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いとをかし古典講座

授業のために作成したマンガを
展示しています。

仁和寺にある法師

2012-03-09 15:07:25 | 徒然草



 仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂く覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。


徒然草・筑紫に、なにがしの押領使

2011-07-17 15:04:19 | 徒然草


筑紫に、何がしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおほね)を、よろづに、いみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひけること、年久しくなりぬ。
 ある時、館の内に人もなかりける隙(ひま)をはかりて、敵(かたき)襲ひ来たりて囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してけり。いと不思議におぼえて、「日ごろここにものし給ふとも見ぬ人の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ。」と問ひければ、「年ごろ、頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ。」と言ひて失せにけり。
 深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。

徒然草・相模守時頼の母は

2011-07-17 14:57:31 | 徒然草



 相模の守時頼の母は、松下の禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるることありけるに、煤けたる明かり障子の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀して切りまはしつつ張られければ、兄人の城の介義景、その日の経営して候ひけるが、「賜はりて、何がし男に張らせ候はん。さやうのことに心得たる者に候ふ。」と申されければ、「その男、尼が細工に、よもまさり侍らじ。」とて、なほ、一間づつ張られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、はるかにたやすく候ふべし。斑に候ふも見苦しくや。」と、重ねて申されければ、「尼も、後はさはさはと張り替へんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐることぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり。」と申されける、いとありがたかりけり。
 世を治むる道、倹約を本とす。女性なれども、聖人の心に通へり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、ただ人にはあらざりけるとぞ。

徒然草・高名の木登り

2011-07-17 14:54:52 | 徒然草



 高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、下るる時に、軒丈ばかりになりて、「過(あやま)ちすな。心して下りよ。」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び下るとも、下りなん。いかに、かく言ふぞ。」と申し侍りしかば、「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば、申さず。過ちは、安き所になりて、必ず仕まつることに候ふ。」と言ふ。
 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だして後、安く思へば、必ず落つと侍るやらん。


徒然草・これも仁和寺の法師

2011-07-17 14:52:07 | 徒然草



 これも 仁和寺の法師、童の法師にならむとする名残とて、おのおの遊ぶことありけるに、酔ひて興に入るあまり、かたはらなる足鼎を取りて、頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。
 しばしかなでて後、抜かむとするに、おほかた抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせむと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり欠けて、血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らむとすれど、たやすく割れず。響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に、帷子をうち掛けて、手を引き杖をつかせて、京なる医師のがり、率て行きける道すがら、人の怪しみ見ること限りなし。医師のもとにさし入りて、向かひゐたりけむありさま、さこそ異様なりけめ。ものを言ふも、くぐもり声に響きて聞こえず。「かかることは文にも見えず、伝へたる教へもなし。」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらむとも覚えず。
 かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ。ただ力をたてて引きたまへ。」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。