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イタリア語の単語

イタリア語学習の裏話
イタリア語の不思議

イタリア語の単語の話62 fazzoletto

2012-09-21 | 日記
62.fazzoletto(ファッゾレット):これはハンカチのこと。日本語のハンカチは、handkerchiefという英語からきたものだが、これはhandとそしてchief。chiefはchiffon(シフォン=薄くて柔らかな生地、絹モスリン)あたりからきてくっつけたものだろうか。手に持つ柔らかい布地という意味なのだろうか。英語はさておき、イタリア語でfazzolettoという言葉を使うときには注意がいる。イタリアには、ハンカチはない。誰もハンカチなどもっていない。特に男性においては皆無である。fazzol-ettoの"etto"(またはetta)は、小さいものを表わす。etichetta(エチケット)はetica(道徳)から出て、小さな道徳の意味、pacchetto(パケット)はpacco(箱、包み)から出て、小包のこと(パケット通信のパケットも、小さい箱のこと)など、多くの外来語にも通じる。従い、fazzolettoはfazzolo(ネクタイ用生地)の縮小辞である。つまり、恐らくこれは、ネクタイの余った生地のことを指していたものと思われる。従い、余り生地だから、はながみ代わりに、しかも柄が入っているので女性がおしゃれに使っていたのだろう。従い、イタリアではfazzolettoは、はながみ代わりに使う切れ端のことである。日本でいうティッシュなども、fazzoletto da carta (紙製のハナ拭き布)ということになる。日本のハンカチメーカーの規定によれば、ハンカチとスカーフの境は、一遍の長さにあるようだ。定かではないが、60cmあたりが境になったように記憶している。つまり、日本では大きさだけで分けられており、用途は関係ない。実際に、高価な刺繍やプリント入りのハンカチも多く、ハナをかむどころか額縁に入れて飾るためのものもある。fazzolettoといって思い出すのは、Comoのプリントメーカーとハンカチの話をしていたときに、そこのオーナー(実は高名なテキスタイルデザイナーでもあるが)が、オペラの”Otello”を思い出すといったこと。そういえば、Verdiの”Otello"の重要な小道具が、ハンカチである。まあオペラに興味がなければ仕方がないが、ちょっとした知識がビジネスの成否やそれからの人間関係につながらないとも限らない。


イタリア語の単語の話 61 cambio 両替と変速機

2012-09-17 | 日記
61. cambio (カンビオ):cambioとは、交換の意味。空港や駅の両替所には、cambioと書いてあるので、これは両替の意味。一般には、このような意味で使われることが多い言葉ですが、ここではもうひとつの意味を加える。それは、変速機、つまり車のギア、トランスミッションのことを言う。cambio automaticoがオートマチック、cambio manualeがマニュアルである。そして、イタリアではcambio automaticoはわずかしかないということ。レンタカーを借りるときに、オートを要求したらなかなか見つからないかも。理由は、色々言われるが、私は基本的にイタリア人は運転が好きで、車をいじることが好きなので、オートでは満足しないからだと思っている。実際のデータはないが、15年ほど前でも1%あるかどうかといわれておった記憶がありますが、今でも5%は越えていないと思われる。オートは体に障害がある人が乗るものだと思われているフシもあるくらい。イタリアへ行って、会話に不足しないようにするなら、サッカーともうひとつはF1の話題を持ち出せばよい、とは私の意見だが、F1を初め車についての話は皆大好きな国民を考えると、やはりオートマチック車に変わることは、まだ当面なさそうな気がする。
これに関して、ひとつ経験を述べると、イタリアでM車という高級なスポーツタイプの車がある。F車やL車ほど高くもなく、スーパーカータイプもある一方、一見普通のセダンに見えるような車種もある。この車がイタリアで中古車に出ていて、のどから手が出るほど欲しい車がなんとか買える価格になっていて、悩んだことがある。その時に自分が所有していた車のディーラーに聞いてみたところ、即座にやめろと言われた。理由は、ディーラーが下取りしない唯一の車だという。要するに故障が多いのだ。しかし、よく考えてみると、別にM車に限らず、F車でも、L車でも、大衆車のF車でも故障が多いのはイタリア車の特徴ではないか。それでもイタリア人やイタリア車好きの日本人はイタリア車に乗る。つまり、故障するから好きなのでは? M車やF車の場合は、200km走る毎にチューニングが必要だと言われた。つまり、家の近くに修理工場があるか、自分が余程車いじりが好きで、それに精通していないなら辞めろということだった。しかし、それよりも以前に、イギリスのJ車は、世界一フォルムが美しいと言われていたが、J車を持ちたいなら2台持てとも言われていた。つまり、すぐに故障するから常に代替え品としてもう一台いるということで、この高級車に乗る人は、一台じゃなく2台買えるくらいの金持ちじゃなければ持ってはならないという意味だったらしい。なるほど、車は「安くて」「壊れず」「低燃費」が良いという人もいれば、このように、壊れやすいから好きだという人がいてもおかしくはない。

