goo blog サービス終了のお知らせ 

◆体験談◆

◆体験談◆

「眠」にまつわる「心」の問題

2006年10月04日 | 心の病
1993/02/03: ◆こころ 眠

 *こころ/KOKORO/心/眠
 ###   ###
 前月は、人間の本然の欲求の一つである「食」に関する「心」の問題について
見たが、今月は、劣らぬ強い欲求「眠」にまつわる「心」の問題を考えてみたい

 ###   ###
 *リズム/社会時計と体内時計のずれ
 眠りには、リズムがある。約二十五時間の周期なので「概日リズム」と呼ばれ
る。ところが、一日は二十四時間。毎日、同じ時間に起きて出勤し、同じ時間に
就寝しようとすれば、調節が必要となる。朝日や夕闇という“光”、昼夜の寒暖
の差という“温度”、一日の活動による“疲労”などがあいまって、二十四時間
のリズムに調整される。
 しかし現代は、真夜中でも光が氾濫(はんらん)し、部屋は空調で温度変化が
あまりない……。こうなるとリズム調整が狂う。もともとの二十五時間のリズム
が頭をもたげたりして、二十四時間の「社会時計」のリズムからはみだした「
体内時計」のリズムが独走。起きるべき時間に起きられず、遅刻したり、昼間に
眠くなったり、夜中に目が冴えたりする。
 このような“睡眠と覚醒のリズム障害”は、四、五年前から特に増加しており
、不眠を訴えてくる人の一~二%がそうだという。就業時間が不規則に変動しや
すいコンピューター技術者やマスコミ関係者、二十代前半の特に“就職活動時期
の学生”に多く、最近では主婦やOLにも増えている。「性格的には内向的で
神経質な人」が多い。
 社会のリズムと自分のリズムを合わせることができない時に、不登校、
出社拒否、自閉症、家庭内暴力などが起こる場合もある。
 人間は、環境・社会との摩擦の中で、ストレスを感じ自己の心身を調節し、
一定にたもってきた。ところが、科学技術が発達し手軽に環境の方を整えて
自分本位な自由を獲得できるようになった。その中で、環境・社会の影響を受け
ることが減ったせいで、調節機能に狂いが生じた。使わない機能がすたれる。
快適さの高い代償である。少々つらい条件でも苦にせず動けることと整った環境
で楽に過ごすことと、どちらが自由度が高いのだろうか。
 *夜型人間/現代への適応のせい?
 “十五分間隔で無理に横にならせ眠らせる”という実験の結果によれば、深夜
の午前零時と午後零時ころに深い眠りが起きやすく、午後八時から午後十時の間
に眠りやすさは劇的に増大するという。本来、闇が辺りを包んだころに眠るのが
一番ということか。
 通常、大人はノンレム睡眠(比較的ゆっくりした脳波を示し、四段階に分けら
れる)とレム睡眠(覚醒時に近い脳波を示し、眼球が急速に動いたりする)の
セットを一晩に四~六回繰り返す。脳波の緩やかな深いノンレム睡眠(徐波睡眠
)は一夜のうちの前半に起こり、後半は浅いノンレム睡眠とレム睡眠が交代して
起こり、覚醒に向かう。
 この眠りと覚醒のリズムにはタイプがあり、午前中に活動が好調の「朝型」と
それより数時間ずれて活動が好調の「夜型」に分かれる。眠気については、朝型
が昼下がりと午前零時前後に高まり、夜型がそれぞれ数時間のずれを生じる。
全体の睡眠時間に差はないがリズム全体がずれているので、夜型は「宵っぱりの
朝寝坊」と非難されやすい。
 ところが、現代の職場では交代制勤務や夜勤などのために、生活のリズムを
移行させたりしなければならないことが少なからずある。このような事態に適応
する能力は夜型の方が高いといわれている。
 アメリカの心理学者のウェッブ氏は「夜型の方が睡眠に対する不満感が大きく
、起床時間の爽快感がない。明確な差ではないが、内向的な性格と朝型、外向的
な性格と夜型とが結び付きやすい傾向がある」と指摘している。
 こう考えると、夜型は現代社会にいち早く適応した人かもしれない。国際化の
伸展などで社会活動が二十四時間体制になっていく中で、自然のリズムにのみ合
わせていたかつては、社会に不適応とみられた朝寝坊の夜型が現代社会に適応す
る“人付き合いのよい明るい人間”ということになっていくのだろうか。
 *不眠症/心理的ストレスの解消を
 日本の人口の一八%は治療が必要な不眠に悩んでいるという。これは、
生活パターンの深夜化にともない増加しているようだ。睡眠障害に早くから取り
組んできた久留米大学医学部精神科「睡眠障害クリニック」では訪れた患者のう
ち不眠症が七五%という。
