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言の葉いろいろ

身体も心も限界越えました
       鬱病で療病してます‥‥

愛してる

2005年09月04日 | Choice
こんなにあなたを愛してるんだから、
わたしのために生きてよ。

それが愛なら、
愛などいらない。

たった一度の人生、
自分のかけがえない命をたいせつにしたいから。

命の重みを愛してるから。
 

不同視 (ガチャ目) と脳とメガネ

2005年08月22日 | Choice
僕は左右の視力に差がある不同視、いわゆるガチャ目だ。右の視力は1.0ぐらいあるのに、左目は0.1も見えない。

左右の視力に大きな差があると、両目でものを見たときに不都合が生じる。右で見た像と左で見た像が、同じものを見ているのに大きさが違ったりする。当然、1つの映像に集約できない。そこで調節機能がはたらいている。近いものを見るときは、自然に左目だけをつかっている。そこから焦点距離が遠くなってくると、あるポイントのところで右目にスイッチする。遠くは右目だけで見ている。

片目だけで見ていると、遠近感がないし、物体の立体感もない。しかしこれも、脳が調節してくれる。脳が瞬時に、遠近感や立体感を想像して、視角情報を処理してくれる。僕はこの目で、打撃系の格闘技を習ったこともある。相手との距離感で困った覚えはない。

基本的に、メガネをかけずに過ごしてきた。しかし最近、目が疲れやすい。目の表面だけでなく、眼球の奥が痛んだり、頭痛もする。

眼科に行って、詳しく調べてもらった。左右の視力に差があると、それを調節するために脳に負担がかかっている。今までは平気だったけど、ウツの脳には負荷がかかりすぎるようだ。

視力の低下も進んでいた。右目は遠視で乱視、左目は近視で乱視。すこしでも脳をラクにしたいので、新しいメガネをつくることにした。

内向きの強さ

2005年06月27日 | Choice
強さといっても、方向の異なる、いろんな強さがあるだろう。

自分の心から目をそらしすぎると、ときに歪んだ強さに走ってしまう。他者との関係性のなかで、自分の強さを過剰に確かめる。

自分より力や立場が弱い者への、見下し、やつあたり、苛め。他人をいたぶって、自分のうわっつらなアイデンティティを支える。当然、相手は深く傷つけられる、人として。

『同じような事を繰り返して
 誰かをまた傷つけぬよう
 こころの中をどんなときも
 見つめられる強い自分になりたい』
( 槇原敬之「優しい歌が歌えない」より) 


自分の心にまなざしを向ける、内向きの強さも持ちたい。


槇原敬之「優しい歌が歌えない」
 

ちいさな自分、大きな自分

2005年06月17日 | Choice
どうしようもない現実の前で、疲れたり、傷ついたり、自分の軸を見失ったとき、僕は一人にもどる。外界と自分を切り離し、孤独をとりもどす。その一人きりの時空間で、自分の内界と向きあう。

怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ‥‥巨大な竜巻が自分をのみこんでいる。竜巻のなかで激しくタンブルされ、重心は全身をとびうつって駈けめぐり、不規則に回転する身体には、天地も左右もわからない。目にうつる世界は残像をのこす間もなく、尾を引きながら瞬時に走り去る。

狂風にのみこまれ、脱出するすべもなく、自分はもがいていた。

離れたところで、もう一人の自分が、竜巻を外からながめている。勢いはピークを過ぎたようだな、と窓越しにつぶやく。彼は美しい湖畔のコテージにいた。

また一人、別の自分が自宅にいた。竜巻の進む方向を気にしながら、ありふれた日常をすごしていた。

遠く離れた場所では、別のもう一人の自分が竜巻など目に入らず、そびえ立つ山に挑みつづけていた。

はるか遠く離れた場所では、竜巻の発生も知らないで、海に入り、海底でダイビングをたのしむ自分もいた。

さらに別の場所では‥‥

無数の自分がいた。心の世界は広い。竜巻は、広大な世界と長大な時の流れからみれば、一瞬の驚風にすぎなかった。なかに呑みこまれている自分も、無数の自分のなかの、ちいさな一人にすぎなかった。

「ちいさな自分にとらわれるな」
無数のちいさな自分をつつみこむ、大きな自分が見まもっていた。
 

がんばるも、がんばらないも

2005年06月11日 | Choice
「頑張る」という字面は、「頑」なに「張る」。いかにも無理してるって感じ。
「がんばる」って表記ぐらいが、適度な感じでいい。

でも、がんばるために、がんばるのは嫌だなぁ。

自分を生きるために、がんばるのはいいなぁ。
自分を生きるために、がんばらないのもいいなぁ。

がんばるも、がんばらないも、目的ではなく手段。
自分を生きるための。