手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

退院五日目

2015年03月13日 | Weblog

退院して五日目が過ぎた。

色々と仕事上の動きや、体力・気力の波動が安定せず

PCを開く気にならなかった。

病状的には、現在は痛み止めのみの服用で効果を得ている。

手術は「ステント留置術」といって、胆管の閉塞部位に管を通し、

胆汁が流れる道を確保し、よって黄疸の改善と食欲の回復を

図る処置だった。

食欲は回復したが、量はめっきりと減っている。

ただ、やはり体力は衰えており少し動くとつらい。

 

「余命三ヶ月」と言われて既に15日が経過。

残り二ヵ月半・・・。

もちろん三ヶ月が一年持つ者も居れば、

二ヶ月で幕を閉じる者も居るので

そこは何とも言えないが、取りあえずは三ヶ月を一区切りで

スケジュールを組む必要はある。

正直、頭のどこかに常に(三ヶ月)の文字が明滅しているが、

やらなければならない事をやるしかない。

みっともない終わり方は周りに迷惑を掛けるし、

掛けるにしても最小限にしないと。

 

今回の癌発症をよくよく考えてみると、

とても幸せな出来事だと思えなくもない。

強がりでなくそう思う。

理由は、お世話になった人達にきちんと挨拶が出来る時間が

取れたからだ。

不慮の事故で急逝すれば挨拶も出来ないし、

無残に変わった姿も見られたくはないが、

この病であれば、やせ衰えるかも知れないが原型を止めないとか、

包帯にまみれたとかはない。

そして、周りの人々もこころの準備ができるからだ。

見も知らぬ中野に来て14年位だと思うが、

この数週間で涙を流してくれた人が何人も居て、

とても有り難かったし、嬉しかった。

俺が知らぬ間に、俺の事を受け入れて愛してくれていた人々の存在は、

感謝以外の何ものでもない・・・。

抗癌ワクチンを口煩く勧める人、水素水が抵抗力を高めるからと

送ってくれた人、

酵母飲料を届けてくれた人・・・。

みんな俺を心配して、少しでも苦痛を和らげることを考えての事だ。

やはり俺は・・・幸せ者だとおもう。

もちろん、見えない形で支えてくれる人だって居る。

家族以外でこれほどに心配してもらえる人間は、

そうざらには居ないのではないか?

ともあれ、残された時間と過ぎた時間に感謝だな・・・。


無事に手術終わって・・・

2015年03月05日 | Weblog

入院以来ずっと続いていた点滴が、今夕やっと取れる。

なにせ、若い頃から手錠や腰縄に繋がれた経験から、

たとえビニールの管であろうと、繋がれるのは嫌いだ。

オペは上手くいったらしく、膵液も順調に流れ始めたようだ。

ただ、膵臓癌だからある意味で糖尿病のような血糖値が出て、

インシュリンの投与が必要になっている。

 

背中や鳩尾の痛みは癌部からの由来らしく、

今は何度も痛み止めを変えて、効果の高いものを模索している。

今日から麻薬系の痛み止めを使い始めたが、

これまでの数種より、はっきりと違う気がする。

そして今日、主治医から抗癌剤の説明も受けた。

最近の抗癌剤の副作用による苦痛の軽減薬は進んでいるから、

それほど心配しなくていい・・・みたいな事も言っていた。

だが、ネットで情報収集してみるとそうでもないようだ。

まぁ、治療する側と治療受ける側では物差しが違うから・・・。

さらに、抗癌剤の効果が出るのは、

確立的には百人あたり数人に過ぎないというデーターもあった。

 

やはり抗癌剤治療はやめておこう。

 

数年前に北陸朝日放送で俺のドキュメンタリが放送されたが、

「Sディレクター」が末期癌の俺の状況を知り、

また番組を作るという事で来週から取材に来る。

俺の体調が良くないから、一緒に酒は呑めないだろうが・・・。

まぁ、久しぶりに顔を合わせるから楽しみではある。


入院二日目

2015年03月03日 | Weblog

昨日入院して、点滴が続いている。

長い間、食事が摂れていなかったので、身体がだるかったのが

改善されている。

栄養とカロリーが補給されている証なのだろう。

 

今日の午後に手術だ。

カテーテルによる、ステント留置術という手技らしい。

うまくステント(筒)が入れば数日で食事も出来るようになる。

食事が摂れれば体力もつくし、気力も沸いてくる。

 

土曜日には北陸から長男が上京してきた。

さらに、奈良から昔あることで助けた女性とその息子・娘が

会いに来てくれた。息子も娘も随分と成長していた。

 

そして、土曜の夜は前にも何度か登場した宮本珈琲店

       http://www.miyamotocoffee.com/

のマスターの肝いりで、俺のお別れ会をしてくれた。

別に「余命三ヶ月」に対しての「お別れ」ではなく、

俺が北陸に戻ることへの「お別れ」だ。

 