イタリア語の単語の話60 husky, montgomery, barbour 日本ではマッカーサー、イタリアではモントゴメリー

2012-09-14 | 日記
60.husky, montgomery, barbour : これらはイタリア語ではない。しかし、ある種の衣料品をこのように呼ぶので、これは知っておいて損はありません。 husky(ハスキー)とは、薄いキルトジャケットのことで、イタリアでは少し寒いときに、上着の上に着るものとして定番。montgomery(モンゴメリー)とは、ダッフルコートのこと。なぜ、Montgomeryというのか、これは第2次世界大戦で、連合軍を率いてシチリアに上陸したイギリスの将軍の名前を取っている。イタリアに上陸した時にダッフルコートを着ていたのかどうかは定かではないが。日本では、マッカーサー元帥が有名だが、イタリアはモンゴメリー将軍ということになっている。Barbour(バルボア)とはイギリスのブランド名で、油性コーティングしたコートのこと。他に、Lodenは、ローデンという生地を使ったコートのこと(オーストリア、スイスなどの山岳地帯でよく着られるコート)。golfは、セーターの事を指す。felpaは、裏毛のことを言うが、一般に知られている言葉としては、フリースのことを指す。また、impermeabileは防水コートのことだが、日本で一般にコートと呼ぶトレンチ(綿製やポリエステル製のもの)コートは、impermeabileといい、コートのイタリア語であるcappottoは、オーバーコート(ウール中心の厚手のもの)にしか使わない。fuseaux(フゾー)やfoulard(フラー)はもともとフランス語だと思うが、fuseauxはスパッツ(伸び縮みのするパンツ)、foulardはスカーフのことです。 (連合軍がイタリアに上陸した時の作戦名をHusky作戦という。huskyもMontgomeryと同じようにここから来た名前なのかも知れない)

イタリア語の単語の話59 seno で「乾杯」!

2012-09-12 | 日記
59.seno : 格調高いコラム(そうでもないか?)の品を少し下げることになるかも知れないがお許し願いたい。senoは45項で説明済みだが、胸のことである。この発音は、日本人が一斉に何かをするときに発するあの、「セーノ!」という言葉と同じなので、日本人はあちこちで「オッパーイ」と叫んでいるんだと、実はTwitterに書き込みがあるのを見つけた。これはなかなか面白い発見で、私も感心したが、じつは同じ様なことがイタリア語にもあるではないか! それは、「カンパーイ」というときにイタリア語で、「CinCin」(チンチン)ということだ。かなりのイタリア人はこの意味を知っていて、日本女性の前では、この言葉を使うのを遠慮する。返って、日本人女性の方がどうどうとこの言葉を発することが多いようだ。まあ、子供用語ですからね。さて、Cin Cinとは、中国語の請請(chingching)から来たものだという説もあるが、私には後付けのような気がする。イタリアのCinzanoのコマーシャルで Cin Cin Cinzanoというフレーズがあって、それが広まったという説の方を私は支持したい。尚、乾杯のもっとも一般的な言い方はSalute!であろう。また、イタリアの南にBridisiという町があるが、これと同じ単語を使って、fare un brindisi は乾杯をするという意味。乾杯にはまた、libareという動詞もある。オペラ椿姫の有名な「乾杯の歌」のLibiam! がこれである。

イタリア語の単語の話58 matrimoniale

2012-09-06 | 日記
58.matrimoniale(マトリモニアーレ):結婚に関しての言葉をもうひとつ。matrimonialeは結婚の、夫婦のと言う意味の形容詞です。matrimonioは結婚、または結婚式のこと。ホテルに泊まる時に、ダブルベッドの部屋を要求するなら、camera matrimonialeという。ダブルベットそのものは、letto matrimonialeです。一方ツインルームは、camera doppia とか、camera a due lettiといい、一般にダブルルームというのは、ツインルームとなるので、間違えないように。ついでに、新婚旅行のことは luna di mieleという。これは、英語に訳すとそのままハネムーン(=蜜月)である。新婚ほやほやのことも、essere in luna di miele という。

イタリア語の単語の話57 fidanzato 恋人?友達?婚約者?

