1999/05/28: ◆体験 ボランティアサークル「たんぽぽ会」会長 福岡 吉村由美子さん
*輝きの人生/Victory of Life/紙芝居や絵本の読み聞かせ
をする「たんぽぽ会」の会長/子供たちよ、大きな夢を育んで!/児童養護施設
で育った少女時代/「大人への不信に心を覆われていた私が、創価家族に包まれ
、感謝の心を知った」/ボランティアの行動が地元紙等でも紹介
### ###
【福岡県大牟田(おおむた)市】家族の温かさ。親のぬくもり。子供の豊かな
心を育(はぐく)む上において、これほど大切なものはない。しかし、最近では
家庭のあり方を考えさせられる事件等が多いのも現実だ。吉村由美子さん(30)
=千代町支部、副ブロック担当員=は「子供たちに夢を育んでもらいたい」と
紙芝居や絵本の読み聞かせをするボランティアサークル「夢を育む たんぽぽ会
」の会長を務める。家庭の事情から児童養護施設で育ち、大切な時期を大人に対
する不信、孤独感に心を覆われて過ごした。そんな吉村さんが「創価家族の温か
さに包まれて」変わっていった。育った施設の“妹や弟たち”のために紙芝居等
を始めた吉村さんの“夢を育む”運動の輪は、地域に大きく広がっている。
### ###
*本当のやさしさに触れて
「ここは、ほしのゆうえんちさ。あちこちのほしから、子どもたちがやってき
て、みんなでなかよく、あそんでいくんだよ。……」
この日、吉村さんは「夢を育む たんぽぽ会」のメンバーとともに、
池田名誉会長の童話『ほしのゆうえんち』の手作りの紙芝居を披露した。子供た
ちの輝いた瞳(ひとみ)。“どんな物語だろう”と胸をわくわくさせている。ど
の顔もいい表情だ。
「わあ、すごい。私もあの金の鶴に乗ってみたい」「僕はほしの観覧車がいい
な」。子供たちの心にいろんな夢が育まれていく。場面が変わると、子供の表情
も豊かに変化していった。
物語が終わると大拍手。「みんな、楽しかった?」と吉村さんが声をかけると
「楽しかったよ!」の大合唱。吉村さんの顔もほころんだ。「子供たちの喜ぶ姿
を見ると、もっと頑張ろうと思うんです。子供は笑顔が一番。私の子供のころの
ように、悲しい思いをさせたくありませんから……」
――夫婦喧嘩(げんか)が絶えない家庭で育った。酒を飲んで暴れる父親を見
ながら、おびえる毎日。家を出た母親は病気でこの世を去り、その後、父親も
行方不明に。吉村さんは児童養護施設に預けられた。その時は「ほっとした」と
いう。しかし、幼い心は大人への不信に覆われていた。“大人はうそつきだ!
身勝手だ!”
施設や小・中学校の先生にも反発。先生が右と言えば左を向く。髪の毛を染め
たり、施設を抜け出したり。「施設始まって以来の問題児って言われたほど。夢
も希望もなかった……」
中学卒業と同時に施設を出て、滋賀県で就職。だが長続きせず、一カ月後には
大牟田に。そんな時に出会ったのが田代恵美子さん(42)=希望支部、
地区副婦人部長。学会員だった。
それまでの生い立ちに親身になって耳を傾けてくれた。それでも最初は「どう
せ信用できない」と思ったという。だが、知り合った多くの同志は温かかった。
子供のころから悩まされたてんかん発作を起こした時、すぐに駆け付けてくれ
た同志。「大丈夫?」と心配してくれた顔に“うそ”はなかった。「病気が良く
なるように」と祈ってくれる温かさを肌身に感じた。
「私なんてどうなってもいい」と言った時には、「もっと自分を大切にして!