誰も知り合いがなく、右も左もわからず、

それでも何とか自分の居場所を築いてきたが、

20人余りの参加をもらい、感謝の気持ちで一杯だった。

あるいは、思いがけない人が俺の現状を知って涙を流してくれて・・・。

本当に俺は幸せ者だとおもう。

 

身体のだるさが点滴で改善されてくると、空腹感も紛れてくるようだ。

とにかく、午後のステント留置OPで状況はかなり変わるはずだ。

スムーズに終わって欲しいものだ・・・。

そうすれば・・・喰える。

 

 

 

 


癌を愉しむ・・・

2015年03月01日 | Weblog

前回の更新で、俺がいま膵臓癌で肝転移・リンパ節転移である

事を書いた。

余命3ヶ月、延命の抗がん剤投与を受けても6ケ月と。

膵臓・肝臓の癌は見つかった時点でほとんどの症例で

手遅れだと言うが、俺もそうだった。

 

現在の俺の症状は膵臓の糜爛・腫れで胆嚢が圧迫され、

胆管が閉塞して胆汁の流れが止められ、食事が摂れない状態だ。

当然体力も落ちて、体重も著しく減っている。

そこで、この月曜に入院しカテーテル手術で胆管の拡張を行い、

自力で食事が出来るようにする。

カテーテルが上手くいかなければ開腹手術でバイパスを作る。

流れ的には、その後抗がん剤投与だが俺はそこはパスする腹だ。

抗がん剤の副作用に苦しんで3ヶ月生にしがみつく気はない。

終末期医療を享受して、笑って旅立ちたい。

とは言え、癌細胞の好き勝手にさせる気もない。

せめて、「来るなら来んかい!!」の気概は燃やすつもりだ。

ただ、余命宣告の事実は受け止めているし、

きちんと向き合っているつもりだ。

彼奴の思いのままにはさせないが、俺的には彼奴の動きを冷静に

客観視して、初めての事態と経験を愉しんでみようと思う。

 

終末期医療と並行して献体手続きをとり、

逝った後は俺の体を今後の医療の発展向上の素材にしたい。

役目が終われば骨で倅達のもとに帰るが、

すぐに散骨するように遺しておく。

 

運命に翻弄・・・なんて、馬鹿抜かせ!

俺は黙って流され弄ばれるほど軟じゃない!

 

終章からの始まりだ・・・。

 


突然の終章

2015年02月26日 | Weblog

長い間の更新放置だったが、突然ながら終章となる。

 

この最近まで特に大きな異変も自覚する事無く、日々を積み重ねてきたのだが、

半月ほど前から物が喰えなくなって、仕方なく病院に行った。

診察結果は、  膵臓癌・肝転移・リンパ節転移 の診断だった。

このまま放置すれば、一ヶ月で昏睡状態。

手術して胆汁の流れを確保し、抗癌剤治療をして六ヶ月の余命。

抗癌剤治療をしなければ、三ヶ月の余命との宣告!

 

膵臓が腫れ上がり、胆嚢を圧迫して胆管を流れる液の流動を妨げ、

食物の消化が出来ずに黄疸を発症している。

体力はどんどん落ちて、気力も萎えてきた。

抗癌剤を使っても、癌の治療と言うよりも「延命治療」ということであり、

いわゆる「末期癌」と言う診断結果だ。

一昨日の出来事・・・。

昨日、別の病院に行き診断を仰いだが結果はまったく同じ所見だった。

 

さて、どうしたものか・・・?

否、どうしたものかは決まっている。

一分・一秒を惜しんで、終末準備を整えるしかない。

抗癌剤治療、いわゆる延命治療はしない。

それは昔から決めていた。

とすれば、医者の言によれば「余命三ヶ月」と言う事になるが、

それはそれで現実なのだから、受け止め向き合うしかない。

67歳の誕生日まで持つかどうか・・・。

内心では「なにクソ! 1年は生きてやる」と思ってはいるが。

ともあれ、青天の霹靂としか言いようがない・・・。

 

思い返せば、俺は本当に幸せ者だ。

とりあえず、現実を数名の知人・友人にメルしたら、泣きながら電話をくれた人間が5~6人いた。

正直なところ、突然の死に直面する場面は何度も経験してきたが、

突発的な揉め事で、殺るか殺られるかの場面しかなかった。

このような場面は予想してないことで、筋書き違いもいいところだ。

俺的には余命宣告を受けた瞬間も、特に動揺も無く「おいおい、俺の段取りと違うやないけ」程度の

受けとめだった。

思い返せば、走り抜けた66年だった気がする・・・。

 

