かおりんふぁんこてくんのひまつぶし自分史

かおりん(南かおりさん・関西のMCタレント)ふぁんのこてくんの独り言が書いて あります。将棋「も」大好きです。

『軍師官兵衛』第24回 帰ってきた軍師

2014-06-15 20:55:14 | テレビ・映画


三木城攻防戦がクローズアップされています。



兵糧攻めで米が無いのですが・・・・



お腹がすいているはずなのに、



意外と元気そうです。



声に張りがあります。
 (笑)





「・・・・。官兵衛の性格が変わってる・・・・・」
(絶句)



まっ、ベンガルが守ってるような城やからなぁ~~~~。


官兵衛さんが幽閉されてなければ、
もう少し早く陥落してたんやないのかなぁ~~~~。


ちなみに官兵衛キレキレっ。


・・・・やべ~~~な。鋭利な刃物やね。
ほんと。


2年にわたっての包囲戦を繰り広げられていた
三木城はこうして落ちました。


別所軍と秀吉軍の小競り合いが1戦くらいは
見られるのではないかと思っていたこてくんは、

ふうっ。甲冑の予算つかんかったんか・・・・・
と、思い残念な思いでした。


さて、御着城です。

小寺の腰ぎんちゃく達は、小寺家を
離れる為に、黒田家にくっつこうとしたり、


別の者は、

小寺の殿に腹を切らせようとしたのですが、
殿が腹を切らないので、あいそをつかして
暇乞いをしてしまいました。


そして・・・・・


殿も逃亡・・・・。



いやいやいや、小寺の腰ぎんちゃく達。
どないなっとんねん・・・・。

酷(ひど)すぎるやないか・・・・。


別所の潔さが綺麗だっただけに・・・・。
ふうっ。




おおおおっ、小寺さん捕まってるやん。


黒田家臣団、何気に仕事しよるな。(笑)


斎(いつき) 「官兵衛、官兵衛、父上を助けてくれ。」



うわわわわ・・・・斬られる・・・・・。



しかし意外にも、小寺政職を斬らずに許す
官兵衛であった・・・・。





「官兵衛は、官兵衛じゃ!!」


by 羽柴秀吉



小寺政職を斬れなかったことを、秀吉に謝る
官兵衛を褒める秀吉でありました。



あらっ・・・・鯛の話で、いきなりアットホームな
ドラマになってしまいよって・・・・・(笑)




信長「播磨および但馬・伯耆を平らげ・・・・」


ほっ、伯耆・・・・

なぬっ。知らん間に、鳥取城も落ちたのか??


よくわからないのですが、知らないうちに時代が
少し進んでいたようです。(笑)


さすがやな・・・・信長。

そして、明智光秀・羽柴秀吉・柴田勝家を褒めた後に、

佐久間信盛さんの前で






一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら
何の功績もあげていない。・・・・(後略)


一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、
足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、
五年間それすらないのは怠慢で、けしからぬことである。



一、信長の代になって30年間奉公してきた間、
「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。


一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で
帰参するか、どこかで討死するしかない。




などの『19ヶ条の折檻状』を読ませ
佐久間信盛などを放逐。


信長家臣団を震撼せしめ、他の家臣はお互いに
顔を見合わせるのでありました。


やはり織田家は、そういう意味では
ブラック企業みたいで、居心地が悪いようです。




一方・・・・主役の


黒田家、1万石の大名に・・・・。

そして、藤の花が家紋となりました・・・・・。



はいは~い。黒田家の皆様。記念撮影ですよぉ~~~~(笑)


皆・正面にならび、次回に向けてがんばる官兵衛たち。


小寺家の配下ではない、
新生黒田家・・・・誕生の瞬間でありました。



うまく、書けんかったなぁ~~~~。
佐久間信盛を急に出して、
信盛の話も盛ったので、余計にまとめにくかったですわ。(苦笑)




ちなみに・・・・官兵衛紀行では、国府山城跡(妻鹿城)が
登場。わたしの昔の出身地を
テレビで見ることができたのでした。

おおおっ。

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