子育て堂

おとうちゃん劇団員、おかあちゃん保育士
高校生・中学生・2歳児・ワンちゃん
小さな我が家は子育て堂(^^)

離婚された方々へ

2005年11月26日 18時03分40秒 | 親と子のコラム
お疲れさまでございました。
離婚そのものについて、是非を申し上げるつもりはございません。
つらい関係を続けて行くより、お互いにとって良い道が離婚であるなら
それはそれでよろしいかと思います。

お子さんがいる場合、お心の痛みたるやさらに相当なものだったでしょう。
夫婦関係は最悪だったとしても、
子供にとってはよいお父さん・よいお母さんだったという場合、
子供の心の傷は大きくなります。
突然壊れてしまう当たり前のこと=青天の霹靂。震度7以上。

先にも申し上げました。
それについてとやかく言う気はございません。
その後、について少々考えていただきたいことがございます。

離婚しました。
母親と子供だけの生活が始まりました。
母親も子供も、自分の生活の維持と気持ちの立て直しに闇雲に奔る日々。
ところが子供の誕生日に、父親と母親と子供と3人で外でお食事をしました。

・・・?なぜ?

この両親は子供のためを思っての行動だと思ったのでしょう。
私たちは我慢してでも、子供の誕生日だから共に祝うべきだという考えで。

傲慢もいいところ。
子供の気持ちを考えたら、どうしてこんな行動がとれるのか私には理解できません。
子供の願いはただ一つであるというのに!
「またお父さんとお母さんとボク(わたし)とで暮らしたい。」

一緒に暮らせないと宣告しておきながら一緒に会って食事をする。
これを親の身勝手な自己満足といわず何というのでしょう?
その一瞬は、子供にとって幸せだった日に逆戻りしたようで、夢心地で楽しいかもしれません。
だけど、結局はそれは儚い夢のごとく、目の前から消え失せてしまうのです。
どんなに
「大きくなったな。がんばるんだよ。」とあたたかい言葉を言われても
子供心に感じるのです。「嘘臭い。一緒にいられないくせに。」と。
一緒に家に帰る方の親に対しても、不信感を抱くでしょう。

こういう話を聞くにつけ(意外とよく聞くのです)、
親の身勝手にも程がある!と怒りを覚えてしまいます。

なぜ、ここまで言うかというと、
こういうことがあった翌日、その子供の態度に如実に出ているからです。
親の前では出さないでしょうが、学校や学童保育の場ではわかりやすすぎるほど。
言葉交わさずともすぐにわかるほど。

元夫に元妻に子供を会わせるな、とは言いません。
ですが、一緒に暮らせない二人が会うという神経が私にはわかりません。
それが子供をどんなに傷つけることか。
青天の霹靂のあとに与えられる裏切りの行為。
誰でも一瞬の儚い夢など与えられたくはないはずです。

子供のためと大義名分をかざした身勝手は、
子供にとって健やかな成長の妨げになることをどうぞわかってください。

手当目当ての書類上の離婚も話に聞きます。
誠実に生きることを放棄した行為だと思います。
そういう人が子供に誠実であれといくら言っても
決して伝わらないでしょうね。ああ、かわいそうな子供達。

私自身が離婚経験者です。
だからこそ、その大変さが身に染みているからこそ、申し上げるのです。

気づいていない虐待

2005年11月23日 17時25分22秒 | 親と子のコラム
バス停で並んでバスを待っていたら、
ロータリーに入ってきたバスからクラクションの音。
どうやら小さな男の子がガードレールにまたがっていて、
運転手さんが「危険」と判断したためのようでした。

バスに乗り込んで、しばらくすると斜め前の方から
「ごめんなさい。ごめんなさい。」と男の子の泣き声が。
すぐ後ろの席にその子よりさらに小さな女の子を連れた若いお母さんが座っており、
その人が彼の母親で、男の子の隣に座っていた年輩のおば様は、
男の子のおばあちゃまかと思いきやたまたまそこへ座ってしまった不運な方。