とりあえず、今後の更新が可能かどうか不明なまま、終わる・・・。


焼き鳥の鉄人 新宿通り店

2014年10月06日 | Weblog

可愛がっている若者が居る。

彼は焼き鳥チェーン店の店長を勤めている。

可愛がっていると偉そうに書いたが、

実はまだ数度しか会ってはいない。

しかし、初めて会ったときから今時の若者らしからぬ気配りと、

謙虚さが気に入って、彼が店長を勤めていた

焼き鳥の鉄人 下北沢店 に足を運んだことが数度あった。

その彼が、10月より新宿通り店に転勤と聞いたので、

激励の意味を込めて店に行った。

もともと、「1500円握りしめて来い!」というキャッチコピーの店なので

料金は非常に廉価だ。

従って客層も学生が多い。

 

さて、俺が新宿通り店に顔を覗かせたのは20時位だったろう。

満席に近い状態だった。

 

場所や店内の雰囲気などを書くのが目的でないから割愛する。

書きたい事は、そこで見た素晴らしく仕事の出来るバイトの娘だ。

何かしらネームプレートは付けていたが、

見る気も憶える気もないから憶えていない。

 

そのコはカウンターの一番手前の場所で、

次々に入る注文の品を、手際よく且つ迅速に作りながら、

同時に常に店内の状況や客の動向に眼を配っていた。

無駄のない動きと、目配り・気配りに驚嘆した。

衛生管理の為に、いわゆる衛生手袋をして調理しているのだが、

状況ごとに、その手袋を脱いだりはめたりと面倒がらずに実行する。

当たり前の事なのだが、なかなか出来ることではない。

 

年齢を訊くと21歳と言っていた様に思うが、

保育士を目指していると言う。

俺は「君は接客の方が向いている。 接客なら絶対に成功する」

思わず、そう言ってしまった。

いまどき、ああいった「出来る子」もまだ居るんだと実感!

 

マスクをしていたので、顔はよく見えなかったが女子バレーの

栗原 恵に似た目元が印象に残っている。

 

ただ、ああいった「出来る子」に限ってうまく使い回されて、

結果的に使い潰されやすいのが心配だ。

 

 

 

 


緑寿

2014年07月07日 | Weblog

本日、満66歳となった!

緑寿と言うらしい・・・。

30歳までには殺されるか、誰かを殺して死刑になるだろうと覚悟して

生きてきた俺が、まさか自分が想定していた寿命の倍以上

生きるとは!!

長い間ブログの更新はしなかったが、この9ヶ月の間に様々な事が

降りかかり、過ぎていった。

昨年4月から丸一年、ある事情から昼夜働いていたが、

結局は身体を壊してしまった。 それは初めから覚悟していた事だった。

更新をしなかった間、誰かに手を差し伸べたり、差し伸べてもらったり。

それなりに(現状)に向き合い、逃げる事もせずに戦って来た。

オレ自身の事でもないのに、ボロボロになるのを覚悟で自分自身に

挑戦し、格闘してきた・・・。

「もう、若くはない」と言う言葉を逃げ道にしたくなかったし、

俺は子供の頃から無意識に自分と闘ってきた習性があるのだ。

 

実は、このブログは放置していた訳ではなく、ほぼ毎日チェックは

していた。

当然、毎日の訪問者数やページ閲覧のログは確認していたのだが、

思うことを文章に纏める気力がなかったのが、真相だった。

書きたい事は多々あったのだが、疲れ過ぎて気力が萎えていた。

その「萎え」を人に見せないように、何気ない毎日に見せるのもシンドイ。

俺は、産まれ付いての意地っ張りで自分に負けたくないのだ。

簡単に「俺には無理!」とか、「俺には出来ない!」と言えたら

どんなにラクだろうと思う。

ところが俺は、

 「人間、それほど大きな違いは無い。 人に出来るなら俺だって

  出来るはず!」  そう思ってしまう・・・。

それが良いことなのかどうなのか?

 

  66歳・・・。

間違いなく言えるのは、持ち時間は永くはない・・・と言うこと。

残り少ない持ち時間で、何人の人間の幸せになる手伝いが出来るか?