2012-09-05 | 日記
57.fidanzato(フィダンザート):女性はfidanzataである。辞書を引くと、婚約者と書いてある。また fidanzareは婚約させる、fiddanzarsiは婚約するという動詞である。しかし、この名詞に関しては、ボーイフレンド、ガールフレンド、恋人の意味で、婚約者という文字通りの意味は殆どない。イタリア人同士が使っているとしたら、まず婚約者の意味はないと思って良い。では、婚約者はなんというのか?古い言い方に promesso sposo(promessa sposa)という言い方がある。Alessandro Manzoniの代表作”I Promessi Sposi"でご存知の方も多いだろうが、この言葉は現在では使われないが、意味は「婚約者」である。つまり、これは男女の関係が婚約を前提に、変るような古い考え(?かどうか疑問も残りますが)がすたれていることを表わしているように思う。一般に、男女がそれぞれの恋人を紹介するときに、この言葉を使う。また、la mia ragazza とか il mio ragazzo という言い方もガールフレンド、ボーイフレンドという言い方で(若い人が)用いるが、これは本人がいないときに使うようだ。本人がいるときに、Lei e` la mia ragazza. などと言うと、後で一悶着起きるかも知れない。直訳すると、「こいつは”俺の女”だ」という意味になりますからね。彼とか彼女という程度で通常は使いますが、この言葉などは誰かが使っていても、自分で使うときには注意して使った方がよい言葉でしょう! 尚、sposo sposaは花婿、花嫁のことである。

イタリア語の単語の話56 paparazzo と pappagallo パパラッチ

2012-09-04 | 日記
56.paparazzo(パパラッツォ)、pappagallo(パッパガッロ):特にこのふたつの名詞には関連はないが、パパという音が珍しいので上げておく、paparazzoはパパラッチのことで、芸能人を追いかけるフリーカメラマンのことを言う。もともとは、映画「甘い生活」の登場するカメラマンの名前から来たもの。pappagalloのgalloは雄鶏のことである。で、pappagalloはオウムの事を言う。人の真似をすることも指す。pappaとは、おかゆのような流動食をさすが、この言葉とは関係がなさそうだ。モーツアルトの歌曲「魔笛」にパパギーノ(またはパパゲーノ)とパパギーナ(パパゲーナ)という、鳥刺しが出てくるが、これはpappagalloから取ったものでしょうね。鳥刺しとは鳥を取って飼育したり売ったりするもの(人)のことを言うようだが、大体オペラでは鳥の羽をつけており、鳥そのものに見えるので、鳥刺しというよりも、鳥じゃないかとの疑問だが。ところで、モーツアルトは「魔笛」はドイツ語で書いている。ところが、中に出てくる名前には、このようにどう見てもイタリア語的な名前が出てきている。


イタリア語の単語の話55 cacciavite

2012-08-31 | 日記
55.cacciavite(カッチャヴィーテ):ねじ回し(ドライバー)のこと。cacciareは捕獲する、猟するの意。viteはネジである。つまり、これは、日本語のねじ+回しのような造語の道具で、発想が同じだ。aprire(開ける)を使った言葉には、apribottiglie(
栓抜き=開ける+ビン))や、缶切のapriscatoleがある。tagliare(切る)では、ペンチ(または針金切り)のtagliaferro(切る+鉄)、ペーパーナイフ(紙切り)はtagliacarte(切る+紙)、爪きりのtagliaunghieがある。unghiaは爪。stuzzicare(つつく)を使って、stuzzicadenti(スツッティカデンティ=つつく+歯)といってユーモラスな音は、つまようじだ。schiacciare(押しつぶす)を使って、schiaccianoci(くるみ割り)、noceはくるみ。schiacciamosche(はえ叩き)moscaはハエ。asciugare(乾かす)で、asciugamano(タオル=手ぬぐい)、asciugacapelli(ドライヤー)など。尚、歯ブラシ(歯+brush)は純日本語でどういうのか知らぬが、これはspazzolino(小さいブラシ)といい、歯+磨くとは言わない。48で述べたportare+名詞、17のattaccare(掛ける、付ける)+panni(衣類)も同じ種類の造語だと言える。アッ、大事なものを忘れていました。cavatappi(カーバタッピ) cavareは引き抜く、tappoはコルク栓(tappoはコルク栓に限らず一般のふたのことですが)。そうです、これはワインオープナーのことです。ワイン好きには重要ですから、忘れないようにしましょう。