とりあえず、その一部始終を書きましょう。

母:「あんた、幼稚園バスの時もそうだったよね?」
子:「?」
母:「反省してないの!何度言ったらわかるの!」
子:「ごめんなさい。ごめんなさい。」(烈しく泣く)
おばさん:「まあ、こんなかわいい顔しているのに こんなに泣いて。」
母:「これで2度目だよ!同じことしたの!反省しなさい!」
子:(ぎゃーと叫んで)「ごめんなさい、ごめんなさい。」
母:「ママの言うことの聞けない子はゲームなんかしなくていい!」
子:(ぎゃーと叫んで)「ごめんなさいぃぃ、ごめんなさいぃぃ!」
母:「あんたみたいな子は病気なんだよ。病院行って頭切ってもらってこい!」
子:泣き叫ぶ
おばさん:「お母さんの言うこと聞けるよね。わかってるよね。いい子よね。」
母:(おばさんのことは完全無視)
  「なんでやっちゃいけないかわかってんの?
   バスの運転手さんに迷惑でしょう?そんなこともわかんないの!?」
子:泣き叫ぶ
母:「あんたみたいな子は迷惑なんだよっ。静かにしなさいっ。」
おばさん:あきらめる
母:「**ちゃん(女の子の方)、さ、降りるわよ。(優しい声)
   あんた(男の子の方)、運転手さんに謝るんだよっ。」

で、母、運転手さんに「ホントにすみませんでしたぁ~♪」

わずか10数分の路線でこれがずっと繰り広げられたのでありました。
迷惑だったのは、お母さんの方です。あなたの声の方がうるさかったよ。

幼稚園の子に反省もへったくれもありません。できません。
やってはいけないことをやってはいけないと教えることは大事ですが、
このお母さんはめちゃくちゃです。

「あるある♪」という光景でしょう?
これは虐待のひとつだと思います。
心理的に傷つける言動ですから、私はそう捉えます。
「お前は病気だ。」「お前は迷惑だ。」
これは親が子供に言うべき言葉ではありません。
意味が分からなくても、これは子供の脳裡にしっかり刻まれます。
「自分は頭の病気で、迷惑な子」だと。

どうして叱って泣いてしまった子供をすぐさま抱きしめてあげないのでしょう?
ましてや、バスの中で、大勢の乗客の迷惑を省みず。
どうして運転手さんが知らせてくれたから怪我もなく無事だったこと、
大事にいたらず安心したことを伝えてあげないのでしょう?
どうして「危ない」と警告してくれた運転手さんに感謝すべきことを
きちんと教えてあげないのでしょう?

そのうえで、
「もうガードレールにまたがったりしないでね。
あなたが車にひかれたりしたら、ママとっても悲しいから。」

それでことはすむのです。

お母さんの剣幕を見ていると、
男の子は普段から元気で活発で、
決してお母さんの思い通りにはならないお子さんなのでしょう。
あの叱り方じゃ、思い通りになんてならないよ。理不尽だもの。

一生懸命男の子に声をかけ続けた見知らぬおばさんに
少し彼は救われたかもしれません。
でも、そのおばさんの言葉を本当はママに言って欲しかったでしょう。
そんな認識はないでしょうが、
結局のところ、
彼の心には何かわけの分からない寂しさだけが刻まれてしまうのです。
その寂しさという心の重石が成長して行くに連れ、消えて行くと思いますか?
明らかに「親から見放された」ということから生じた寂しさですよ?

虐待はね、目に付きやすいものだけではないのです。
虐待の疑いあり、と感じられる状態があれば、
確認できずとも児童相談所に通告をする義務が一般市民にはあるのです。
身体的、心理的虐待いずれに関しても。
上記のような状態は、
親に自分の行為が虐待にあたるという認識がない悲惨な状況です。
親も子も哀れとしか言いようがありません。
お母さんも、たぶん同じように育てられたんじゃないかな?
だから、哀れ、なのです。

虐待がこれほどまでに取り沙汰されているのに減らないのは、
虐待についての認識不足もあると思います。
虐待されているなら逃げればいいじゃない、と言う方もいらっしゃいますが、
「そこ」しか知らない子供(その生活を当たり前だと思ってしまっている)
「そこ」しか帰る場所がない子供(そこではとりあえず生きていける)
「そこ」しかない子供が自ら逃げることはできません。
精神的にもその余力はおそらく残っていないでしょう。
「逃げる」なんて頭にこれっぽっちもないくらいに。

じゃ、虐待や防止法について学べる講座を開けばいいかと言えばそれは短絡的。
だってそういう場に出て来る人は、
もうそれを改めて学ぶ必要のない親御さん達なのですから。

はてさて。
どうすればいいのか、私にはさーっぱりわかりません。

専門家に聞こう!

