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熱狂ロード【エピローグ】

2009年07月07日 | 熱狂ロード
不定期で、しかもエントリーしても“記事は後から”な「熱狂ロード」シリーズも今日で最後になります。
私の「応援の原点」=「生い立ち」(プロフィール)。
そして、当ブログを開設した経緯が少し分かっていただけたかと思います。
お蔭様で、当ブログもちょうど1年を迎えることができました。ありがとうございます!


「野球好き」と「サッカー好き」の一考察

野球は9人の選手が集まって戦うスポーツ。
しかし実際に面と向かって戦うのは「投手」対「打者」の1対1。
それは個人競技と言ってもよい。

その個人の活躍がチームの勝敗を左右する。
打者「俺はチーム最強の4番打者!勝負しろ!」
投手「なにくそ!打てるものなら打って見ろ!」
と、そこには個人的なドラマが成立する。

しかしサッカーは、こうではない。
「いざ、勝負!」と言っている瞬間にも形勢は逆転。
常にボールの位置や敵と味方の布陣を確認してなければ、攻撃も味方同士の連携もグジャグジャになってしまう。

野球は「静」のスポーツ、サッカーは「動」のスポーツと、かの長嶋茂雄氏は語っている。
それだけに野球では、数少ない「動の瞬間」が大事で、サッカーでは「静の瞬間」をどのようにつくることができるかが大切である。
見る(応援する)者は、この点が大事!

また別の言葉で「野球」と「サッカー」の違いを表現すると、野球は「常に観客の存在するスポーツ」。サッカーは「観客ゼロの試合も存在するスポーツ」といえる。

たとえ客席に観客が1人もいなくても、野球にはベンチに座っている選手がいる。
控え選手がいなくても攻撃側の打者以外の選手は、ベンチに座って投打の対決をじっと見つめている。守備に就いている内外野の選手たちも、打席に向かう打者や、マウンドに立つ投手の一挙手一投足を見つめ続けられる。

サッカーは違う。
観客がゼロであれば、1人の選手が野球ほどに見つめられることはありえない。
だから野球の選手は、まず「見つめられること」に耐えられる性格でなければならないと思う。

「見られるのは恥ずかしい」とか、「目立つのはイヤ」などという性格では、もう、それだけで野球選手としては失格。
「他人に目立たないところでコツコツと自分の仕事をこなしたい」と思うような人物は、決して人間的に悪い人でなくても、社会的に優れた人格・尊敬すべき人格に思えても、残念ながら野球には向かない。

どんなに控えめで地味な、例えば送りバントの巧い選手でも、まず、見つめられることに耐え、他人の視線を跳ね返し、堂々と胸を張って、打席に、またはマウンドに立たなければならない。
さらに、そのように見つめられること、応援されることに喜びを感じるくらいの性格で、少々露出狂気味でなければ、一流の野球選手にはなれない。
ただし、プロとアマチュアでは、多少の違いはあります。

現役時代の長嶋茂雄選手をはじめ、その他多くのプロ野球選手を思い出せばわかる。
一流選手は誰もが自分をきちんとアピールすることのできる選手であり、見つめられること、注目されることの嫌いではない、否、大好きな!選手ばかりだ。

テレビでタレントとして活躍しているスポーツ選手に、元Jリーグのサッカー選手よりも元プロ野球の選手のほうが圧倒的に多いのも、うなずけます。

        ◇     ◇     ◇

お蔭様で神宮・明治応援で知り合ったお年寄り(明治OB)の方から、こんな冊子の手紙も頂ける様になりました。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凄い冊子 (わら)
2009-07-08 22:16:37
こんばんは

明治のOBや明治野球部を応援している方が作られているのでしょうがすごいですね。
ファンからすれば垂涎ものでしょう。

明治の強さの一端を見た気がします。

やはり、秋は要注意です。
返信する
>わら様 (くりはら)
2009-07-08 23:48:14
こんばんは!

「明治の強さの一端」というより、代々受け継がれた「伝統」のような気がします。
老若男女、どの世代でも受け入れるスタンド(応援席)なんだと思いますよ。
お蔭様で、いつも私もアツく応援させてもらってます。
あっ、このことが「強さの一端」になってるんですね。

秋もよろしくお願いします!
コメントありがとうございます!
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