2007年4月14日。
私の40回目の誕生日でした。
この日、朝から新聞、テレビ、ラジオで「ハンカチ王子デビュー!」「祐ちゃん先発!!」と連呼されていた。
「久しぶりに、神宮球場に行ってみるか」と、この時思ったのが始まりでした。
神宮球場に到着すると、内野席は満席。しかたがなく外野席へ。
試合はもう終盤でしたが、雰囲気は十分味わえました。
「応援団は、どうなのだろう」と、次なる好奇心が沸いた。
「明日も見に来よう。応援団を」
翌日、混雑する内野席で第1試合・慶應、第2試合・早稲田を見て、
「明治の應援團って、どうなんだろう」と、さらなる好奇心。
「来週も来よう!」
私が高校時代に観戦した応援とは、少し違っていました。
“チャンス・パターン・メドレー”を使って盛り上がっていたことです。
しかし、当たり前ですが6大学6様で、各校のカラーは昔と変わりありませんでした。
雑誌や書籍、インターネットで「東京六大学野球」や各校の「野球部」「応援団」を調べて、そこでDanchoさんをはじめとする多くの方々のブログにもたどりつきました。
そして第5週の「東大-法政」戦は引き分け試合。
翌日の3回戦には、東大応援(学生)席に入って応援していました。
春季リーグも終わり、突然、残念なニュースが・・・
この悲しいニュースを機会に、私の明治大学(應援團)に対する「応援する気持ち」は一段と高くなりました。
またこの年、サッカー五輪日本代表は北京を目指して頑張っていました。
サインはもちろん長友選手(明治大学)。
そして明大サッカー部が43年ぶりにリーグ優勝します。
※「やっぱり明治が№1」の横断幕は私の手作りです。
今まで、サッカーは「日の丸」を背負った日本代表の試合を中心に応援していました。
同じこの年、アジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)で「浦和レッズ」の活躍の試合を観戦していて、「浦和レッズ」がクラブチームのアジア№1となり、私もJリーグで応援できるチームを探すことに・・・。
現役明治大学生(当時)でありながら五輪日本代表でもある、長友選手が所属する「FC東京」を応援することに迷いはありませんでした。