異説万葉集 万葉史観を読む

日本書紀の歴史に異議申し立てをする万葉集のメッセージを読み解きます。このメッセージが万葉史観です。

高貴な山田守りを詠う

2013-02-08 | 番外・志貴皇子とムササビ寓話

 以上、ムササビの歌と大津皇子の悲劇の関連性をみてきましたが、これまでやって来た万葉史観ほど裏付けがあるようには思えません。しかし、それはわたしが十分に解明していないだけです。巻十の秋雑歌の「鹿鳴を詠む」十六首の歌グループの最後の歌が思わせぶりです。

 ここに「山田を守る、番をする」子どもがでてきます。この山田が大津皇子に関連づけられます。

 まず、歌をみます。



 [万葉集]巻十秋雑歌の二一五六番歌

 ○あしひきの山のと陰に鳴く鹿の聲聞かすやも山田守らす兒(巻十 2156)
   あしひきの やまのとかげに なくしかの
   こえきすやも やまだもらすこ

       「山陰に鳴く鹿の声を聞いているのだろうか、
        山の田の番をしている子は」



 歌をみます。「あしひきの山のと陰に」ですが、ここの「あしひき」は山にかかる枕詞です。つづく「山のとかげ」は一日中山の陰になって日の当たらない場所です。

「聞かすやも」の「聞かす」は聞くに尊敬の助動詞「す」がついたものです。「お聞きになる」といった意味です。やもは詠嘆です。文法的には、このとおりですが、ここに尊敬語がでてくるのはいささか疑問です。あとで確認します。

「山田守(も)らす兒(こ)」は、山田を守らす子、守る子、つまり田んぼを番する子どもです。「守らす」とあって、ここにも尊敬の助動詞がでてきます。直訳すれば「田んぼをお守りになる子」となります。田んぼ番する子どもに尊敬語をつけていることになります。

 とりあえず訳してみれば、「山陰に鳴く鹿の声を聞いているのだろうか、山の田の見張り番をしている子は」となります。


 ところで、最初の疑問です。田んぼ番にどうして尊敬語がつくかです。いくつか理由は考えられます。身分の低い子どもを茶化したのかもしれません。研究者のなかにも、使うべきでない尊敬語をつかったのは「譬喩」だとしています。


「鹿の声に、恋していい寄る男の声を寓した」


 というわけです。もし、そうなら、同じ鹿鳴の詠む「猟夫(さつお)」の歌からして、この声は大津皇子と考えられます。いずれにしろ、田んぼ番の子どもに尊敬語をつかったのには、ほかに意図があったはずです。歌に読者の注意を向けさせようとしたことは確かです。

 そういう目で、大津皇子関連歌をみていくと、ありました。「大津皇子の宮に侍る山田郎女」がでてきます。



[万葉集]巻二相聞の一二九番歌=小野に草伏す歌

   大津皇子の宮の侍石川女郎、大伴宿祢宿奈麻呂に贈れる歌一首
   女郎、字を山田郎女と曰ふなり
   宿奈麻呂宿祢は大納言兼大将軍卿の第三子なり

          一云戀乎大尓忍金手武多和良波乃如
 ○古りにし嫗にしてやかくばかり恋に沈まむ手童のごと(巻二 129)
   ふるにしおみなにしてや かくばかり
   こいにしずまむ たわらはのごと

       「年老いた女だというのに、これほどまでに恋に
        おぼれている、まるで子どもと同じではないか」



  ◆正体不明の石川郎女の正体をあかす



 この歌は、内容も奇異な感じをあたえますが、題詞も曰くありげです。写本によって、題詞に違いがあります。

 一つは、最初の一文だけです。つまり、「大津皇子の宮の侍(まかだち)石川女郎、大伴宿祢宿奈麻呂に贈れる歌一首」だけの題詞です。大津皇子の宮に侍る石川女郎が、大伴宿奈麻呂へ贈った歌だと説明しています。本によっては、これだけの題詞ですが、写本によっては、題詞に注がつきます。それがつぎの二文です。

「女郎、字を山田郎女と曰ふなり」
「宿奈麻呂(すくなまろの)宿祢は大納言兼大将軍卿の第三子なり」

 はじめのほうは、一文目にでる「大津皇子の宮の侍女、石川女郎」が、「別名山田女郎」ともいうという注です。

 二つ目は歌をおくられた宿奈麻呂が「大納言兼大将軍卿の第三子」だとおしえます。この大納言兼大将軍は大伴安麻呂のことです。安麻呂の子どもということは、大伴家持の父親の旅人の弟ということになります。

 説明の内容に間違いがあるともおもえませんが、この題詞は、とても問題があります。あとでみますが、とりあえず歌を確認します。


「古りにし嫗にしてや」というのは、少々自虐気味です。「いい年をして」という意味ですが、これはいまでも年配のかたが自嘲気味につかいます。自分はだいぶ年をとったので、自宅で大人しくしていればいいのに、「かくばかり恋に沈まむ」、つまり「どうして戀に落ちたのだろう」と嘆いているのです。「手童のごと」とは、「子どもみたいに」というわけです。


 この歌だけとれば、それなりに完結しています。しかし、この歌は、巻二の石川郎女の一連の歌群(一〇七~一一〇番歌群、一二六~一二九番歌群)の最後の石川女郎の歌です。

 それなら、どこがおかしいのか。次回に確認します。(2013/02/08 つづく)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