先日、熊本城の二の丸公園に行ってきました。
広くて気持ちのいい公園で、のんびりくつろいでいる人、ウォーキングに励む人、
子供と一緒に遊ぶ家族など様々でした。
(詳しくは公園散策人さんのブログでどうぞ♪)
二の丸公園の駐車場から見渡してみると、いろんな形の碑が結構あることに気づきまして、
一つ一つ見てみようと思い立ちました。
まずはコレ。
二の丸公園の由来が書かれた石碑です。
これは二の丸公園の駐車場にほど近いお堀側にありますので、
見つけやすいと思います。
内容は下記の通りです。
慶長十二年(一六〇七) 加藤清正熊本城を築き、このあたり二の丸に重臣屋敷を置く
寛永九年(一六三二) 細川忠利肥後領主となり熊本城に入る
宝暦四年(一七五四) 細川重賢二の丸に藩校時習館を開設
明治四年(一八七一) 廃藩置県後城内に鎮西鎮台が置かれる
明治八年(一八七五) 歩兵第十三聯隊が置かれる
明治九年(一八七六) 神風連の変起こる
明治十年(一八七七) 西南の役に鎮台将士が籠城する
大正十四年(一九二五) 歩兵第十三聯隊移転
昭和二年(一九二七) 熊本陸軍教導学校が置かれる
昭和六年(一九三一) 天皇行幸がある
昭和十八年(一九四三) 編成改編により熊本陸軍予備仕官学校と改称される
昭和二十年(一九四五) 同校閉校
昭和二十七年(一九五二)国の史跡に指定される
昭和三十年(一九五五) 国の特別史跡となる
昭和三十七年(一九六二)熊本県立第二高等学校が創設される
昭和四十三年(一九六八)同校移転
昭和四十七年(一九七二)熊本城二の丸公園として整備される
実は、今までちゃんと読んだことがなかったのですが、
当然二の丸公園も熊本城とともに歴史を歩んできてるんですね。
様々なドラマがあったのでしょうね・・・なんだか感慨深いです。
いろんなことを考えながら二の丸~三の丸公園にある碑を訪ねて、
ぐるっと一周歩きましたがヘロヘロになってしまいました。
体力落ちてますヤバイです。
ともあれ、他の碑はまた後日レポートします!
広くて気持ちのいい公園で、のんびりくつろいでいる人、ウォーキングに励む人、
子供と一緒に遊ぶ家族など様々でした。
(詳しくは公園散策人さんのブログでどうぞ♪)
二の丸公園の駐車場から見渡してみると、いろんな形の碑が結構あることに気づきまして、
一つ一つ見てみようと思い立ちました。
まずはコレ。
二の丸公園の由来が書かれた石碑です。
これは二の丸公園の駐車場にほど近いお堀側にありますので、
見つけやすいと思います。
内容は下記の通りです。
慶長十二年(一六〇七) 加藤清正熊本城を築き、このあたり二の丸に重臣屋敷を置く
寛永九年(一六三二) 細川忠利肥後領主となり熊本城に入る
宝暦四年(一七五四) 細川重賢二の丸に藩校時習館を開設
明治四年(一八七一) 廃藩置県後城内に鎮西鎮台が置かれる
明治八年(一八七五) 歩兵第十三聯隊が置かれる
明治九年(一八七六) 神風連の変起こる
明治十年(一八七七) 西南の役に鎮台将士が籠城する
大正十四年(一九二五) 歩兵第十三聯隊移転
昭和二年(一九二七) 熊本陸軍教導学校が置かれる
昭和六年(一九三一) 天皇行幸がある
昭和十八年(一九四三) 編成改編により熊本陸軍予備仕官学校と改称される
昭和二十年(一九四五) 同校閉校
昭和二十七年(一九五二)国の史跡に指定される
昭和三十年(一九五五) 国の特別史跡となる
昭和三十七年(一九六二)熊本県立第二高等学校が創設される
昭和四十三年(一九六八)同校移転
昭和四十七年(一九七二)熊本城二の丸公園として整備される
実は、今までちゃんと読んだことがなかったのですが、
当然二の丸公園も熊本城とともに歴史を歩んできてるんですね。
様々なドラマがあったのでしょうね・・・なんだか感慨深いです。
いろんなことを考えながら二の丸~三の丸公園にある碑を訪ねて、
ぐるっと一周歩きましたがヘロヘロになってしまいました。
体力落ちてますヤバイです。
ともあれ、他の碑はまた後日レポートします!