2005年11月22日 20時11分41秒 | 親と子のコラム
何が困るって、巷にあふれるチープな情報。
いわゆるママ情報ってあんまり役に立たないのだなぁ。
その人がものすごく研究熱心で専門家であるなら話は別だけれど、
あふれすぎている情報に、個人的フィルターのかかった状態で話してくるのだから、
真剣に聞くのはあまりにバカらしいと感じます。

例えば、チック。
ああ、目をパチパチする子っているわね。
あれって、ちょっと情緒不安定かなんかでしょ?
本人に「またやってる!」って言わない方がいいんだって。
放っておけば、そのうち治るわよ。

うちの子はチック症です。
ある日突然パチパチパチッと始まりました。
思い返せば、
ひとりで留守番をしていたときに地震が起きた日のあとから。

ドンドン酷くなって、ときどきクシャおじさんみたいに
きゅぅぅっとしぼめるほどになりました。

上記にあげた「チック情報」くらいは私も知っていました。
が、きちんと知りたいと思いました。
できることなら、完璧に治してあげたいと。

私はすぐ「小児精神科」を探しました。
ところが、予約いっぱいでどこも何週間も待ち状態。
が!見つけたのです。内科を開業している方で精神科医でもある方を。
なんとタウンページで(笑)。私の根性勝ち♪

内科なら当日駆け込みでなんとかなる!
とにかく話を聞こう!

すぐにそこへ向かいました。車で30分。
先生は息子を見て、私を見て、
「私がやっている相談所がありますから、すぐ予約が取れるようにしましょう。」

今もなお、その先生のところへ通っています。
私自身についてもメスを入れられるようなことが多々ありました。
愕然とした日々が何日も何ヶ月も続きました。
でも、チックに対する認識も変わりましたし、
ああ、侮ってはいけないなと、
「わからないからちゃんと聞こう」と
行動を起こしてよかったなと心から思っています。

自分の子供の言動に「あれ?」と感じたら
あれやこれや詮索したり、見て見ぬふりをしたり、
適当なママ話に翻弄されて自分勝手な解釈で納得するより、
そして「うちの子に限ってそんなはずない」と意固地にならずに、
どうぞ、専門家のところへ行かれることをお薦めします。

納得がいかなければ、別の先生を見つければいいだけのことです。
どんなに素晴らしい人だとしても相性ってありますから。

ママ達の会話でぜひご用心いただきたいのが
「あるある、そういうこと。へーきよ♪」
誰が、自分の子供のことを一番知っているのですか?
「あるある」のママですか?
人はいいかげんですよ。
そこをお忘れなく♪

どうしよう、どうしようとつまらない心配をしないで
そこは、
「かかってこいや!」とどっしり構えなければね。
お母さんは時々体育会系相撲部でもあるんですね。

「おかしいな、なんだろうな?」
と感じたことは、専門家に聞く。これが一番です。
専門家はどうすりゃ見つかるのよ?
・・・自分で調べればいいのです。ママ情報を使ってでも。
「そんなの気にしてわざわざ病院行くの?」
などというおバカ丸出しのセリフはやんわり無視すればいいことですからね。
あくまでもその人がものすごい専門家でなければ、ですけどね。
自分に必要な情報だけ、ありがたく頂戴しておきましょう。

子供の話を聞く

2005年11月20日 10時15分36秒 | 親と子のコラム
小学校にあがると、子供は一気にいろんな面で成長します。
うそや言い訳も上手になります。
「ええ~、そんなはずないよ~」と言われても、事実そうなのです。

根底にあるのは、親に自分を悪く思われたくないから、なんですけどね。
誰だってそうでしょう?

