新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

地域猫サポーターからプロレタリア独裁へ

2023年06月19日 | 日記
先週末の山行きは、ほんとうに楽しかった。あこがれのモリアオガエルも、その卵もその目で見て、さわって。カエルさんたちと交流して、そのあとは六甲最高峰をめざして。れんちゃんのレポートがいまから楽しみです。


しかし山道を17キロ歩いて、さすがに疲れました。休憩すると蚊にたかられるので、ほとんど立ちづくし、歩きっぱなしでした。水辺の生物観察会も、立っての参加です。結局、7時過ぎに山に入り、19時前に金の湯に着くまで、座ったのは5分か10分かそこらでした。

山あるきは楽しいですが、虫のひどさには閉口します。真夏の農作業に慣れるために始めたハイキングですが、今から夏本番が思いやられます。


日曜は、朝酒を飲みつつ労組の仕事をして、今年初めてのエアコンの電源を入れ(電力代が安いというドライモードです)、昼寝していました。


目覚めたのは17時過ぎ。疲れていたのか、ぐっすり寝てしまいました。


携帯をみると、地域猫の「くろちゃん」のお世話を続けるSさんからショートメールが入っていました。

どうやら相談があるようです。

私の職場の立体駐車場が、しばらく、くろちゃんのダイニングキッチンでした。Sさんとの出会いも、えさやりの現場に鉢合わせ、「お気持ちはわかりますが、倉庫に入られて困っているんですよね」とお話したのが初めてです。倉庫にたむろする猫さんたちが、製品に足あとをつけたり、うんちやおしっこをされたりするのに、困っていました。

私の部署は、この倉庫と天井裏でつながっていて、深夜残業していると、「チューチューチュー」というネズミの悲鳴、追いかけるどたばた走る足音が聞こえてきたもので、「トムとジェリーの世界だなあ」なんて思っていたものです。

猫さんたちがどこから出入りしているのか、長年謎でした。しかし、トイレに入って小用を済ませていると、いきなりくろちゃんが目の前のエアコンの室外機に飛び降りてきました。

外に出て見上げると、ぱっと見はわからないのですが、プレハブ屋根の一部に間隙ができています(1960年竣工のオンボロ倉庫なのです)。「猫は液体」とはよくいったものです。5センチか10センチあるかどうかという、あんな狭い隙間から出入りしていたとは。今ではこの侵入口は塞いでいます。くろちゃん、ごめんね。

会社の隣に住む社長は猫好きで、「僕の家の庭にもよく来るよ」と、地域猫サポーターさんたちの活動を黙認していたようですが……。


先々週の金曜日、「猫の餌やり禁止」「私有地につき立ち入り禁止」という張り紙が出されてしまいました。

社長と親しいクライアントの社長さんが、地域猫の保護活動を支援しており、それにかこつけ、地域猫のサポーターさんを応援するところまではいかなくても、邪魔はしないように持っていきたかったのですが……。

今まで見て見ぬふりをしてきた総務が実力行使に移ったのも、それなりに理由があるのでしょう。毎朝の清掃スタッフの堪忍袋の緒が切れたのか、文句をいう同僚がいたのか、近隣の住民からクレームが入ったのか。いずれにしても、会社としても対応せざるをえなくなったと考えられます。

以前は、弊社の周辺には、法律上の地権者がいるとしても、中世史家の網野善彦ふうにいえば、事実上の「無主の地」がたくさんありました。地上げで住民が退去したマンションが、くろちゃんとそのきょうだいたちの遊び場でした。

くろちゃんがこのブログに初めて登場したのは、この解体工事が始まる前でした。以前から弊社の立体駐車場はくろちゃんのお気に入りの場所でした。
このマンションの解体工事が始まり、緊急避難の場として、猫さんにやさしい社長さんの黙認のもと、弊社の立体駐車場が新しいダイニングキッチンになりました。

しかし、世の中には猫が嫌いな人、そうした善意の活動そのものを否定する人もいます。

長年、地域猫の面倒を見てきたSさんに、こころないことばを投げつけられることもあるようです。


地域猫は、去勢や避妊手術済みで、一代限りです。せめて安らかにおだやかに人生を送らせてあげられないのか。


Sさんを初めとした古株のサポーターのみなさんは、張り紙が出てからは、弊社の敷地には立ち入っていませんが、弊社の警告など、おかまいなしの方々がいらっしゃいます。

Sさんが懸念しているのは、張り紙を出してもなお、堂々と弊社の敷地内でえさやりを続ける人たちの存在です。掃除して片付けたいと思っても、自分たちは立ち入ることができない。しかし私は従業員ですから、敷地に立ち入ることができます。労働安全衛生環境委員で、環境美化のためですから、会社に文句をいわれることもないでしょう。

「でも、これからどうしましょう」

7年間、くろちゃんをお世話してきたSさんの問いかけに、私もどうしたらいいのか、答えを出すことはできませんでした。

猫がきらいな人たちにも、こっそりごはんを上げられそうな、弊社に隣接するモータープール(駐車場)は、くろちゃんが苦手な茶トラくんの縄張りです。茶トラくんは年下ですが、女の子のくろちゃんは、こわがって駐車場に近づかないのだそうです。

みんなの農園に連れて行って、昨年亡くなった紀州犬のまるちゃんにかわり、イノシシ番、シカ番をやってもらおうかな? 

