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路地の親和力 『日本の路地を旅する』上原善広 

2010年08月07日 | 読書
 『日本の路地を旅する』上原善広(文藝春秋)


 〈中上健次はそこを「路地」と呼んだ。--「路地」とは被差別部落のことである〉

 長い間、こんな本を待ち望んでいたように思います。大阪更池に生まれた筆者が、中上健次の故郷・新宮まで、日本全国500以上の〈路地〉をめぐり歩いた13年の記録です。
 
 「でも今はきれいになっているからガッカリするんですって。そう言われても、複雑ですけどねえ」

 新宮市の中上健次の資料担当職員の言葉。中上健次の生家を訪ねたファンは、こざっぱりした住宅地に変貌した新宮の路地を見て、そんな感想をもらすのだとか。『被差別の食卓』という名著もある筆者は、路地の伝統料理について聞きます。すると、少年時代の健次はカレーライスばかり食べていたというエピソードが飛び出してきます。家にいつでも作りおきしてあって、それであんなに太ってしまったのだとか(オカイサンの話は出なかったのかな?)

 カレーライスはインド料理をお手本にした、限りなくフィクションに近い無国籍料理。これは偶然ですが、日本の路地もルーツを遡れば、インドのカースト制度の思想にたどり着きます。牛を神聖視するネパールで、上位カーストと最下層のカーストだけは、牛肉を食べることができたのは、将軍家・御三家などの大名周辺と、かわた者だけが牛肉を口にできた江戸時代の構図と同じでした。

 カレーライスで育った中上はフィクションの物語を書き連ねる小説家になり、路地の伝統料理のあぶらかすで育った筆者はノンフィクション作家の道を歩んだ……というのは、いささか牽強付会ですが、おもしろい視点です。隆慶一郎の小説に出てくる傀儡子の香辛料の利いた肉・魚・野菜のごった煮が美味そうで、カレーライスのルーツだよなと思ったことがあるからです(あれはフィクション作品ですが)。

 さて、筆者の旅は故郷の大阪・更池に始まり、まず最北の路地をめざします。そこで出会うのは太鼓職人たち。ねぷたの太鼓は馬皮で、津軽三味線も犬の皮だそうです。

 「差別とかはないけれど、されたら山の方へ逃げるから平気だ」

 これは弘前の太鼓職人の親方のことば。皮をなめす際の猛烈な臭気がクレームになりやすい作業場を山に移すというだけの意味か、それとも文字通りの意味なのか。青森は山の神を信仰するマタギの習俗が身近なんだなと思いました。

 北海道にもかつて路地があったというのは、初耳でした。幕末の函館開港がきっかけだそうです。イギリス・アメリカの要求で、牛を屠り牛肉を生産するために路地の人々が呼び寄せられたのです。

 東北の路地はほとんどが城下町に限定されるのも、武具の製造のために皮革加工の職人集団を必要としたからでした。

 西日本に移って、やはりいろいろ違いますね。お笑い文化がこれだけ発展を遂げたのも、上には天皇のようなものもいて、被差別もあって、陰に陽に抑圧があるからだと思います。若い人でも意外に神さん仏さんを大切するのも、〈穢れ〉や〈清め〉の伝統意識が残っているからでしょう。毎年初詣に行くようになったのも、業にいれば郷に従えで、大阪に移り住んでからです。

 狩猟の伝統が強い東国では、穢れに対する忌避感は少なかった。武家政権ができて、鎌倉のようなミニ京都ができてから、差別-被差別も西国から移植されて来たものだと思います。弾左衛門に摂津国から移って源頼朝に仕えたという家系伝説があるのも、西国から大勢の職能民が移ったのは事実なので、根拠のないことではありませんでした。

 東日本では被差別部落を見たことがないという人が多いのも、そんな歴史が関係しているのでしょう。私もその一人でした。出身者でも、結婚まで知らないということが増えているようです。

 関西でもやはり変わってきているようです。1973年生まれの筆者の世代には、深刻な差別体験はないといいます。結婚のときはさすがに考えざるをえない。しかし一生に何度もあるわけでない結婚差別の心配をするよりは、〈部落〉を背負ったことによる間接的な影響力が大きいと語り、ある人のこんなことばを引用しています。

 「この現代に被差別部落があるかといえば、もうないといえるだろう。それは土地ではなく、人の心の中に生きているからだ。しかし一旦、事件など非日常的なことが起こると、途端に被差別部落は復活する」

 佐渡島に北朝鮮の工作員が潜んでいたという一件で、記者の聞き込み取材に町の人たちが名前をあげたのは、古い路地だったといいます。過疎が進み、そこにはもう数人の高齢者しか住んでいないというのに。

 大阪・更池の肉屋さんに生まれただけあって、食肉産業の歴史やエピソードは、勉強になることばかりでした。牛肉偽装問題も、同和対策事業が終わった後、更池の肉屋さんの多くが転廃業を余儀なくされた……という同対事業の功罪を背景に考えないといけないのでしょう。

 しかし青森と岐阜、滋賀と東京のように、路地と路地のネットワークにも瞠目します。山口では身分違いの恋で投獄された久子と吉田松陰の獄中で交わした純愛など、司馬遼太郎の小説には出てこないもう一つの維新史にも出会うことができます。無邪気な子供たちの姿にもほっとします。
 
 読後感を一言でまとめるなら、「路地の親和力」でしょうか。誤解を恐れずにいえば、路地は面白い、美しい、楽しい。これは同時に差別はつまらない、みにくい、楽しくないという巻き返しを含むものです。時に感傷に走りすぎるのが玉に瑕でしょうか。しかしこの世界は路地なしに始まり、路地なしに終るのだとしても、私は中上健次の次の言葉を思い出したのでした。
 
 「ここは時間の吹きだまりである。敗れた者は、太古以来の時間が折り重なったこの隠国に不死の人としてある。魂を叫[おら]ぶ者の声さえ聞こえればいつでもこの隠国から、日の国、この現在の日本に眼ざめ出ていく事は可能である」
(『紀州 木の国・根の国物語』)
 
 死んだ中上も巨体を振るわして眼ざめ出してきそうな、魂を揺さぶる一冊。

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