「保育園(幼稚園)の頃はこんなことなかった。」
なんて言う人もいらっしゃいますが、
あはは。子供はあんたが思うよりずっと速いスピードで成長してますから。

子供の話を聞くときは、丸飲みしないこと。
「先生が、こう言った。」
「**くんが、ボクをいじめた。」
「今日、こんなことがあった。」

「あら、そう。」とまず聞いてあげるのは基本ですが、
そこから先が肝心です。
例えば、先生が理不尽なことを言った、と言うなら
「それじゃ、どういう意味で言ったのか、先生に聞いてみるね。」
言葉も少ないし、きちんと理解できていない場合は、
都合よい解釈で親に伝えてしまっていることも多々あります。

お友達とトラブルを起こしたなら
「あなたはどうしたの?」
「そのことを他のお友達が見ていた?」
「見ていた子はなにか言ってた?」

ひとつの出来事を多角的に(たくさんすぎてはだめよ♪)聞くことで
状況の本質は見えてきます。

「あら、最初の話とちょっと違うようだけどどういうことかしら?」

あくまでにっこりやってください。
あのね、
ごまかすのが上手になってしまうと、やがて
「大人なんかちょろい。親なんかちょろい。だってボク(私)の言うことは
なんだって聞いてくれて、思うとおりに動いてくれる。」
なんて、都合よく親を使うようになっていくんですね。

「子供を守るのは親ですから。」
あたりまえ。場合によっては闘うことも必要でしょう。
自分の子供を守りたいなら、
子供の話をしっかり聞き、状況を把握するための行動をしっかりとり、
都合よく利用される親にだけはならないでいただきたいものです。

子供に負けちゃなりません。

親にはかなわないという気持ちと
親は自分をしっかりと守ってくれて見捨てないという確信があれば
自分も素敵なかっこいい大人になろうという気持ちがわくのです。

先日、学校からすごく遅くクラブに帰ってきた子がいて
「だって、先生の手伝いしていたんだもの。先生だって知ってるよ!」
と言うから
「じゃ、学校の先生に聞いてみてもいいわね?」
「それっていちいち学校の先生に聞かなきゃならないこと?」
「そりゃそうよ。こう遅かったら私たちも心配になっちゃうもの。」
「・・・」
と、じっと話を聞いていた連れの男の子が
「こりゃもう無理だ。俺達、遊んでたんだ。ごめんなさい。」

・・・・・・・・・・・・・・・

うそを積み重ねるとろくなことはないことくらい誰でも知っています。
ではなぜうそをついてはいけないか。
うそをつかれた人も困るし、うそをついた本人も困るから。
うそをついた自分自身が一番わかるはずです。
「自分はうそつきだ。」と。
うそつきのレッテルを自ら貼ってしまうのです。
ドキドキと不穏な胸の鼓動を抱えながら過ごさなければならないなんて
なんてかわいそうなことでしょう!

子供にとって母親は女神様だといいます。
女神様に自分を見てもらいたい!誉めてもらいたい!
だから、本能的にひょろっとごまかしてしまうことがあるのです。

子供が悪いことをして恥ずかしいのは親ではありません。
その子自身なのです。

子供の健やかな成長を願うなら、どうすればよいか。
そこをしっかりと考えるのが親の責任、務めなのです。

「勉強できなくてもいいんです。」

2005年11月18日 10時06分18秒 | 親と子のコラム
ほんとに?(笑)

できないよりできた方がいいに決まってるって子供でも知ってるよ?

小学校へ上がる時期というのは、
子供達がいろいろな知識を学び始めることができるという
発達段階の時期とちょうど合致しています。
保育園、幼稚園で身につけることは「生きるエネルギー」。

なんで勉強しなくてはならないの?
なんで大人は勉強しなくていいの?

子供達は往々にして口応えしたいときにこの疑問をぶつけてきます。
そうではなくて、素直に聞いてくることもあるけどね。

きっぱり答えてやってください。堂々と。
自分が勉強できていなくてもいいから。

勉強は、簡単簡潔に言えば、素敵な大人になるために。
ちょっと具体的に言えば
いろいろな知識を身につけることで
幅広く物事を考えられる人になるために必要なのですね。

「ボク、割り算なんかできなくていい。」と言った子がいました。
「あら、そう?
じゃ、あなたが大人になって、みんなとお食事に行ってお金を出し合うとき
割り算できなかったらあなた損しちゃうかもね。」

そう言ったら、「ほんとだ!」と叫んでやり始めました。

義務教育でなされている「勉強」はやっぱり必要だと思うのですよ。
読解力がなければ、人の話していることや書かれていることがわからない。
計算力がなければ、お金という経済的側面だけではなくて
先を見通す力が育たない。
理科や社会で世の中の仕組みを知らなければ
よりよい社会を作る人材は育たない。

