コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

萩谷朴の卒業論文論 抄

2008-02-09 20:44:03 | 
引き続き「卒論ミュージアム☆」タイアップ企画。

私の卒論、あなたの卒論」で紹介したように、萩谷朴の「卒業論文を書くことの重大な意味」(『おもいっきり侃々』〈1990 河出書房新社〉 所収)は、本当に、何度読んでも素晴らしい。
多くの人に熟読玩味して欲しいのだけれど簡単に入手できるものでもないので、著作権を侵さない程度に、終わりの方の2カ所だけ引用させていただこうと思う。


興味を持たれた方は古書店で購入するなり、図書館を探すなりしていただきたい。
*収録されている他の文章も非常に有益かつ面白いので、持っていて損はない本です。

なお、この本文の初出は『国文学解釈と鑑賞』44巻12号 [1979.11]。
「古典文学研究法--現在の達成と課題」という特集の中の記事の由。
利用者登録があれば国会図書館から簡単にコピーを取り寄せることもできる。
便利になったものだ。試しに「雑誌記事索引」で、この論文名・刊行年を指定して検索を試みるべし。



さて、最初に文科系卒業論文の社会的な意義について書かれた部分を。

 では、学問や教育と全く無関係に思われる一般企業や官公庁、自営業・自由業に進む者には、卒業論文は、大した意義を持たないのではないかという疑問に答えよう。
 卒業論文という階梯を、自らテーマを見いだし、自らの努力によってテキストを読解し、資料を蒐集して、公正な判断を下し、自らの結論を導き出し、しかも、その結果に対しては厳正な批判を自らに加える勇気を忘れないという、人間形成・人格陶冶の真の目的に叶った方法・態度で体験した者は、一般企業に進んでも、官公庁に勤めても、自営・自由の職業に就いても、その責任ある言行によって社会の信用を博するであろうし、人類社会の幸福のために追究すべき真実と、利己的な利権情実に偏した虚偽とを厳正に鑑別対処する良心を失わないが故に、政官財界たると福祉厚生事業たると、いかなる職域においても、不正取引によって、国家社会に損害を与えることは、いくらかでも減少するに違いない。
 こうした卒業論文の広汎な効果を考える時、苟も、審査の煩わしさを避けて、卒業論文を廃止したり、原稿用紙五〇枚以下に量的制限を加えるようなことがあっては罷りならぬ。卒業論文に関する水準は、テーマの大小を問わず、その労務作業を加圧するために、量的にはむしろ一〇〇枚以上と大きい方が望ましい。卒業論文に限らず、学校教育の課題は、決して、及第落第のみを目的とするものではなく、その修得過程における人格陶冶と、その修得した徳目を実人生に活用する一貫として渝らぬ堅固な志操の涵養とにある。
 常に汚職とか贈収賄の嫌疑で新聞紙上を賑わせる人達の顔ぶれを見るとよい。彼等は、日本の政官財界のトップに位置を占める有能な人物である。その人達は、必ずや学校教育においても抜群の成績を占めてきた者が多いに違いない。ことに、戦前の教育における修身という道徳教育科目においても、全甲・満点で通してきたことであろう。
 しかし、それらは、結局は点取り主義以外の何ものでもなく、修身その他、学校教育の成果は、なんら、彼らの社会的活動に規制を加えてはいないのである。これは実に空しいことだ。
 無自覚、無責任な他人の意見を受け売りに終始した教育、与えられたものを無批判に記憶して、鸚鵡返しに吐き出すに過ぎない試験制度、それらが、諸々の社会的矛盾を生み出す体質を形成しているのである。
 せめて卒業論文を、学校教育総仕上げの最終段階における、人間形成・自己鍛錬の最後の場として、効果あらしめたいという私の願いをご理解いただきたい。