」と厳しく言ってくれた友の“本当のやさしさ”。「創価家族だから」「幸せに
なろうよ」との言葉に、吉村さんは一九八六年(昭和六十一年)に入会した。
*“妹や弟たち”のために
同志は母のように父のように、そして、姉妹のように接してくれた。ある先輩
は激励の手紙の最後にいつも「母より」と。その文字を見るたび涙があふれた。
こんなこともあった。経済苦で着る服に困っていた時、婦人部の先輩が「着ら
れなくなった洋服だけど、もったいないからサイズが合えば着てみて」とそっと
手渡してくれた。
聖教新聞やビデオで「子供に対しても一人の人格として接する池田先生の
素晴らしさに感銘しました」。先輩とともに学会活動に。気づくと十数年間も悩
まされてきたてんかん発作や吃音(きつおん)がなくなっていた。
八七年には、田代さんの弟の吉村辰男さん(38)=男子地区副リーダー=と結婚
。義父・春雄さん(76)=壮年部員、義母・美波子さん(65)=地区副婦人部長=も
本当の娘のように接してくれた。それまで“独りぼっち”だっただけに、家庭を
もったことがうれしかった。
そんな吉村さんが入会以来、祈ってきたことがある。それは育った施設の子供
たちのこと。親がいない、事情があって親と暮らせない“妹や弟たち”。みんな
精いっぱい生きていた。だが、一歩、社会に出れば厳しい現実が待っている。“
みんな、しっかりご飯を食べているかな”“あったかいふとんで寝ているかな…
…”
吉村さんは「迷惑をかけたから」と足が遠のいていた施設を五年ぶりに訪ねて
みた。職員室の扉を開けると、皆が元気な姿を喜んでくれた。施設の創立者もや
さしく「由美子ちゃん、幸せかい?」と。「反発していたころには気づかなかっ
た先生方のやさしさを感じました。感謝しています」
そして、五年前にはまだ幼かった子供たちも「由美子ねえちゃん!」と駆け寄
ってきた。その子供たちを抱きしめながら思った。“みんな、幸せになってほし
い。夢をもって自分の道を歩んでほしい”
そこで始めたのが紙芝居だった。“夢と希望を贈ってくださる池田先生の童話
を通して、みんなに豊かな心を育んでもらいたい”と最初に選んだのは『ほしの
ゆうえんち』。“施設への恩返し”の思いも込め、毎年、紙芝居等を続けた。
そんな吉村さんを友は温かく応援してくれた。「個人的に吉村さんの妹や弟に
プレゼント」とたくさんのアイスクリームを贈ってくれたり。うれしかった。
*輝く瞳、喜ぶ姿が活力
そんな吉村さんに試練が訪れる。九二年、生まれたばかりの長男・明良君(6つ)
が原因不明の発熱。脳しゅようの疑いもあり、何度も検査入院をした。更に夫の
辰男さんも自律神経失調症に。
同志の励ましの中、吉村さんは懸命に祈った。「ただ楽しいだけが家族ではな
い。苦しい時に団結し、打開していく。それが家族だということを知りました」
最初は仕事に出られない夫につらく当たっていた吉村さんも「心配しないで。
必ず良くなるから」と。“一家の太陽”へと成長していった。「懸命に唱題を重
ねるなかで、恨んできた父親にも感謝できるようになりました。両親に私を産ん
でくれてありがとうと思えるように……」
二年後、辰男さんは病気を乗り越え、明良君も「異常なし」と。吉村さんはそ
の経験を通して思った。病気等でつらい思いをしている子供もいる。もっと多く
の子供たちの力になれれば。
「地域のため、人のために」との学会指導を胸に一昨年、ヤング・ミセスの
先輩の協力で始めた運動。友人も交え、子供が通う保育園や病院に入院している
子供たちに手作りの紙芝居や絵本の読み聞かせをした。
ある知的障害児の施設にも行った。自閉症やダウン症の子供たちが紙芝居を
静かに聞くことができるか、職員も心配した。しかし、紙芝居が始まると、それ
まではしゃいでいた子供たちが瞳を輝かせた。
紙芝居が終わると子供たちはメンバーの周りを囲み、ニコッと笑顔を見せて手
を差し出した。その小さな手を握り、笑顔を返す吉村さん。“心は通じるんだ”
。また一つ、子供たちから大切なことを学んだ。
老人ホームでも手遊びや演奏などを交えて楽しい交流。更に交通安全のための
紙芝居や環境問題をテーマにした紙芝居など、幅広く手がけ、その活躍は地元紙
にも紹介されるほど。感謝の手紙も寄せられている。
育った施設の施設長も「吉村さんが施設の子供たちを妹や弟のように大切にし
、紙芝居などを披露してくれた時は心からうれしく思いました。子供たちも