個人的なことでいえば、
いろんな知識や技術を身につけている人の方が
仕事の幅が広がります。選択肢も。

だから勉強は大事です。せめて義務教育はしっかり受けましょうよ。

大人はなんで勉強しなくてよいか。

その勉強はあなた達の頃にやったのよ!と言ってください。

子供達に聞かれたときに私はこう答えました。
「悪いけど、先生はもうそれをやったのよ。だからここにいるの。
勉強してこなかったらさぁ、こうして先生なんかになれてないし。」

「そりゃそうだ~」と返ってきたのは明るい笑い声。
受けとめる子供がよかったのね♪

授業についていけないと、子供は退屈しちゃうし、
わからない中にいることほど苦痛なことはないですから、
そりゃ歩き回ったり好き勝手なことに奔ってしまうのもわかります。
それを「先生にまとめる力がない!」って筋違いだよなー。

「勉強できなくてもいい。」
優しい子に育ってくれれば、という願いからの言葉なのでしょうが
人の気持ちがわかる子に育つためにも、
いろいろなことを学ぶことでものの見方を豊かにしないとね。

ともすれば、この言葉はすでに「諦めちゃってる」ことになりますよ。
間違っても
勉強しなくちゃ先生に怒られるでしょ?とか
勉強すれば誉められるからよ、とか
勉強しなくちゃバカになるからよ、なんて言わないでくださいね。
「バカな子」はいませんから♪

「家庭学習」についてはまた書いてみたいと思います。

「大変なんです!」

2005年11月18日 07時58分03秒 | 親と子のコラム
子育ては大変です。
仕事をするって大変です。
生きるって大変です。

人に向かって
「私はこんなに大変なんですよ!わかりますか?」
と言う人がいました。

「わかりますよ。」

ああ、この人は自分を認めてもらいたいのだなぁ。
自分を認めてあげられないかわいそうな人だなぁ。
その大変な状況を、ほんとうは自ら選んでしているというのに。

好きで仕事をしているわけではない、というのはわかります。
でも、仕事をしなければならない状況だからしているのでしょう?
少しでも、その仕事が好きになれるように努力したらどうですか?
人に八つ当たりする前に。

「大変だ、大変だ」とか「忙しい、忙しい」とやたら言う人は
その言葉でかけがえのない自分自身を傷つけていることに気づいていないのでしょう。

字をよく見てご覧なさい。

「大いに変(へん)」と書いて「大変」
「心(←立心偏)を亡くす」と書いて「忙しい」

「大いに変(へん)」ではなくて「大きく変わる」にしませんか?
今の状況をしっかり受け止めることができなければ
(それはチャンスだというのに!)
よくなることはできません。

「わかりますよ。」と言いながら、心の中では「あらまぁ。」と呆れています。
あのね、他人ってそんなもんなんですよ。
受け容れる器のない人に本当のことを言ったら逆上されるだけですからね。

「長い目で、のびのびと子供を育てたいのです。」

2005年11月18日 05時57分40秒 | 親と子のコラム
「長い目で、のびのびと子供を育てたいのです。」
けっこうですナ。
でも、「自分勝手に好き放題」を「のびのび」とはいいません。

「のびのび育つ」には、その子の心の中に
「大切にされている」という思いがしっかりと根付いてこそ。

弱々しい根の植物が、まともに育ちますか?

それは長い目で根づいていくもの、ではなくて
最初が肝心♪なのです。

子供にとっての居場所は、保育園でも幼稚園でも学校でもなく「家」です。
どんなに酷い目にあわされても、そこにしか帰ることができない場所。
時々、端から見ていてつらくなることがあります。

どんなに他者が
「あなたは悪くないわ」、「あなたはいい子よ」、「きみの気持ちはわかるよ」
と言ったって、例え、それで感激して涙が出たって、
その言葉を本当に言ってもらいたいのは親からなのです。
感激して、は表向き。
その涙の意味は「寂しさ」なのです。