 不眠には何らかのきっかけがあり、それは嫁・姑の問題、隣近所とのつきあい
、会社内の人間関係など、心理的ストレスがほとんどという。
 眠れぬ日が続くと、不眠自体が不安の対象になり更に眠れない。そして体の
調節リズムが狂って不眠が固定化し、心理的ストレスが解決しても不眠だけが残
るのである。
 さて、不眠症の人の多くは「一睡もしない」という訴えにもかかわらず、脳波
を見ると数時間は眠っている。ただレム睡眠、浅いノンレム睡眠が多く、深い
眠りがない。それが、寝不足感につながっているようだ。
 また“眠らねば”という大きな焦りがあり、それは概して「八時間睡眠が必要
」「早寝早起きが健康」「夜中に目覚めるのは病気」等々の睡眠に対する
強迫観念による。
 睡眠には個人差、年齢差があるという事実を知ると、これらの強迫観念が除か
れ、解決のキッカケになるようだ。
 また心を安らかにする工夫がさまざまにされている。東京・南青山のねむり
文化ギャラリーαにあるリラクセーション環境シミュレーターは、照明、温度と
香りの空調などを整えた空間で、オリジナルの環境音楽・ビデオを使って
リラックスを図るもの。
 こうした大掛かりなものは無理にしても、眠る前には、激しい運動、心配や
不平不満をいだくこと、喧嘩、根をつめての勉強を避け、簡単な運動、ぬるめの
湯に入る、ラベンダーなどの香りを嗅ぐ、単調な音を聞くなどして、心を静かに
することが安眠につながる。そして何よりもの睡眠薬は、充実した生活に基づく
、就寝時の満足感である。
 *睡眠時間/長くても短くてもダメ
 社会生活基本調査(総務庁統計局、一九九一年)によると、睡眠時間は男性が
この五年で二十五分減の七時間五十分、女性が二十二分減の七時間三十四分とな
っている。
 一般に長時間眠らずにいると、おこりっぽくなり、無関心、無気力になり、
記憶力、判断力が低下する。極端な場合、マイクロスリープという秒単位の眠り
が頻発し、幻覚や錯視が起こったりする。交通事故などのもとである。
 そういう場合はちょっと昼寝をした方がよい。一般的に昼下がりに眠気が高ま
る。この時に昼寝をすると、その後の作業能率が上がる。ある実験では
十五分程度でも大いに疲労が回復するという。また眠らずとも目を閉じ横になっ
ていても効果はある。無理をするより、居眠り程度でも休息する方がいい。
 アメリカの心理学者のタウブ氏は、健康な青年を好きなだけ眠らせる実験をし
た。平均すると二・七時間就床時間がのび、二・一時間余分に眠った。けれど浅
いノンレム睡眠とレム睡眠のみが増加し、深いノンレム睡眠は増えなかった。こ
の後、作業能力や注意力のテストでは成績が低下し、眠気はしばらくすると増大
したという。
 アメリカがん協会のハモンド博士の調査などによると平均睡眠が六~八時間の
人が長生きで、多い人も少ない人も年間死亡率が高くなっていくという。長く眠
ればいいというわけでもない。
 東京都神経科学総合研究所の宮下彰夫氏は、「短時間睡眠者」は“
社会的順応性が高く、他人の評価を気に掛け努力し”“外向的、活動的、計画的
”であるという。一方「長時間睡眠者」は“他人の意見に左右されることを嫌い
、自律的、内向的、熟慮的”で“悩みも多いが思考の柔軟性がある”という。
 ともあれ、慌ただしい現代社会で、効率のよい短時間睡眠が求められたり、長
いゆったりした眠りにあこがれたりするが、睡眠の長短よりも、自分にあった
規則正しいリズムの睡眠を確保することが大切であろう。
      #
 *池田名誉会長のスピーチから
 とくに壮年、婦人の方々は、身体を大切にし、長寿であっていただきたい。そ
れには、第一に睡眠を十分にとることである。睡眠はあらゆる栄養物よりも勝る
といわれている。
 仏法は道理である。信仰もまた道理の生活でなければならない。不摂生をした
り、疲労を重ねたりして病気になったり、事故を起こしたりするようなことは
愚かである。
     ◇
 どのような薬を服すことよりも、疲労回復には熟睡がいちばん役立つ。
睡眠不足の場合は頭脳の働きも低下し、説得力もなくなってくるものである。
十分な睡眠をとって、いつも爽快なリーダーであっていただきたい。
     ◇
 時間を価値的にやりくりして、早めに勤行し、早めに休む。そして朝を、
さわやかに出発する、そうできる知恵と自律(じりつ)が、自分自身を守ってい
くのである。
 何となく惰性(だせい)と習慣で夜ふかしし、疲れがとれないまま、朝も寝坊
(ねぼう)してしまう。そうした悪循環は、正しい「信心即生活」とはいえない