これを読むと、今回の企画の意義も非常に明確になるのではなかろうか。

しかし、30年前にこういう意識も発言もあるのに、今はもっとひどくなっているのはどうしたわけだろう。戦後教育は何を目指していたのか。


もう1カ所は、一番最後の部分。
これから卒業論文に立ち向かうべき若い学生へのメッセージになっているのだけれど、この年次計画案は本当に理想的。

 そのためには、到底、四年生になって題目提出の時期が差し迫ってからでは、「地獄の鼎のふちに頭をつき当て」たようなもので、間に合わない。だから前にも申したように、大学に進むと同時に、講読・演習・特殊講義のすべての履修科目はもちろん、課外の読書にもせよ、観劇・聴楽、ありとあらゆる機会を、卒業論文という最終目標に、何がしかの関連を求めて集中するという、行住坐臥の間における蓄積がなければならない。
 大学における学生生活にあっては、二月・三月という春期休暇が、決して夏期休暇に劣らぬ程、長いものである。その前の三年生の冬休みに、一年入学の当初から振り返って、自分が疑問としたこと、格別の興味を誘われたことなどを思い返して、その中から、テーマを仮定することとする。春休みには、テキストを精読理解して、問題点を具象化する、できれば関連科学の分野にまで資料蒐集を完了する。教育実習も終って、夏期休暇にはいれば、七月中に、自説を仮設するところまで漕ぎつける。八月には、同一テーマに関する既成の著書・論文を渉猟し、テキストの読解についても、既成の注釈書を参照して、自説の反省と他説に対する批判を行ない、それらを止揚し得た結論に達する。九月には、一応論文の下書きを終えて指導教官の目通しを願う。そこで、指摘された所論の欠陥や資料の不足を補った上で、十一月には清書を終り、十二月には、製本屋の混雑を避けて、早い目に仕上げてしまい、余裕綽々として提出日を待つというようにしてもらいたいものである。
 これを無理だとは言いなさるな。自己の限界に挑むことが、スポーツのみならず学問においても何よりも大切なのだ。




あぁ、済みません、もう一つだけ。
教員への戒め。

しかし、われわれ大学教員には、小・中・高の普通教育課程が、如何に空虚な受験指導に堕していようとも学校教育の最終段階に上がってきた学生を、出来るだけ、人間形成即主体性の確立という教育の至高目的に合致するよう鍛錬し直して、ある程度の自主能力を備えた一個の人格として、社会に送り出す義務がある。


重い。


30年前の理想主義。
現実の大学はもう、こんな悠長な事は言ってられない。

ほんとうにそうだろうか。
そう思ってしまえば怠惰な指導でお茶を濁せる。

教員がちゃんと向き合うことで、まだまだ卒業論文の可能性は拓けていくのではないかと。

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7 コメント

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思うこと (グラボソ)
2008-02-09 21:05:36
学生を指導していて思うのは、独創性とか応用がきかないひとが多いこと。

あるいは、何か示したいことがあるために指標を作って分析させると、「示したいこと」の存在を忘れ、指標自体について云々する。

本末転倒、ですよね。

それもこれも、他人に言われて何かするから、自分で何か考えていないからですよね。

理由を考えながら作業していればおかしなことにはならないのに、考えていないから、指標をいじることが目的になってしまう。
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同感! (コニタ)
2008-02-09 21:10:26
今に始まったことではない、と言うことですが。

古典文学の研究でも、本文の比較や典拠調べなどをよく見かけますが、それが、大局において何の意味があるのか、と言うことが示せていない事が多いのです。

わけもわからず先学(または直近の指導者)の方法をまねるだけ。

そういう意味で、出発点、というのは本当に重要だと思います。
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理想と現実 (Angerika)
2008-02-09 21:18:26
審査が煩わしいと思われるような卒業論文が
多いのでしょうか。
受験勉強をがんばりすぎて入学した学生さんには、
論文執筆はむずかしいのかもしれませんね。

理想に目をそむけない方が、あとあと
お得だと思いますね。
私たちは現実に追われるためだけに
生きているのではないから。
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煩わしい (コニタ)
2008-02-09 21:57:49
この文章が書かれたのは79年。
学生運動による大学の荒廃は終わっていたと思いますが、学生数は多かったし、学生の気力も落ちてましたよね(私は80年入学)。
そういう情勢を反映した発言ではないかと。

ただし、今でも、ろくに指導しない人、読まずに成績を出してしまう人がいるのも現実のようです。

それで卒論代行なんて言うことも起きる。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/deff77ea3d562acab5ddfa6c73d9c75f
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学生ならば (akanami)
2008-02-09 23:23:39
 生きている中で社会・常識への疑問。または未来への提示。
結論を出すために精査していくと、自分は何も知らないのがわかります。知らないことがあるのがわかればわかるほど、より知ろうとする。

 そして、学内の論文発表会。なぜ一部の発表会では論文発表者への容赦の無い質問が聴いている学生からまったく出てこないのか。
 
私達、学生自身もなぜ、生徒でなく学生と呼ばれるかの意味に向き合うべきなのでしょう。

 
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ありがとうございます。 (コニタ)
2008-02-10 17:04:15
発表会での質問の少なさ、本当にそう思います。
全問から少しずれてしまうと興味も持てず、「解らない」といってまじめに聞かない。

専門外だからこそ、専門家の話は面白いのに。


ずっと「学生」です。
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えーと (こにた)
2009-01-27 15:30:31
SPYSEEから来られた方は???だと思います。

ここは萩谷氏のプロフィール記事ではありません。

しかし、せっかくですから他の所も見ていってください。

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