後鳥羽上皇が蹴鞠しながら、頼朝の死因を推理すると
いう「推理パート」から始まる今回。
藤原道長という当時の歴史的超大物の名前も
出てくるので、わたしとしては、
わくわく感がたまらないです。
※追記(いんすいのやまい・・・・のどがかわいて尿の通じない病気。
強度の飲酒、濃味の飲食、過度の房事、または、冷気に当たっておこるとされる。
飲水。消渇(しょうかち)。
現在でいうと、糖尿病のことです。)
ちなみに、この作品に後鳥羽帝が出てきた初めての時の
年齢は4歳だったような記憶があるのですが・・・・。
声優関智一暗殺未遂・・・・もとい、土御門通親暗殺未遂と
言うことで文覚が何故か捕まっていまして、
結局??・・・・どうなっちゃったんでしょうかねぇ~~~(笑)
(このシーンの、後鳥羽上皇の武家を思わせるほどの
武断な政治を見ることができて、
正直驚いています)
鎌倉殿2代目の頼家は、義時とかから
「好きにやればいい」と言われながらも、
実際は比企(ひき)やら北条やらがしゃしゃり出る展開に
辟易としており、しかも、頼家自体は梶原景時を
重用しておりまして・・・・。
ちなみに最初は13人でもなくて大江広元ら5人が
取り次ぎ役になる予定だったのですが、
比企や北条がだんだん味方を増やそうと
次から次へと、取り次ぎにしちゃうので、
知らない間に12人まで膨れ上がる始末。
最終的には北条政子のせいで、義時まで
メンバーに加えられてしまいました。
あららっ。
結局は「好きにやればいい」と義時に言われたのに、
御家人の13人合議におんぶにだっこな、
頼家。面白いわけはありません。
頼家の頭の中には「富士の巻き狩り」の鹿を
仕留める
(頼朝らの裏工作つき)
あの苦いシーンを思い出したかもしれません・・・・。
なので、頼家直属の5人を自ら指名して、
(こっちにも比企の息のかかった者がいて、
北条の味方も・・・・
なんかギスギスしてますね。)
13人の合議といっしょに高みを目指す
政治体制を作ったのでありました。
・・・・大丈夫なのか?鎌倉幕府。
ではではっ。
なお・・・・頼家の正室と側室も、なんかきな臭いです。