うでしょ。そもそもこの裁判はあくまでも「名誉毀損」が争われているわけですよ。その判決次第で沖縄戦の歴史が決まるなんてことがあったら、歴史学者の立場がありません罠。
あーアレだ、岩波書店と大江氏は、「『沖縄ノート』は不磨の大典であり、間違っている箇所などあるはずがない、書かれている一言一句全てが正しいのだ」と言いたいわけね。orz
今後ともよしなに。(^o^)/
で、火のないところに煙を立てるってのは、まさに朝毎の得意技(笑)。“従軍慰安婦”なんか大成功ですわな。凸(`、´メ)
>>F-4EJ改さん
自らの「言論の自由」「表現の自由」「思想信条の自由」を振りかざす人ほど、他人の「言論の自由」「表現の自由」「思想信条の自由」に無頓着なんですよねぇ。(´ー`)フウッ
「通りすがりの(略)」じゃハンドル長すぎるのでハンドル名改めました。
>んーどなたなんでしょ?(^^;;
名乗るほどの者ではございませぬ。さほどアクティブでなかったですし、活動期間も短かったですし。
>「訴訟の決着が着いていない」ことを理由にすること自体がナンセンスなんです。
なるほど、仰るとおりですね。この裁判ってあくまで名誉毀損が争点で、この判決をもって歴史問題に決着が付くわけじゃありませんし。それ以前にそもそも歴史的真実か否かは裁判が判断するものではありませんしね。
百人斬り訴訟の件、ご教授ありがとうございます。
「百人斬りが有ったか無かったかは問題じゃない」「両少尉の話を元にした記事が新聞に掲載されたのだから、その記事に基づいて本を書いた本勝は名誉毀損にあたらない」という判決なわけですか。
戦中に朝日・毎日の記者に乗せられて彼らに受けの良い話をしてやったら、戦後になってその記事を元に先般として処刑された挙句、60年を過ぎた今も残虐な日本軍の例として名誉回復もままならず、さらに日本軍の悪行(本当に有ったのかどうかわからない)をほじくり返してるのが朝日・毎日だってのは何とも皮肉な話ですね。
これはいわゆる「9条教」信者と同じメンタリティなんでせう。しかも大江氏は「沖縄ノート教」の“教祖”なわけですから、自らが記した“教典”の価値が下がるとマズイわけですな(嘲笑)。
>>元F模住人さん
んーどなたなんでしょ?(^^;;
で、記事中の裁判ってのはまさにソレですがな。そもそも歴史は裁判所の判決で作られるわけではないんですから、「訴訟の決着が着いていない」ことを理由にすること自体がナンセンスなんです。なぜなら、この訴訟は「名誉毀損」が争われてるんですから。極端な話、この訴訟で岩波&大江連合が勝ったとしても、歴史の事実はそれとは別に存在する場合もあるんですけどね。そのいい例が「百人切り訴訟」ですわな。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hyakuninngiri.htm
とにかく、岩波&大江連合はもっと柔軟な物の見方をしたほうがよろしいかと。「沖縄ノート」は歴史書ではありませんし、単なるひとつの意見に過ぎないのですから。
終戦直後、困窮する渡嘉敷島の島民が援護金を受けるには「軍命令があったということにしてほしい」という懇願を赤松大尉の一存で、ありもしなかった軍命令があったことにされたということがあったわけで。
この照屋氏の証言がそれなりに信憑性を評価され、「軍命令による集団自決」に疑義が呈された結果、今回の教科書の一部訂正に相成ったのではと。
こういう経過を見るに付け、大江氏の「一少佐の証言を元に書き換えを行った」という主張は論点を摩り替えているように思えます。
決して大江氏の裁判だけで教科書修正を判断したわけじゃないでしょうし、仮にその裁判が教科書修正に影響を与えているにしても、係争中で決着が付いたいない限り、歴史的真実と疑わしきは掲載しないという判断は健全なものだと思われます。
すいません、夜中に起き出して書いた故に支離滅裂な内容になってしまいました。
それが「俺達は絶対的に正しい!」という「念仏ヘーワシュギシャ」クオリティーwww
ついでに「俺達は絶対正義だから何をしても許される」と言うのも、「念仏ヘーワシュギシャ」クオリティーwww