 ###   ###
 深夜まで働く人が増え、眠りのリズムにも変化が起こっている
 光、音、香りなどを整え、安らぎをもたらす空間も研究されている(
写真提供=ロフテー株式会社)

自己実現を支える関わり

2006年10月04日 | 心の病
2003/02/05: ◆こころ 自己実現を支える関わり 臨床心理士 長島明純さん

自己実現を支える関わり
大人が心を開き成長への努力を
臨床心理士 長島明純さん
 
 ちょっとした言葉によってキレて人に暴力的になったり、周囲の大人たちの視線を気にせず地べたに座って雑談する若者を見かけることがあります。そうした行動も、観点を変えてみれば「自己実現」への意志の表れとの指摘があります。今回は、「自己実現を支える関わり」をめぐって、臨床心理士の長島明純さんに聞きました。
●行動の裏にメッセージがある
 ――ちょっとした言葉でキレたりする若者がいますが。
  
 □…キレるのは若者に限らないと思いますが、暴力は絶対に許されるものではありません。しかし、心理療法家が患者さんを治すという観点で言えば、症状(暴力)が発する「メッセージ」を読み取ることが問題の解決につながっていきます。
 そうした症状(暴力)は何らかの「希求(心から願うこと)」を表しているのではないかと私は考えています。
 一つ目は、「伝達への希求」です。自分が伝えたいものがある。
 二つ目は、「元初への希求」です。大人社会の尺度の押しつけに対する抵抗があり、すべてをリセット(やり直し)したいと思っているのではないか。
 三つ目は、「全なるものへの希求」。現実に立ち向かう力が弱いため、一体感や万能感を求めている。
 四つ目は、「生への希求」です。生きている、あるいはその裏返しとして、死ぬという実感を確かめようとしているのではないか、ということです。
  
 ――今の多くの若者たちは「自分探し」をしているとも言われますが。
  
 □…そう言ってもいいでしょうね。問題は、「自分探し」が暴力に結びつく点です。
 これらの人間らしい希求は、現実に真っ正面から立ち向かう力が強い時は、対話などの相互交流によってなされますが、弱い場合は、現実と十分に交流できないために、一方的な方法である暴力に、短絡的に訴えようとする。弱いから暴力に訴えるのです。
  
 ――雇用制度の変化もありますが、若者を中心にフリーターを続ける人も見受けられます。
  
 □…個々の状況はさまざまだと思いますが、先ほどの言葉で言えば、「自分探し」の渦中だと思います。「自己実現」という言葉がありますが、若者たちは自分の中に潜在している可能性を最大限に開発し実現したいと願っていると思います。しかし、それはすべての人間の願望です。
●「今、ここで」の課題に取り組む
 ――若者が自己実現するため心掛けることは?
  
 □…一つ目は、「今、ここで」の課題に真っ正面から取り組むことだと思います。課題から「逃げないこと」、課題を「ごまかさないこと」が大事です。
 心理療法家の河合隼雄氏は“自己実現は簡単にはできない。世のため、人のため、自ら犠牲を払っていくなかで自己実現をしていく。自分のしたいことだけをしているのは「自我実現」にすぎない”と言っています。
 二つ目は、自分に分からないもの、見えないものでも、すぐに否定して捨てないということです。たとえば、「生命は尊厳か」などの議論がありましたが、理論的に十分理解できなくても、「大事なものは大事」なのです。
 全人類に共通する、すべてのものに、いのちやこころを見てきた事実を、人類の知恵としてもっと尊重すべきだと思います。よく分からなくても、問題のままに抱えながら生きていくことで、大事なものがつかめます。
 三つ目は、情動(気持ち)を大切にし、共有することです。知識が多くても、情動が乏しければ十分に活用することができません。
 今、学校教育の中で総合学習が注目されていますが、ある小学校で、グラウンドに実物大のクジラを描いてから、クジラが暮らす海の環境汚染に詳しい方に説明を受けました。すると子どもたちはクジラが安心して暮らせる海にしたいと、環境汚染をなくそうというポスターを作り町に張ったそうです。
 実物大のクジラを描き、「クジラって、こんなに大きいのか」という感動、情動の共有が、ポスターを町に張ろうという「知恵」を生んだわけです。
  
 ――それは体験や感動の共有が大切だと考えた教師がいたわけですね。
  
 □…そうです。子どもの持っている可能性を開こうとした教師の姿勢が素晴らしいと思います。
 心理療法には、動物や人形などの小さな玩具を砂箱に置く「箱庭療法」があります。
 その場合、治療者はクライエント(来談者)が玩具をどこに置いても、それについて発言しませんが、本物の感動があれば、その気持ちはクライエントに通じていきます。その気持ちがクライエントの自己治癒力を高めさせ、回復へと結びついていきます。 
 「この人に会うことは素晴らしいこと」「今、自分に起きたことは意味のあること」――そう思えてくれば、すべてが大事なもの、尊いものと映り、相手の行動や言葉に驚きが感じられるようになります。それがまた、相手の心を広げていくのです。治療者が心を開くことで相手の可能性が育ちます。
●相手に畏敬の念を持つことから
 ――若者たちの自己実現を支える関わりのためには?
  
