何となくわかる。
日本では、年度は4月から始まるが、自然界の春というのはそれよりももう少し早く始まり、3月というと春というイメージ。
自然界では3月頃に新しい1年を迎えようとしている。が、自分は今までと同じ。明日も明後日も何にも変わんない日々が続く・・・。
要するに、ほとんど楽しみもない人生、将来には不安しか待ち構えてない人生、そんなものが続いていく・・・。
そして、ちょっとしたことがあったときなどに、今生きている状態と、この社会を去った状態を気持ちの上で秤にかけてしまうんだよな。
ワシの場合、親の介護とか自分の病気とかがあった。それを秤にかけて、去りたいと思ったこともときどきあった。まあ、まだ思いとどまってはいるが。
そして、恵まれた人生の者が羨ましい。そういう人生とならなかった自分はもう諦めて、新しい人生を迎えたい。始めからやり直したと考えるわけなんだよな・・・。
今の日本では、それを考えてる人は、以前以上にいると思う。格差の広がった社会では。
人間に限らず生きてるものは一度は死ななきゃならない。それを、自分で時期や方法を選ぶのは構わないことだとも思ってる。以前からその考えは持っているのだが、今もそれは同じだ。
そんなこと言いながら、明日からも生き続けてるか。まあ、なるようになるか・・・。
日本では、年度は4月から始まるが、自然界の春というのはそれよりももう少し早く始まり、3月というと春というイメージ。
自然界では3月頃に新しい1年を迎えようとしている。が、自分は今までと同じ。明日も明後日も何にも変わんない日々が続く・・・。
要するに、ほとんど楽しみもない人生、将来には不安しか待ち構えてない人生、そんなものが続いていく・・・。
そして、ちょっとしたことがあったときなどに、今生きている状態と、この社会を去った状態を気持ちの上で秤にかけてしまうんだよな。
ワシの場合、親の介護とか自分の病気とかがあった。それを秤にかけて、去りたいと思ったこともときどきあった。まあ、まだ思いとどまってはいるが。
そして、恵まれた人生の者が羨ましい。そういう人生とならなかった自分はもう諦めて、新しい人生を迎えたい。始めからやり直したと考えるわけなんだよな・・・。
今の日本では、それを考えてる人は、以前以上にいると思う。格差の広がった社会では。
人間に限らず生きてるものは一度は死ななきゃならない。それを、自分で時期や方法を選ぶのは構わないことだとも思ってる。以前からその考えは持っているのだが、今もそれは同じだ。
そんなこと言いながら、明日からも生き続けてるか。まあ、なるようになるか・・・。