うーん。

くろちゃん、こわがりだから、あまり役に立たないかな。私が通えるのは週に1回で、えさや水が持つのかという問題もあります。それに、住み慣れたこのまちがいいよね。

日曜はくろちゃんのライバル、茶トラくんのサポーターさんをご紹介いただき、早朝出勤もあるその方から、くろちゃんの寝場所らしき場所を知ることができました。

むかし、エロ本の自販機が設置されていた場所で、今では粗大ごみの不法投棄場になってしまった空き地です。まさに「無主の地」です。木が鬱蒼と茂っていて、とりあえず雨はしのげます。少し安心しました。

今日、昼休みに見に行くと、「管理物件」の張り紙がされ、立入禁止になっていました(法的には無主の地ではなかったわけです)。かろうじて、自動車を一台置けるかどうかというスペースで、今後も買い手がつくのかどうか、よくわかりません。しばらくこのままでいてほしいなと思います。

日曜日のくろちゃんは、Sさんの差し出したチュルは食べたけれど、いつものシーチキンごはんや、私の差し出したカリカリには見向きもしませんでした。きっとどこかでごはんをせしめたのでしょう。


おなかペコペコのときには、あんなに甘えてくるのになあ。私がカリカリを差し出しても、無視して、プイッと行ってしまいました。でも、尻尾はピンと立てていたので、機嫌そのものは悪くなかったようです。そんなところが、また、かわいくて仕方ないのですが。

さて、ここで、不穏なタイトルの説明に戻ります。

「地域猫サポーターからプロレタリア独裁へ」

ブリーダーでもあるK氏が、このブログの常連だったとき、あるエントリのコメント欄に残したことばです。

最近、このことばを思い出し、「あれはどういう意味だったのか」と考えることが多かったです。

猫とプロ独がどう結びつくのか。

あれは、どういう意味だったんだろう?

K氏と私たちは、お互い無縁でした。たまたま結びつけた方々がいたわけですが、その方々とK氏も私も疎遠になり、交流が途絶えています。しかし、疎遠になっただけで、別に仲違いをしたわけではありません。今から電話して「あれ、どういう意味だったん?」と聞いたら、親切に教えてくれるでしょう。

しかし、いきなり電話するのもなあ。

過去ログをさかのぼり、K氏のコメントをサルベージしました。

以下原文のまま。


「サポーター制度は行政からの庶民への接近ですね。
逆に徹底した公務員のワークシェアリングで庶民の方から行政に侵食してもプロ独に近づいていけるのではないかと夢想したり(爆」

地域猫のサポーター制度を利用して、行政機能の一部を猫好きの人民で乗っ取り、名もなきネコさん好き人民によるプロレタリア独裁を既成事実として実行していく……というのが、同志K氏のシナリオだったようです。

これは楽しい夢です。

10年ちょっと前は、これが可能な情勢にみえました。

しかし、いまは、大阪市の行政現場をみても、パソナの非正規職員で占められてしまい、「お友だち資本主義」「縁故主義」による独占ブルジョアの側から行政にたいする侵食のほうがひどいです。「ブルジョア独裁」が大手を振って横行しているのが現実です。

こうしたブルジョア独裁に対抗すべきプロレタリア独裁ですが、ざんねんながら、ソ連や中国や朝鮮やキューバなど、革命に勝利した国々においても、プロレタリア階級の独裁でなく、党の独裁、指導部の個人独裁を正当化する理論になってきたことは、否定し難い歴史の現実です。

れんちゃんも、チェコスロバキアからアメリカに亡命したピーター・シスの展覧会でみた絵本『THE WALL』に、帝国主義と同時にスターリン主義も打倒対象としてきた父親の考えや生き様に、いろいろ感じるものもあったようです。

しかし、猫サポーターからプロレタリア独裁をめざそうという、実践的共産主義者である同志K氏の夢と構想には、今も希望を感じます。

小さな人にとっては、自分より小さないのちを慈しみ、自分より弱いいのちと触れ合う喜びほど、大切な時間はありません。

今回参加した自然観察会でも、水辺に生きる昆虫と魚類や両生類と、ヒトとの違いがどれほどのものかという講師の先生のお話がありました。父娘ともに、深く感じ入るものがありました。今日の観察会、れんちゃんにも楽しんでもらえたようでなによりです。

生きること、いのちのよろこびの回復なくして、人間解放なんてありえません。革命もプロレタリア独裁も、その先にあるものなのです。

すべての人民に仕事と家と年金を、すべての外猫にアパートを!







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