 □…自己実現は、自分の力で自分を実現させていくことです。私達にできるのはそれを支える関わりです。クライエント中心療法を提唱した、心理学者のロジャーズはカウンセラーに必要なものとして、(1)自己一致(2)共感的理解(3)受容の三つを挙げています。
 「自己一致」とは、カウンセラーがあるがままの自分の姿でクライエントと接することです。自然で正直な姿勢を保持し、誠実に接するということです。
 「共感的理解」とは、クライエントの立場に共感してこそ深い理解ができます。人は自分の気持ちを受け止めてもらえたという実感が生まれたときに、変容につながる洞察を得ます。共感的理解が「思いこみ」にならないように、相手との対話を通じ、丁寧に吟味することも大切です。
 「受容」は、ありのままの姿を尊重し受け容れることです。存在していること自体、無条件で尊重されていると、若者が感じるためには、こちらが相手の可能性に心を開き、畏敬と驚きの念をもつことが大切です。礼儀正しく学ぶ姿勢が大切です。
 しかし、時には、「ダメなことはダメ」と言い切り、「我慢」をさせる「父性性」も、若者たちを支えるためには必要なことです。
  
 ――人間はさまざまですから、相手の可能性を引き出すのは大変なことだと思いますが。
  
 □…心理治療の例で言えば、治療者にも「壁」があります。
 そこで、治療者も、「スーパービジョン」(スーパーバイザー<熟練した臨床家>に、治療について指導を受ける)や「教育分析」(治療の専門家になるための教育的な意味をもつ分析)を受け、自分を向上させていくことが必要になってきます。
 家庭や地域でも、自分を成長させてくれる人、切磋琢磨できる場を持つことが大事だと思います。
  
 ――今の若者たちの問題は大人の問題であると言う人もいます。
  
 □…私も、大人自身の生き方が若者たちに表れていると思います。
 カウンセリングでは、今、治療者が変わることが問われていますが、家庭でも、親自身がどういう姿勢で生きているのかが問われているのではないでしょうか。
 そして、管理社会の重圧の中で自己実現を目指している若者たちを支えることが、実は、大人にとっても自己実現につながっていると言えるのではないかと思います。
 
 ながしま・あきずみ 1956年、京都生まれ。創価大学教育学部卒業。兵庫教育大学大学院修了。論文に「ある自閉症児の心理療法」がある。

メール時代と人のつながり

2006年10月04日 | 心の病
2002/04/03: ◆こころ メール時代と人のつながり 臨床心理士 長島明純さん

 “自己についての実感”を豊かな信頼関係から/臨床心理士/長島明純さん
 
 現代は、携帯電話やインターネットの普及によって情報の送受信は極めて便利になりました。しかし、その半面、いつも「メール」などの通信手段でやりとりをしていないと、友人・知人との関係が切れそうで「不安」でたまらないといった人も増えてきています。今回は、「メールの時代の不安感」をめぐって、臨床心理士の長島明純さんに聞きました。
 ●“傷つくかもしれない部分”はパス
 ――友人・知人との連絡に携帯電話を使ったり、(電子)メールをやりとりする人が増えています。特に、その傾向は若者に顕著であるように思いますが。
 □…そうですね。先日、あるラジオ番組で、フォーク歌手が学生時代を振り返ってこんな体験を語っていました。
 昔はお金もなく便利な通信手段がなかったから、夜になると用もないのに友人の下宿に行って朝までいろいろなことを語り合った。よく喧嘩もし、ずっと会っていない時があっても、お互いに「つながり」を感じていた。
 今の若者たちは盛んにメールのやりとりをしているようだけれど、返信がないと友人との関係が切れてしまいそうで不安になっている、という印象を受ける。昔とはずいぶん違った友人関係の中で生きているように思う、と。
  
 ――確かに携帯やメールは便利ですが、人間関係の「質」にも大きな影響を与える道具のように見えます。
 □…いつでも、どこでも電話をかけることができますし、メールなら、相手の都合に関係なく、自分の都合のいい時に送れます。
 しかし、そういう自由さの半面、携帯を過剰とも見えるほど活用している人の多くは、相手の言ったことに合わせるのが苦手で、自分が傷つくかもしれない場面を避け、それでいて、だれかといつもつながっていないと「不安」だと感じているように思います。
 そのためでしょうか、メールでは、相手の心の奥深くまでかかわらない“浅いレベル”の言葉が使われ、その浅さを何とか埋めようとして、絶えず発信が繰り返されることになります。
  
 ――そういう心理と現代社会の特徴との関係については、どのようなことが考えられますか。
 □…まず、物がない時代は、お互いがしっかりと助け合わなければ生きていけませんでした。
 今は、便利で物は豊かになりましたが、人とのかかわりはかえって希薄になってしまいました。
 ●根拠のない万能感や無力感
 ――子供たちを見ていても、テレビゲームに夢中で、他者と全人格的に付き合う機会が少ないように見えます。
 □…ええ。現実では満たされない欲望を、テレビゲームなどのバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界が満たしてくれることに慣れてしまい、生の現実ですら、バーチャルなものに感じられてしまっているような危険が、子供だけでなく、未熟な大人の間にも高まっています。
 ゲームに限りません。携帯やメールのやりとりだけでことを済まそうとしていても、どこか、何かが足らないと皆が感じているのではないでしょうか。思うようにならなかったり、時には傷つくこともある全人格的なコミュニケーションがないと、便利ではあるけれど、仕組みの分からない機械に囲まれての生活によって、根拠のない「万能感」や「無力感」が生じやすくなります。
  
 ――確かに、私たちは便利な機器に囲まれて暮らしていることに無自覚なことが多いですね。
 □…ですから、こういう社会環境で生きているという自覚がないまま、環境に身を任せていると、他人と自分との関係が薄れるばかりか、自分という存在の自信のなさから、他人の評価に過敏になったり、自分が傷つくことを極度に恐れたりするようになります。
 そして、その一方で、一人でいることを恐れ、人とのつながりを確かめていないと不安なために、メールや携帯でいつもやりとりするという心理が生まれるわけです。
  
