新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

『かなしき女王』 あざらしの娘

2010年05月12日 | 読書
  わたしはさびしい小さい子
  たましいのない子
  神はわたしを家もない波のようにおつくりなされた
  あてもない波のように

  わたしの父はあざらし
  人間の身を変えたあざらし
  母は父をいとしう思うた、人間の
  姿でもない父を

  父は波を立てて母を沈めた
  母は波に乗って父を浮かせた
  まぼろしの陰でわたしは生れた
  暗い海のみなそこで

 『かなしき女王 ケルト幻想作品集』(フィオナ・マクラウド、松村みね子訳)より、「海豹」。

こんなストーリーだ。
 高徳の修行僧コラムは、重い心を抱いて、月夜の海辺を疲れ悲しみ歩いていた。老いたる聖者は、この世界のすべてに祝福を与えてきたはずだった。断食もし祈り続けてきた。それなのに、聖者は呪われていた。

 かつて黒い大きな海豹を捕らえ、弟子の僧たちと一緒になって、十字架にかけたあの日から。黒きアングウスと呼ばれたその海豹は、人間の女に罪を犯したのだ。それは呪文によって姿を変えさせられた人間であった。しかしそのために、霊魂を持たぬ海族の子がひとり生れている。

 そとはすばらしい夜だった。砂のほとりまで来て、老僧は立ち止まった。岩の上に一人の女の子が腰かけている。その子は裸体で、やわらかい月光いがいには、何も身にまとってはいなかった。両手に大きな貝を持って、その貝に口をつけている。彼女はうたっていた。それは聴くに痛みを覚えるほどの美しい歌だった。たましいのない子のさびしい歌を。

  照る陽の青いうつくしいあいだは
  わたしはみどりの波間にすべり泳ぐ
  ひるまのうちはかなしい陸は
  わたしの眼にはいらない

  やみが波の上に来れば
  わたしは貝を持って陸に来る
  岩に腰かけてわたしは
  さびしい歌をうたう

  おおわたしがうたう狂わしい歌はなに
  あやしい暗いこころの歌は
  わたしは霊のない子、わたしは海の波
  霊のない子のうたをうたう


 『かなしき女王』は大正時代の翻訳作品と思えないほど、今読み返しても、みずみずしく新しく美しい。

 歌人・片山廣子は、佐々木信綱門下の女性歌人として、『心の花』(俵万智も所属する、近代日本でも最も歴史あるらしい短歌結社)の中心的歌人だった。彼女が第一歌集『翡翠』を発表すると、「唖苦陀」の筆名で『新思潮』に批評が載る。当時帝国大生の芥川龍之介だった。

 翻訳家としての筆名「松村みね子」は、ある雨の日の電車の中で、目の前に座った少女の傘に記されていた名だったという。

 「才力の上にも格闘できる女性に遭遇した」(『或阿呆の一生』)。

 片山廣子は芥川龍之介の〈最後の恋人〉と目されている。みね子が所有していたマクラウド全集は、歿後、日本女子大に寄贈されたが、本書『かなしき女王』の底本である第二巻だけは欠巻になっている。消息不明のこの本は、芥川に献呈されたらしい。最後に判明している所蔵者により、芥川の蔵書印があったことが確認されている。

 芥川龍之介が王朝ものに取り組んでいくのも、片山廣子が大正文壇に翻訳・紹介した、イエイツらのアイルランド文芸復興運動の影響ではないかと、井村君江は指摘する。この指摘はとても重要なものだと思われる。彼女と同年生れの歌人である与謝野晶子も、同じ頃、『源氏物語』の現代語訳に取り組んでいたからだ。これは決して偶然のしわざではあるまい。

 「死があたかも一つの季節を開いたかのやうだった。」

 堀辰雄の『聖家族』の冒頭を飾るこの「死」は、芥川龍之介の死であり、「少年」は堀辰雄、夫人とその娘は片山廣子・總子(ふさこ)母子がモデルだったことは、よく知られている。しかし『聖家族』『菜穂子』のモデル總子が、私がその本を手に取った頃にはまだ存命で、「宗瑛」という筆名で活躍した若手女性作家だった過去は、きょう、初めて知った。

http://shop.kodansha.jp/bc/books/hon/0507/index02.html

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