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熱狂ロード①【高校野球】

2009年06月23日 | 熱狂ロード
実は私、かつて高校野球で甲子園を沸かしたKKコンビ(桑田真澄さん・清原和博さん)と同い年なのです。

出身高校は東京都墨田区・両国にある、日大一高です。
中・高一貫教育の男子校(現在は共学)で、付属の中学から通ってました。
学校のある土地柄やまわりの友人が下町の“祭り好き”が多かった影響から“文化祭実行委員”がやりたく、高校に進学するとすぐに生徒会へと入部しました。

高校2年になる頃「今年の野球部は強いらしい」という機運が学校中に広まり、応援団が無かったので、生徒会を中心に“有志の応援団”が結成されました。


期待通り「野球部」は、神宮第二球場を中心に開催された春季大会で見事に優勝し、その結果、夏の大会(甲子園・東東京予選)は第一シードとなり、トーナメントで常に神宮球場の1塁側で試合が行なわれることとなり「どうしたらもっとスタンドが盛り上がるか?」と皆で知恵を出しあい、当時の『東京六大学野球』観戦や『六旗の下に』を観覧して“応援団”を研究しました。


当時、神宮球場で配布されていた「応援歌集」

手前から、慶應、東大、明治、法政。


昼休みに校内放送で全校生徒に呼び掛けたり、告知チラシや応援歌集をガリ版でわら半紙に印刷(コピー機がまだ普及していなかった)して配布。
放課後には、体育部・文化部の各部にも声を掛け、学校周辺の商店へも呼び掛けて集客をしました。
もちろん、応援の練習も同時に行なっていました。

また応援歌(日大の第一、第二応援歌)しかなかったので、明治の「狙い撃ち」「ノックアウトマーチ」、法政の「チャンス法政(一高)」を使用させてもらうように各大学應援團へ交渉。楽譜を貰いに団室まで行きました。


わら半紙に印刷された、我が母校の「歌集」



そして更に神宮球場で六大学が使用している“応援台”も借してもらえるように明治大学應援團に交渉し、借りられることとなりました。
しかし、いざ応援台を借りると、その設置の大変さに高校生だった私たちは驚きました。
当時は台の裏側には東京六大学の6人の団長の名前が“墨文字”で刻まれていて、本当にその台の重さを感じ、扱いに緊張したのを覚えています。

台の設置が終わると、今度は球場の席の“雑巾かけ”です。
席をひとつひとつ拭きながら「どうぞ、こちらで応援おねがいします!」と一般のお客様までも声を掛けて、少しでも応援席の声援がまとまり野球部に届くようにしました。

そして試合開始には、応援台の隅に盛った“盛り塩”を団長が蹴り飛ばして校歌斉唱(明治リーダー部の真似です)。
しかし、この行為は「高校生らしくない」とすぐに高野連から注意をされ、また守備時に腕を組んでグラウンドを睨む行為も同時に出来なくなりました(今思えば応援台を使っているだけでも、応援団が無い相手校に対して、大変に失礼な行為でした)。

応援台を使用するにあたり、当時の明治大学應援團リーダー部の連盟代表の方が毎試合、保管している倉庫の鍵を開けるために決勝戦まで立ち会ってくださり、最後の決勝で甲子園出場が決まった瞬間は、私たちと一緒に涙してくれたのは今でも忘れません。


朝日新聞の「号外」


雑誌にも載りました。

「セブンティーン」表紙は手前・後藤久美子。後ろ・富田靖子。

取材も受けました!

実際に載ったのは「団長」だけでした。


甲子園では、1回戦、島根県代表の初出場校に勝ち、2回戦では東北高校と対戦。なんとあの大魔神・佐々木主浩投手と投げ合った末に敗戦しました。
優勝は木内監督が率いた茨城県代表の取手二高です。


甲子園お土産「ペナント」



その年の秋。明治大学は善波達也主将(現・監督)の野球部がリーグ優勝。
この時、初めて大学野球の優勝を目にしたのでした。



                  
去年、善波監督にサインを頂きました。

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2 コメント

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>べろちゃんさま (くりはら)
2009-06-25 01:44:42
コメントありがとうございます!

>最後のフィナーレで応援団員人形を持っていた団長さんがいましたが、明治の応援団員の分身だと思いました。

なるほど、そういう感じ方もあるのですね・・・(涙)。
明治の応援団のことは、この後、熱狂ロード【大学野球】編で、どこまで書こう(書ける)か悩んでいます。
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応援の心… (べろちゃん)
2009-06-24 19:14:26
大学選手権でお会いして、ブログたびたび拝見しています。わらさんやDanchoさんmそうですが、応援団の魅力に取り付かれています。

無償の母校愛...。

応援団をみていていつも最後に行き着く結論なんですが、母校の応援の為に応援団員が陰の分からないところでどれほど努力しているのかを考えると感動します。今回の投稿もそうですが、深く読みいってしまいました。

応援団員...最高です。

そして、六旗では母校・法政や東大の応援にも感激しましたが、明治の応援をみていて泣けました。事件以来、どんな思いでここまで来たんだろうと思うと、考えようによっては最高のステージだったかもしれません。最後のフィナーレで応援団員人形を持っていた団長さんがいましたが、明治の応援団員の分身だと思いました。

応援団員の熱き思いを考えると、自分の仕事で辛い事があっても頑張れます。秋も上京して、法政に限らず六大の応援団すべてを応援しようと思っています。
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