 ――そういう不安をなくすにはどうしたらいいのでしょうか。
 □…人とのつながりへの不安と、自分という存在の自信のなさとは「表裏一体」です。
 自分という存在の基盤となる「自己についての実感(自己感)」が委縮してしまっていると、外界からの刺激は圧迫的なものと感じられ、そこから不安感が生まれます。
 一方で、自己感が豊かだと、外界から受ける刺激は心地よいものとなるのです。ですから、自己感が豊かなものとなるための働きかけが大事です。
 イギリスの児童精神科医ウィニコットは、子供と養育者との関係を重視し、どういう関係を持つことが大切かを研究しました。
 ●心を育むとは相手から学ぶこと
 ――それはどのような内容なのでしょうか。
 □…彼によれば、乳幼児は無防備で傷つきやすいので、頼りになる養育者との十分な「信頼関係」があってはじめて“わたしはいる”、そして“わたしは安全でいられる”という「安全感」が生まれ、それが「一人でいられる能力」を育むと考えました。
 これは養育者との関係によって自己感が豊かになっていく道筋を示しているともいえます。養育者との信頼関係が基礎となり、「一人でいられる能力」が育まれ、それが友情をつくるもとになると、ウィニコットは述べています。
 人間は信頼感を築くためには、だれかがいることが大切です。思春期に心を許しあえる親友や心から尊敬できる人との出会いがあれば、子供時代に十分に養えなかった「安全感」が育まれ、豊かな人生を送ることもできます。そのためには、まず自分がいい友人となれるような努力を続けることが前提です。
  
 ――健全な自己感を育てるにはどのようなことが大切でしょうか。
 □…精神科医の山中康裕氏は自身の体験を通して「相手の心を育むとは、相手から学ぶことである」と言っています。
 山中氏は若者の心理治療をした時、その若者が夢中になっていたロック(音楽)を糸口として、彼からロックを学ぶことから治療を始めました。
 この場合、「学ぶ」ということは、例えば、食べ物の材料を分析するのではなく、食べて味わうという経験に近いように思います。相手の良さをこちらが学ぶことで、自分も豊かになるし、相手の「自己感」を育てることができるのです。
 これは相手の「能動性」を引き出すことともいえます。相手の興味のあるもの、得意なものを、心を開き、自分と心を通わせる「窓」にすることも大切なことです。
  
 ――相手の良さを学ぶ姿勢が大事なのですね。
 □…精神医学者のユングは、「永遠なるもの」「普遍なるもの」を軽んずるなら、その人は自己中心的となり、過去から学ぶこともできなければ、現在の出来事を把握することもできず、まして未来を正しく見通すことはできないと言っています。
 ユングの指摘するように、まず自分が、「永遠なるもの」「自分を超えたもの」に支えられているという「謙虚さ」を持ち続けることの必要性を、私は痛感しています。
 この「謙虚さ」が、山中氏の言う「心を育む学び」を可能にしてくれるのではないでしょうか。
 ながしま・あきずみ 1956年京都生まれ。創価大学教育学部卒業。兵庫教育大学大学院修了。論文に「ある自閉症児の心理療法」がある。

心の疲れた人へのサポート 

2006年10月04日 | 心の病
2002/12/04: ◆こころ 心の疲れた人へのサポート 熊本大学教育学部助手 本田優子さん

心の疲れた人へのサポート
本人が大事にしていることを大切に
熊本大学教育学部助手
本田優子さん
 私たちは人の間で生きており、喜ぶこともあれば、気苦労で疲れたり、時には心が傷つくこともあります。特に、子どもや若い人たちは、人間関係による「ストレス」が高くなっています。今回は、精神看護学の立場から、「心の疲れた人へのサポート」をめぐって、熊本大学教育学部助手の本田優子さんに聞きました。

●相手の「全体」を見ていく
 ――精神看護学という言葉を聞きますが。
 □…精神看護学というのは看護学の一分野です。「看護学」で中心になるのは、健康に問題を持った人の生活をサポート(支える)することで、看護の対象は、病気や怪我の症状がある人だけではありません。
 「精神看護学」は、精神的なサポートを通して、その人の日常生活がスムーズにいくようにお手伝いするものです。看護者が相手の精神(心)の状態を知るためには、「観察」や「言葉かけ」、「一緒に行動する」ようにします。
 ――一緒に行動するというのは?
 □…看護者が一緒に行動しながら、見たり、触れたり、言葉かけをして、その反応を見るなど、患者さんの「全体」が分かるようにするのです。これは患者さんを回復させるための「情報収集」の一つの方法です。
 観察する上で大事なことは、看護者の心が安定していることです。こちらが落ち着いていないと相手の心がよく見えてきません。これは子育てと似ています。子育てでは、赤ちゃんが泣いている時、親が一緒になって興奮してしまえば赤ちゃんの様子がよく分からないのと同じです。
 ――お話を聞いていると、スキンシップの大切さを感じますが。
 □…看護の「看」とは、相手に手で触れ、さすり、また、目でその人を見ることです。スキンシップは看護の一つになります。
 手で相手に触れることがいいのは、おそらく、手には適当な温度があることも関係していると思います。赤ちゃんが生まれた時、お母さんに両手で抱えてもらい、腕に包まれることから「基本的な安心感」を得ていきます。手で触れられることは、口だけで言われるより、親近感がわいてくるものです。
 また、「護」というのは言葉をぐるぐる回すことと言われています。患者さんの回復のため、適切な言葉かけが大切ですが、その時に注意することは看護者が主役にならないことです。患者さんが自分の思いを話しているという感じが持てるようにすることです。