毎回楽しみにしており、『おもしろかった』『また来てね』と喜んでいます。こ
のような行動を『もっと多くの子供たちのためにも』と提案をさせていただいた
のですが、現在、幼稚園や病院などで広く活動されており、私も喜んでいます」
と。
「今月からは子供たちと公園の清掃ボランティアをしながら、その公園で
紙芝居を始めたんです。人のため、地域のために行動する心も育んでほしいと思
って」。吉村さんの尊い行動は、子供たちの夢とともにこれからも大きく広がっ
ていくことだろう。
### ###
「みんな、楽しい?」「はーい!」――吉村さん(右端)や「たんぽぽ会」の
メンバーが披露する紙芝居に子供たちも大喜び
昨年11月には次男の英男ちゃんが誕生。夫の辰男さん(後方(左))と長男の
明良君(同(右))も病気を乗り越え、幸せいっぱいの吉村さん一家
*輝きの人生/Victory of Life/紙芝居や絵本の読み聞かせ
をする「たんぽぽ会」の会長/子供たちよ、大きな夢を育んで!/児童養護施設
で育った少女時代/「大人への不信に心を覆われていた私が、創価家族に包まれ
、感謝の心を知った」/ボランティアの行動が地元紙等でも紹介
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【福岡県大牟田(おおむた)市】家族の温かさ。親のぬくもり。子供の豊かな
心を育(はぐく)む上において、これほど大切なものはない。しかし、最近では
家庭のあり方を考えさせられる事件等が多いのも現実だ。吉村由美子さん(30)
=千代町支部、副ブロック担当員=は「子供たちに夢を育んでもらいたい」と
紙芝居や絵本の読み聞かせをするボランティアサークル「夢を育む たんぽぽ会
」の会長を務める。家庭の事情から児童養護施設で育ち、大切な時期を大人に対
する不信、孤独感に心を覆われて過ごした。そんな吉村さんが「創価家族の温か
さに包まれて」変わっていった。育った施設の“妹や弟たち”のために紙芝居等
を始めた吉村さんの“夢を育む”運動の輪は、地域に大きく広がっている。
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*本当のやさしさに触れて
「ここは、ほしのゆうえんちさ。あちこちのほしから、子どもたちがやってき
て、みんなでなかよく、あそんでいくんだよ。……」
この日、吉村さんは「夢を育む たんぽぽ会」のメンバーとともに、
池田名誉会長の童話『ほしのゆうえんち』の手作りの紙芝居を披露した。子供た
ちの輝いた瞳(ひとみ)。“どんな物語だろう”と胸をわくわくさせている。ど
の顔もいい表情だ。
「わあ、すごい。私もあの金の鶴に乗ってみたい」「僕はほしの観覧車がいい
な」。子供たちの心にいろんな夢が育まれていく。場面が変わると、子供の表情
も豊かに変化していった。
物語が終わると大拍手。「みんな、楽しかった?」と吉村さんが声をかけると
「楽しかったよ!」の大合唱。吉村さんの顔もほころんだ。「子供たちの喜ぶ姿
を見ると、もっと頑張ろうと思うんです。子供は笑顔が一番。私の子供のころの
ように、悲しい思いをさせたくありませんから……」
――夫婦喧嘩(げんか)が絶えない家庭で育った。酒を飲んで暴れる父親を見
ながら、おびえる毎日。家を出た母親は病気でこの世を去り、その後、父親も
行方不明に。吉村さんは児童養護施設に預けられた。その時は「ほっとした」と
いう。しかし、幼い心は大人への不信に覆われていた。“大人はうそつきだ!
身勝手だ!”
施設や小・中学校の先生にも反発。先生が右と言えば左を向く。髪の毛を染め
たり、施設を抜け出したり。「施設始まって以来の問題児って言われたほど。夢
も希望もなかった……」
中学卒業と同時に施設を出て、滋賀県で就職。だが長続きせず、一カ月後には
大牟田に。そんな時に出会ったのが田代恵美子さん(42)=希望支部、
地区副婦人部長。学会員だった。
それまでの生い立ちに親身になって耳を傾けてくれた。それでも最初は「どう
せ信用できない」と思ったという。だが、知り合った多くの同志は温かかった。
子供のころから悩まされたてんかん発作を起こした時、すぐに駆け付けてくれ
た同志。「大丈夫?」と心配してくれた顔に“うそ”はなかった。「病気が良く
なるように」と祈ってくれる温かさを肌身に感じた。
「私なんてどうなってもいい」と言った時には、「もっと自分を大切にして!
