おばさんの日常生活

53歳で旧大検に合格して大学生活を書いた「おばさんの大学生生活」の
その後卒業してからの日常です

かなり開いた診察

2015-06-22 14:47:55 | 神経障害性疼痛・非定型顔面痛

先日(6月15日)大学病院のペインクリニックに診察にいってきました。
約三カ月ぶりです。
今回は非定型歯痛の診察というより先週から右上の歯肉が痛があったので行きました。

診察の結果歯肉炎でツムラの110番を処方してくださり痛みが治まったらやめてよいとのことでした。
今は痛みはないので使っていません。

一昨年の今頃は不安と痛みで毎日といってよいほどタクシーで通院していました。
その当時はこれからは普通の生活はできないのではないかと思いこの先どうしたらよいのかわかりませんでした。

それが今は痛みは残っていますが仕事、水泳をしています。

私はペインクリニックの歯科医にめぐまれました。
歯科医に感謝しています。

 

 

 

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昭和30年代

2015-06-10 11:40:18 | 日常

昨日の梅雨入りと思う天気と打って変わり今日は強い日照りです。
何度も書いていますが最近は子供の転がるを懐かしく思い出します。
父は昭和33年の3月祖母は6月に亡くなりました。

私は6歳でしたので父と祖母の顔は思いだすことは難しいです。
でも祖母が庭に筵をしいて何かを干し飴を作っていたのを思いだすのです、
祖母は器用で、味噌は醤油、飴など作っていました。
昭和30年代の田舎では乗用車などあまりみたこともありませんでした。
移動は、自転車です。
父は、私を自転車の前に乗せ色々な所に連れて行ってくれました。
帰りが遅くなると、うちからかなり離れた距離までジョンという、飼い犬が迎えにきました、

あの頃は夜になると、飼い犬を離しても文句も言われなく普通のことでした。
今はなくなってしまったのかききませんが七夕に神社?にお参りにいったのです。
父の自転車の前に乗り浴衣を着て、赤いしゃんじゃくをしめて喜んだ子供の私がいました。

父と祖母は一人っ子の私を溺愛していました。
私が色々あってもどうにか生きてこられたのは父と祖母の愛情を忘れなかったからです。

60年前の私の家は茅葺きでとても温かみのある家でした。

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