●プラス思考が状況の変化を
 ――精神看護学の考え方や方法は、私たちの普段の生活でも役立ちますね。例えば、小中学生の不登校の場合には?
 □…「学校に行きたい」という気持ちがありながら、朝になると、身体がだるくなったりして、行けないような場合があります。そういう子に、「なぜ、行けないの? 話してみて」と言っても、なかなか、自分の気持ちを言うことは難しいものです。
 普通、親は「どうして、うちの子は学校に行かないのだろう?」と考え、学校に行かなければ遅れてしまうと否定的に考えがちです。
 そのような場合、「引きこもることも大事なこと」ということを、親が自覚する必要があると思います。そのためには、親同士、同じ境遇同士の人の交流が必要になります。
 ――親へのサポートがあることで、否定的にならなくて済むわけですね。
 □…子どもだけでなく、親自身が、今、自分の体験している「不安」や「葛藤」も意味がある――そう自覚していると、子どもへの対応が変わってくるものです。
 もし、マイナス思考に陥ってしまえば、「学校に行けないことは悪いこと」になってしまいます。しかし、今苦しんでいることは、必ず、プラスになると思っていくようにすると状況は徐々に変わってくるものです。
 心理学者の山中康裕氏は「まゆの時期」と言っていますが、さなぎはまゆを作ってから成虫になります。まゆがなければ美しく育ちません。
 ――若者の中には対人関係がうまく保てず、引きこもる人も多いと言われます。このような場合は?
 □…こうしたケースでは、親が話をよく聞いてあげることが大事だと思います。面と向かって聞いてあげなくても、「いつもあなたのことを気にしている」というメッセージを伝えていくようにする。
 そのうえで、一緒に食事をつくったり、一緒に買い物をする。女性同士なら一緒にお風呂に入るなど、親子で一緒に行動する。
 一緒に行動する中で「これができるね」と認めて自信をつけさせたり、買い物に行った場合、「一緒に行ってくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えていく。そして、普通の大人同士が接するのと同じようにすることが大切だと思います。

●サポートは相互成長になる  
 ――一緒に行動することが本人の心のエネルギーを高めるきっかけとなっていくわけですね。
 □…ええ。心のエネルギーを高めるものとして、本人が「好きなこと」をやることもあります。
 学校でも嫌いな課目には力が入らなくても、好きなサークル活動なら元気よくやるように、その人の居場所、やりがいのあるものを大事にしてあげるようにする。そうすると、それを足場にして、人に会うことができるエネルギーが出てきて、学校や会社に行けるようになっていきます。
 本人が大事にしているものを、親も大事にしてあげることが、遠回りのようで、実は近道になっているのです。
 ――難しい課題を避けたり、強い人に依存するような若者が増えているとの指摘もありますが。
 □…それは、若い人が「失敗経験」が少ないことと関係していると思います。一つの大きな課題を乗り越えた経験が少ないから自信がないのでしょう。これは若者に限ったことではないと思います。
 そういう人でも自分の好きなこと、得意なことをやるエネルギーはあるわけですから、周囲の人は、先ほどお話しした「子どもの場合」と同じように、その人の得意なことを大切にしてあげて、エネルギーが強くなり、蓄えられるように配慮するといいと思います。
 今は「ケアの時代」とも言われ、人の健康や心、生活を大事にする時代に入っていると思います。こういう時に大事なことは、地球上に住む何十億の人間の中で、今、あなたと私がここにいることは「まれなこと。大切にしよう」という考え方だと思います。
 お互いに大事にしていけば、相手に対する態度、言葉かけも変わってきますし、互いに成長していけます。
 ――看護といっても、相手を尊敬するところから始まるのですね。
 □…人間は、「自分自身が好き」という人は相手のよいところが見えてきますが、反対に、自分自身が嫌いで、幸福でないと、人の幸福も素直に喜べません。ですから、自分が好きになるような生き方をすることが必要だと思います。
 看護学を学ぶ学生たちが病院に「看護実習」に行くのですが、お世話した患者さんからの感謝の言葉で、学生たちは生きる喜びを与えてもらっています。患者さんをお世話することで、お世話できる自分を好きになっていく機会を与えてもらっているのです。
 そういう姿を見るにつけ、看護とは「相互成長」をはかるものだと痛感します。これは家庭でも同じでしょう。子どもを育てることで、実は親が喜びを与えてもらいながら、人間的にも成長できるのだと思います。
 ほんだ・ゆうこ 熊本市生まれ。熊本大学教育学部卒業。千葉大学大学院看護学研究科修士課程修了。共著に『精神看護に必要な知識』『精神科看護用語辞典』『最新看護学――学校で役立つ看護技術』などがある。