」と厳しく言ってくれた友の“本当のやさしさ”。「創価家族だから」「幸せに
なろうよ」との言葉に、吉村さんは一九八六年(昭和六十一年)に入会した。
*“妹や弟たち”のために
同志は母のように父のように、そして、姉妹のように接してくれた。ある先輩
は激励の手紙の最後にいつも「母より」と。その文字を見るたび涙があふれた。
こんなこともあった。経済苦で着る服に困っていた時、婦人部の先輩が「着ら
れなくなった洋服だけど、もったいないからサイズが合えば着てみて」とそっと
手渡してくれた。
聖教新聞やビデオで「子供に対しても一人の人格として接する池田先生の
素晴らしさに感銘しました」。先輩とともに学会活動に。気づくと十数年間も悩
まされてきたてんかん発作や吃音(きつおん)がなくなっていた。
八七年には、田代さんの弟の吉村辰男さん(38)=男子地区副リーダー=と結婚
。義父・春雄さん(76)=壮年部員、義母・美波子さん(65)=地区副婦人部長=も
本当の娘のように接してくれた。それまで“独りぼっち”だっただけに、家庭を
もったことがうれしかった。
そんな吉村さんが入会以来、祈ってきたことがある。それは育った施設の子供
たちのこと。親がいない、事情があって親と暮らせない“妹や弟たち”。みんな
精いっぱい生きていた。だが、一歩、社会に出れば厳しい現実が待っている。“
みんな、しっかりご飯を食べているかな”“あったかいふとんで寝ているかな…
…”
吉村さんは「迷惑をかけたから」と足が遠のいていた施設を五年ぶりに訪ねて
みた。職員室の扉を開けると、皆が元気な姿を喜んでくれた。施設の創立者もや
さしく「由美子ちゃん、幸せかい?」と。「反発していたころには気づかなかっ
た先生方のやさしさを感じました。感謝しています」
そして、五年前にはまだ幼かった子供たちも「由美子ねえちゃん!」と駆け寄
ってきた。その子供たちを抱きしめながら思った。“みんな、幸せになってほし
い。夢をもって自分の道を歩んでほしい”
そこで始めたのが紙芝居だった。“夢と希望を贈ってくださる池田先生の童話
を通して、みんなに豊かな心を育んでもらいたい”と最初に選んだのは『ほしの
ゆうえんち』。“施設への恩返し”の思いも込め、毎年、紙芝居等を続けた。
そんな吉村さんを友は温かく応援してくれた。「個人的に吉村さんの妹や弟に
プレゼント」とたくさんのアイスクリームを贈ってくれたり。うれしかった。
*輝く瞳、喜ぶ姿が活力
そんな吉村さんに試練が訪れる。九二年、生まれたばかりの長男・明良君(6つ)
が原因不明の発熱。脳しゅようの疑いもあり、何度も検査入院をした。更に夫の
辰男さんも自律神経失調症に。
同志の励ましの中、吉村さんは懸命に祈った。「ただ楽しいだけが家族ではな
い。苦しい時に団結し、打開していく。それが家族だということを知りました」
最初は仕事に出られない夫につらく当たっていた吉村さんも「心配しないで。
必ず良くなるから」と。“一家の太陽”へと成長していった。「懸命に唱題を重
ねるなかで、恨んできた父親にも感謝できるようになりました。両親に私を産ん
でくれてありがとうと思えるように……」
二年後、辰男さんは病気を乗り越え、明良君も「異常なし」と。吉村さんはそ
の経験を通して思った。病気等でつらい思いをしている子供もいる。もっと多く
の子供たちの力になれれば。
「地域のため、人のために」との学会指導を胸に一昨年、ヤング・ミセスの
先輩の協力で始めた運動。友人も交え、子供が通う保育園や病院に入院している
子供たちに手作りの紙芝居や絵本の読み聞かせをした。
ある知的障害児の施設にも行った。自閉症やダウン症の子供たちが紙芝居を
静かに聞くことができるか、職員も心配した。しかし、紙芝居が始まると、それ
まではしゃいでいた子供たちが瞳を輝かせた。
紙芝居が終わると子供たちはメンバーの周りを囲み、ニコッと笑顔を見せて手
を差し出した。その小さな手を握り、笑顔を返す吉村さん。“心は通じるんだ”
。また一つ、子供たちから大切なことを学んだ。
老人ホームでも手遊びや演奏などを交えて楽しい交流。更に交通安全のための
紙芝居や環境問題をテーマにした紙芝居など、幅広く手がけ、その活躍は地元紙
にも紹介されるほど。感謝の手紙も寄せられている。
育った施設の施設長も「吉村さんが施設の子供たちを妹や弟のように大切にし
、紙芝居などを披露してくれた時は心からうれしく思いました。子供たちも
毎回楽しみにしており、『おもしろかった』『また来てね』と喜んでいます。こ
のような行動を『もっと多くの子供たちのためにも』と提案をさせていただいた
のですが、現在、幼稚園や病院などで広く活動されており、私も喜んでいます」
と。
「今月からは子供たちと公園の清掃ボランティアをしながら、その公園で
紙芝居を始めたんです。人のため、地域のために行動する心も育んでほしいと思
って」。吉村さんの尊い行動は、子供たちの夢とともにこれからも大きく広がっ
ていくことだろう。
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「みんな、楽しい?」「はーい!」――吉村さん(右端)や「たんぽぽ会」の
メンバーが披露する紙芝居に子供たちも大喜び
昨年11月には次男の英男ちゃんが誕生。夫の辰男さん(後方(左))と長男の
明良君(同(右))も病気を乗り越え、幸せいっぱいの吉村さん一家