北京オリンピックは、開会式は少し見たが、競技の方はほとんど見てない。
どういうわけか、見たいという気持ちにならない。オリンピック中継を見ることよりも、見ないことの方が快適に感じる。
いつ頃からそうなったかなと考えてみると、ロサンゼルスオリンピックの頃からだな。それまでは、オリンピックもよく見てた。応援もやってた。
しかし、ロサンゼルスオリンピックは税金を使わないで行なったオリンピックということで、「興行」みたいだった。そのためか、TVではしつこいぐらい「スポーツの感動」とか言ってるのが嫌になって、ロサンゼルスオリンピックは途中で見なくなった。
スポーツはゲームとして楽しめばいいのに、何で「感動」に結び付けようとするのかとも思ったのだろう。
それに加えて最近のワシは、メダルをとって喜んでる者を見て、おめでとうとは言えない。「成功者に対するねたみか?」 と言われれば、「そうだよ」と答えるしかない・・・。
そういう自分を見たくないからTVを見たくない、ということもあるかもしれんけど、やはり商業的になったオリンピックには興味持てないんだろう。
オリンピックは「アマチュアスポーツの祭典」といわれてた頃のほうがよかったな。
どういうわけか、見たいという気持ちにならない。オリンピック中継を見ることよりも、見ないことの方が快適に感じる。
いつ頃からそうなったかなと考えてみると、ロサンゼルスオリンピックの頃からだな。それまでは、オリンピックもよく見てた。応援もやってた。
しかし、ロサンゼルスオリンピックは税金を使わないで行なったオリンピックということで、「興行」みたいだった。そのためか、TVではしつこいぐらい「スポーツの感動」とか言ってるのが嫌になって、ロサンゼルスオリンピックは途中で見なくなった。
スポーツはゲームとして楽しめばいいのに、何で「感動」に結び付けようとするのかとも思ったのだろう。
それに加えて最近のワシは、メダルをとって喜んでる者を見て、おめでとうとは言えない。「成功者に対するねたみか?」 と言われれば、「そうだよ」と答えるしかない・・・。
そういう自分を見たくないからTVを見たくない、ということもあるかもしれんけど、やはり商業的になったオリンピックには興味持てないんだろう。
オリンピックは「アマチュアスポーツの祭典」といわれてた頃のほうがよかったな。