あたたかい言葉のまやかしには気をつけなければなりません。
「あたたかい言葉を言わなくては」と躍起になりすぎて
大事なことを伝え忘れてしまっては根無し草。

社会生活に必要なことは、きちんと教えていかなければ
厳しくでもあたたかく教えていかなければ、
親の方も何かことが起こったときに愕然とする羽目になってしまいます。

そのあたりの駆け引きがなかなか難しいですよね。
なんたって人間は感情動物なのだから。

ポイントは「お前はバカだ!」と罵詈雑言をあびせないこと。
「バカな子」はこの世の中にいませんよ♪

「長い目で、のびのびと子供を育てたいのです。」
私はね、この言葉はあんまりおおっぴらに言わない方がよいのでは?
と時々思ってしまいます。
だって親の面倒くささだとか、親の言い訳にしか聞こえないことが多々あるからね。

見ていたよ。あの雲の上から。

2005年11月15日 15時54分55秒 | 親と子のコラム
「お母さんをえらぶ赤ちゃん」という本があります。
(ジョナサン・ケイナー編 説話社2004)
誕生を記憶する赤ちゃんについての投稿記事を集めたものなんですけどね、
赤ちゃんはね、お母さんを選んで生まれて来るんですって。
だから、私たちも自ら選んでこの星に生まれてきたってことですよね。

すごいなぁ、と思います。
自ら選んでこの世に生まれてきたのなら、
なおさら自分の人生、大切にしなくちゃって思うわけです。

「何のために生まれてきたか」は、誕生と同時に闇の中。
だけど、私たちは確かに目的を持って存在していることだけはわかります。

この本が出版される頃、私が書いたお話があります。
私の娘(小6)もね、ちょっとだけ記憶を持って生まれてきたんです。
生まれてくれて、ありがとう。


■□■□ 見ていたよ。あの雲の上から。■□■□

おかあさん、あのね
あたし、生まれる前からおかあさんのこと 知ってたよ。

だって あの雲の上から 見ていたんだもの。

神さまと一緒に。
やさしい 人だったよ、神さま。
おじいさんだったと思う…
白い衣で…

…思い出せるのはそのくらい。

覚えているのは
神さまとあたしたちは
白い雲の上をふわふわ歩いていたということ。
静かに静かに歩いていたということ。

神さまのいる場所には
たくさんのお友達がいたよ。

しんちゃんも いたよ。
弟のしんちゃん。
いっつも遊んでいたんだもの。
っていうか、しんちゃんがついてきてたっていうか。

・・・

ある日、神さまとお散歩していて
その日はどういうわけかふたりっきりで。

雲の上に寝っころがって
地上を見ていて

目が止まったの。
飛び込んできたって感じ。
…女の人。

「この人!この人がいい!」
見つけた!って思うより早く
あたしは そう叫んでた。

そのとき、その人とても可愛らしく笑ったんだー。
こっちを見て笑っていたわけではないのに
笑顔があたしをわくわくさせたんだー。

おかあさん のね。

「神さま、あたしあの人の所へ行くね。」
そう言うと、神さまは
「そうですね。」
そう言って、あたしをそっと白い衣の中に包んでくれた。

あたしはどんどんどんどん

白い白い闇の中へ


白い闇の中へ


まっ白な












 み


  の…



 な…



か…





どのくらいの時間がたったのだろう。
よくわからないのだけど

目が覚めた場所は
あたたかい 腕の中だったよ

おかあさん のね。


神さまが言っていたことがあるの。
「いろんなことが ありますよ。」

いろんなことって

いいことばかりじゃないってことだよね。

でも「大丈夫」なんだって。
そう言ってたよ、神さま。

おかあさん

あたしは あの雲の上から おかあさんを 見ていたよ。

あたしが 見つけたの。
あたしが 選んだの。

・・・

あと、しんちゃんのことだけどね
たぶん、あたしについて来ちゃったんだ。やっぱり。

神さまに包まれたときに
「待って待ってーー」って
かわいい声が聞こえた気がしてたの。

しんちゃん のね。

しんちゃんのことだから
神さまにお願いお願いお願いってお願いしたんじゃないの?

しんちゃん らしいよね。

・・・

おかあさん

あたしは あの雲の上から おかあさんを 見ていたよ。

あたしが 見つけたの。
あたしが 選んだの。

だからね

笑ってて。

無理しなくていいんだけど
笑ってて。

いつもみたいに。

それだけで 
あたし うれしくなれるから。

ね。


*おしまい*

(C)tukkin/Kiyoko Kishino 2004.1

では、また。

追伸:選ばれた人はいい、選ばれない人はダメ、なんてことはありませんからね。
お間違えございませんよう♪