「躁うつ病」への取り組み

2006年10月04日 | 心の病
2002/04/17: ◆こころ 「躁うつ病」への取り組み 精神科医 助川鶴平さん

 「病気」という認識を持ち専門医に受診を/精神科医/助川鶴平さん
 
 人間は「感情の動物」とも言われますが、激しい気分の高揚や、逆に気分の落ち込みによって社会生活に差し障りが生じる場合があります。そうした状態は、実は「躁うつ病」から起きている場合もあります。今回は「躁うつ病」をめぐって、精神科医(医学博士)の助川鶴平さんに聞きました。
 ●原因が不明の内因性精神障害
 ――躁うつ病という心の病があります。「気分障害」とも言われますが、気分が高揚していたと思ったら、今度は極端にふさぎこんで引きこもったりしますね。
 □…心の病全般に対して、まずドイツ流の考え方で言えば、精神障害には、心の悩みがあって精神病状態になる「心因性精神障害」と、身体や脳の病気でなる「外因性精神障害」があります。そのほかに原因不明の「内因性精神障害」があります。
 クレペリン(ドイツの精神科医)がこの「内因性精神障害」を「早発性痴呆(精神分裂病)」と「躁うつ病」に2分しました。発症の頻度としては、「躁うつ病」は分裂病と同じかやや低めで、全人口の1%弱の罹病率です。
 近年、うつ病が増えていると言われますが、これは躁うつ病(双極性障害)ではなく、躁病相(躁病の病相)を伴わない気分障害で、「単極性うつ病」といいます。この病気は人口の約15%が罹病すると言われています。
 躁うつ病は、重篤(病状が重いこと)となることが多く、入院治療が必要になることもあります。
  
 ――「躁病相」の時はどういう症状が現れるのでしょうか。
 □…気分が高揚し、「万能感」が出てきます。誇大妄想が出現することもあります。そして自尊心が高くなって「自分ほど偉い人物はいない」と思ったりします。そのため周囲の人と穏やかな関係を保てず、自分の言い分を聞かない相手に対して怒って暴言を吐いたり、暴力を振るうこともあります。
 また、仕事やいろいろな活動に熱中しがちで、常に気分が高揚しているため夜になっても眠れません。多弁となり、次々といろいろな考えが浮かんできますが、一貫性がありません。病状が出ている時には、過度のギャンブルや逸脱した性行為など、社会的に容認されない行為に走ることもあります。
 例えば、実現不可能な開店計画を立て、夜中に友人・知人に突然電話をして、「開店資金に○百万円貸してほしい」などと依頼したり、その店を飾るために画廊で高価な美術品を購入したりします。
 この病気のなりやすさには遺伝も関与しているようですが、遺伝だけが原因ではありません。発病は20歳前後が多く、失恋や就職、親しい親族の死などが引き金となっていることもあります。
 ●心がけだけでは病気は回復しない
 ――気分が高揚している時、はじめはそれが躁病から起きていると分からない場合もありますね。
 □…ええ。軽い躁状態の時は特に分かりづらいと思います。
 もし、躁状態が続けば、社会的信用を失い、周囲から迷惑がられてしまいます。
 ですから、躁状態から回復した後には、本人も、「自分は病気だった」という自覚を持ち、そのために判断も狂っていたということを知る必要があります。そして、「心がけだけでは病気の再発は防げない」ということを認識することが大切です。
  
 ――うつ病相の時には躁病相とは反対になるわけですね。
 □…「うつ病相」の時には、ふさぎ込んでしまい、人と会って話すのも嫌になります。そして、情けないと思う気分のためにいろいろな「妄想」が出てきてきます。
 例えば、「微小妄想」(自分ほど人間としてつまらない者はいないと思い込んでいる)、「貧困妄想」(自分ほど貧しい人間はいないと思い込んでいる)、「心気妄想」(自分はひどい病気に罹っていると思い込んでいる)、「迫害妄想」(自分は世間の人に迫害されていると思い込んでいる)などです。
  
 ――本人は苦しいでしょうね。それを見ている家族も大変だと思います。周囲の理解も必要ですね。
 □…家族や周囲の人はそうした「妄想」が病気から起きてきていることを理解することが必要です。
 病気であることを認識して、「意志が弱い」「根性がない」「甘えている」などと患者さんを責めたり、見下すような言動を慎むことが必要です。そういう言動が続けば、かえって病状を重くしてしまう場合もあります。
  