イタリア語単語の話54 semaforoとrotonda

2012-08-30 | 日記
54.semoforo(セマーフォロ)とrotonda(ロトンダ) :semaforoは信号のこと、rotondaは信号のない交差点、つまりロータリーのことです。semaforo(信号)は日本と同じで赤は止まらなければならないが、イタリアでは右折車は、そのまま進む。車は右側通行で、運転席は基本的に左側にあるのは日本と反対であるが、交差点では基本的に右側優先という考えがあるので、左からくる車に対して、右にある右折車は優先的に進んで行く。最初は赤信号で右折するのは躊躇するがそのうちバス、タクシーはてはパトカーまで右折するのを見て、自信がつく。(但し、道交法的に許されているのかどうかは分からないので注意!)なお、赤はrossoだが、青信号はverdeである。良く見ると、あの色は絶対にbluではなく、やはりverdeである。次に、rodonda. イタリアはかなり渋滞しているイメージがあるが、もし前述の赤信号右折と、このrotondaがなければ、もっと渋滞する事は間違いない。rotondaとは交差点の真ん中に島(isola,普通は小公園)があり、車はその島の周りを回って、右折、直進、左折をする。右側優先なので、右から出てくる車は左を見ないで、rotondaにさっと入ってくる。rotondaに入ったら、次はどこかで右折するだけである。つまりrotondaでは左折はない。左へ曲がるのも、右から大きく回り込んで反対側から右に曲がることになる。車は止まることなく、スムーズに流れていく。尚、大きなrotondaには、信号があることがある。パリの凱旋門は巨大なロータリーだ。うまく運転しないと、右側によれず、ロータリーを何周もするハメになる。日本では、全く車が通ってもいないのに赤信号で待たされる信号が多いが、そこで止められるたびにrotondaが懐かしい。もっと採用すれば良いのにと思うのは私だけ??

イタリア語単語の話53 cicala e zanzara

2012-08-28 | 日記
53. cicala(チカーラ)とzanzara(ザンザーラ):これも日本語のような響きです。cicalaはセミ、zanzaraは蚊です。ちなみに、mosca(モスカ)はハエです。このmoscaはMosca(モスクワ)と同じです。英語でmosquitoと言えば、ハエではなく蚊のことです。mosquitoは発音から言えば、mosqua(モスカ)に小さいという意味の接尾辞-ito(スペイン語、イタリア語でゃ-ino)をつけて、モスキートと名づけたのかと想像出来ますが、ハエの小さいのが蚊になったことになりますね。実は、イタリア語でもmoschinoと言えば、ある種の蚊(ブヨのような小さな蚊の総称)をいいますが、一般的な蚊は、zanzaraを使います。Moschinoはブランド名で有名です。イタリアのcicalaは日本のに比べると、鳴き声が小さいような気がします。また、zanzaraも湿地帯へいけば別ですが、空気が乾燥しているせいか、市内ではそれほど多くなく、夏の戸外での食事を妨げるほどではありません。イタリアで大変気に入ったものに、zanzariera(またはzanzariere)という蚊帳があります。これは、べランダを完全に覆ってしまいますので、蚊を気にしないでベランダで過ごせます。これは、開閉式になっていますので、開けっ放しにすることも出来ます。これはぜひ日本でも採用してほしいものです。ただ、日本の湿度だと夜になっても暑いので、意味がないのかとも言えます。また、イタリアの蚊と日本の蚊の違いとして、イタリアの蚊は刺されてもすぐに痒くならず、大分経ってまたは翌日に痒くなると言います。虫も大分違うようですね。尚、イソップ物語に「蟻とキリギリス」という話がありますが、イタリアでは「アリとセミ(la cicala e la formica」といいます。これは、もともとイソップ(古代ギリシア)物語ではキリギリスは「セミ」だったのですが、欧州は北の方へ行けばセミはいませんので、キリギリスに変えられたのだと言われています。イタリアは、ギリシアと同じくセミがいる国なので、原文のまま残っているということ。日本へは、キリギリスへ変えられたものが輸入されて、翻訳されたらしい。なお、明治時代に翻訳されたものを見ると、キリギリスでもなく、イナゴです。これは福沢諭吉が訳したとも言われているが、ではなぜイナゴがいつの間にキリギリスになったのだろうか。まあ、この程度はいいかと。しかしいずれにしろ、このイソップの話は、夏の間に寒い冬に備えてせっせと働く蟻と、一方夏は歌ってばかりで何もしなかったセミは冬になって、蓄えも無く凍えてしまうという教訓なのですが、考えてみれば、キリギリスは秋の昆虫ですから、話に無理があるのではと言う気がします。イソップの意思を汲んで、蝉に戻してはいかが?