俺は、俺色のままでもがきながらさり気なく生きるしかない・・・。

 

 

 


銭湯の排水順路

2013年10月15日 | Weblog

久しぶりに、銭湯に行った。

数年前まではよく通った銭湯で、昭和の風情がそっくり残った銭湯だ。

番台に座るオヤジさんも、昭和の臭いがムンムン・・・。

浴室の大きな壁には、定番の富士山と松林の壁絵が描かれている。

どういう訳か、東京でも大阪でも銭湯の経営者は北陸や新潟出身者が多い。

そんな話しを番台に座るオヤジさんと話しているうちに、

彼の娘が福井に嫁いでいると言う。

福井のどこに嫁いだのか訊いて見ると、なんと「芦原」だと答えた。

びっくり! 俺は芦原の隣町の三国に住んでいたからだ。

むろん、芦原はよく知っているし芦原温泉の飲み屋は、よく飲み歩いた。

今でも知り合いも多いし、年に数度は芦原に足を運ぶ。

そんな話しをするうちに、銭湯の男湯と女湯は女湯のほうが汚れがひどいと言う話になった。

化粧の汚れや髪の毛の長さが男と違うからだろう・・・と言う。

言われてみればそう思う。

今はどこの銭湯も浴槽の湯を節約し、さらに衛生面などの規制があるので、

循環ろ過器を使っているため、昔ほど汚れてはいないそうだが、

しかし興味深い事を話してくれた。

それは、銭湯の排水のことだ。

当然毎日大量の水を使い、同時に大量の排水を出す銭湯は配水管も太い。

そして、その配水管は男湯・女湯にそれぞれ既設されている訳ではなく、

実は繋がった一本の配水管だそうな。

さらに、その配水管はまず男湯の排水を流して、それが女湯に繋がっているらしい。

男湯から女湯を通って排水されるのだ。

これは、ほとんどの銭湯で同じだと言う。

「なぜ?」と尋ねてみたら、上記の「男湯より女湯のほうが汚れがひどいから・・」とのことだった。

なるほど・・・。

俺は、女は大好きだが女が化粧したりお洒落をするのは、

実は男より綺麗でないから、そしてその事を自身が本能的に分っているから、

その綺麗でない部分を隠すために装うんではないか?と、思っている。

その持論で解釈すると、配水管の順路もなんとなく納得できた。

今日の更新は、まったくの無駄話の更新・・・!


こころと身体のリンク

2013年08月25日 | Weblog

体調がすぐれない事は前回に書いた。

そして、昨年取りこぼした「国内旅行取扱管理者」の国家試験が、

二週間後に迫っている。

掛け値なしで言えば、まったく準備はできていない。

昼の仕事に加え、夜のバイトが大きく影響して受験勉強の暇がない。

やはり夜、寝ないで仕事をすると昼間は気力が失せてしまうのだ。

さらに追い打ちで健康に不安が出てきて、ダブルパンチ・・・。

頭の中は常に「眠い」状態で、気持ちも沈みがちだ。

当然、俺の持ち味の「ナニクソ」が湧いてこない。

体重は6キロ減・・・。

これまでのズボンのウエストがぶかぶかで、ベルトの穴も新たに開けている。

食欲は無くもないが、すぐに満腹で喰えなくなる。

もちろん、酒の量もいっきに減った。

もともとバイトを始めてからは呑む時間も無くなったのだが、

たまに呑んでも以前ほど呑めないし、すぐに酔ってしまう。

さらに眠くなってしまうのは、普段の睡眠不足が影響しているのだろう。

俺も65歳だからな・・・。

で、このところ感じるのは「こころと身体はリンクしてる」ということ。

健康でなければ気分も滅入るし、やる気も起きない。

勉強しても頭に入らないし、そもそも勉強する気が起きない。

でも、あと二週間しかないのだからそんな事も言っていられない。

モチベーションを掻き立てて、今年は何とかクリアして次に進まねば・・・。


健康・・・。

2013年07月27日 | Weblog

このところ、体調がすぐれない。

少し前からおかしくて、色々と検査したが結果も良いとは言えなかった。

気持ち的にも落ちている部分があるので、それも影響してるのかも。

俺にしては珍しく、かなりネガティブ思考に嵌っている。

国家試験まで、あと一ヶ月・・・。

何とか闘志を掻き立てないと、合格できないだろう。

去年のような燃えたぎるような闘志が湧いてこない、その原因と理由は分かっている。

だが、所詮は自分の荷物は自分で背負い、踏ん張るしかない。

こんな時、「だれか」が側にいてくれたらとか、居てほしいとか思うがその「だれか」にも

背負う荷物が有るのだから、期待してはいけない。

結局は何とか自己完結するしかないのだが、

気持ちの落しどころが見つからず、

混迷を深めているだけだ。

更新がひどくあいたのも、今回はそれが原因で、

愚痴や弱音を書きたくなかったが、シンドさに負けてついに弱音を書いている。

65歳。

65歳という年齢は、時にはかなり重い枷となる事を最近知った。

幸若舞、敦盛の一節の

    人生五十年。下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり。

     ひとたびこの世に生を受け滅せぬもののあるべきか

を思えば、俺はすでに15年余分に生きてきた訳だが、

この歳になってこれほどシンドイ思いをするとは、考えてもいなかった。

人生はシンドいのが当たり前とは思っているが、でも・・・シンドいぞ、俺・・・。