goo blog サービス終了のお知らせ 

Forza世界史 in Blog

心機一転となりますか。

青年トルコ党の革命

2005年10月25日 | 8期 授業のポイント
 1878年のベルリン会議でバルカン半島諸国の独立が国際承認されると、オスマン=トルコの解体は一段したかにみえた。しかし、1880年代になるとフランスなどの帝国主義国がオスマン領内に植民地を建設する動きが顕著になったきた。そのため再び改革の必要性に迫られ、ミドハト憲法の復活を目指す青年トルコ党の革命(サロニカ革命)が1908年に成功した。


チェック・ポイント
①時期
=1908年
②目的
=ミドハト憲法の復活
③青年トルコ党の目的(スローガン)
=ミドハト憲法の復活
④青年トルコ党の正式名称
=統一と進歩委員会(結成年=1889年)
⑤革命のきっかけ・原因
=日露戦争における日本の勝利が影響した
⑥中心人物
=エンヴェル・パシャ
⑦革命の中心地
=サロニカ(ギリシアの都市)
⑧影響
=ブルガリアが独立
=オーストリアが革命に乗じてボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。
⑨退位したスルタン
=アブデュル・ハミト2世