 ――うつ病相の場合、励まさないことが大事と言われますが。
 □…治療の観点から言えば、励ましは逆の効果になってしまう場合がほとんどです。
 例えば、「頑張ってください!」と強く励ましたりすると、励ましに応えられない自分を卑下したり、「励ましを受けなくてはならないほど自分はダメな人間なんだ」と落ち込むことも多いようです。
 ●家族はおおらかな気持ちを持とう
 ――家族が患者さん本人と一緒に専門医を訪ねる場合には、どのようなことに気をつければいいのでしょうか。
 □…患者さんの状態を詳しく話すことです。躁うつ病の場合、「躁病」の時と「うつ病」の時があるわけですから、専門医にその二つの病状を詳しく語ってください。躁病相の時は周囲も迷惑するので、家族の方も詳しく話してくれますが、うつ病相のことについては、問われて、はじめて気づくことも多いようです。
 躁うつ病は「薬物療法」が治療の中心になります。
 その場合、医師の指示通りに服薬してください。「薬をやめたら早く治る」「病状が回復したら薬をやめたほうがいい」「薬を飲み続けると中毒になる」とか言う人がいますが、そういう言葉は治療の妨げになります。
  
 ――服薬に対する誤解が多いわけですね。
 □…この誤解は、結果的に患者さんの回復を遅らせてしまいます。また、回復した後の再発予防の妨げともなります。
 例えば、「躁状態」の場合、「抗精神病薬」と「気分安定剤」を投与します。
 また、「うつ状態」にはなるべく少量の「抗うつ薬」と「気分安定剤」の投与をします。「気分安定剤」には治療効果だけでなく、再発予防効果もあります。
  
 ――家族の対応の仕方で、患者さんの病状もいくらか変わってくると思いますが。
 □…そうです。家族の患者さんへの対応次第で回復の状態も変わってきますし、再発の危険性も変わってきます。家族が、本人の病気をよく理解して患者さんの行動を「常識がない」とか「意志が弱い」とか責めたりしないほうがよいと思います。
 また、おおらかな気持ちで病気に取り組むことが大切です。病気のために患者さんがしてしまったことを恥じたり、いつまでもこだわったりしないようにしてください。家族が感情的になっていますと、家族の言動が患者さんのストレスになって病気を再発させやすくしてしまいます。
 心の病気は、本人の意志だけではコントロールできません。専門医の治療が必要であることを認識してください。そして、本人や家族が「病気は治る」「再発も防げる」という前向きの姿勢で取り組むことが、心の病の回復と再発の予防にとって大きな力となります。
 たとえ、家族の一人が病気に罹っても家族内だけで悩まず、医師やそのほかの専門家にもよく相談し、家族会、家族教室などにも参加して、粘り強く、悲観的にならずに、長期的にゆっくりと取り組んでいくことがとても大切だと思います。
 
 すけがわ・つるへい 1954年神奈川県生まれ。愛媛大学医学部卒業。医学博士。精神保健指定医。

「声の響き」をめぐって 

2006年10月04日 | 心の病
1998/06/17: ◆こころ 「声の響き」をめぐって 医療法人温故会・中村病院副院長 金上功


 *こころ/心/KOKORO/「声の響き」をめぐって/
医療法人温故会・中村病院副院長/金上功さん
 ###   ###
 落ち着いた声、沈んだ声、明るい声……。「声を聞けばその人が分かる」と言
われるほど、声は発する人の個性や心の状態を表すといわれています。今回は、
「声の響き」をめぐって、医療法人温故会・中村病院副院長(
精神科医・医学博士)の金上功さんに聞きました。
 ###   ###
 *声は心根、人格、精神の健康状態を表す
 ―日ごろ、診療を通して特に感じられていることは。
   
 □…よく、「目は心の窓」と言われますが、それ以上に、「声の響きは心の形
」ということを強く感じています。
 患者さんをはじめ、さまざまな方と接するなかで、声の響きはその人の「心根
」「人格」「精神の健康状態」などを如実に表しているなと、つくづく思います

 古来、中国では「上医は声で診断し、中医は相で診断し、下医は脈で診断する
」と言われています。声には、それだけの情報が含まれているわけです。
 声の響きは精神状態を表すと言いましたが、病気により、一応の特徴があるよ
うに思われます。
   
 ―と言いますと?
   
 □…例えば、精神分裂病の患者さんの声の響きは、単調で、時に高いトーンで
、注意深く耳で追わないと、声が伝えようとしている内容がはっきりしないこと
が多いように思われます。病が進行すれば、話の道筋が支離滅裂となってきます

 うつ病の患者さんは、言葉をなかなか発せない方が多いのですが、その声には
重たい響きがあります。また、神経症の患者さんは、一方的に話を続けられる方
が多いのですが、自分の中に確かなものがないため、声に不安な響きがあります

   
 ―病気の種類によって、声の出し方や言葉、その響き方が違ってくるわけです
ね。
   
 □…そうです。ただ、私が日ごろから感ずることですが、病気の種類によって
現れる症状にはさまざまな違いがあっても、共通して、「不信」や「怨(うら)
み」が心の深層にあるように思われてなりません。
 「不信」や「怨み」は、おそらく、本人の生まれながらの「気質」や成長段階
での「出来事」が大きく関連しているのでしょう。
 ですから治療にあたっては、何よりも、患者さんの心の深層に潜(ひそ)む「
怨み」に触れ、これに「共感」することが大事になってくるのです。
 精神科の治療法には、「薬物療法」と「精神療法」があります。現在の
精神医学では、代表的な病気である躁(そう)うつ病や精神分裂病が、脳の何ら
かの障害から症状が生じると考えられていることもあって、脳に作用する「
薬物療法」が主流となっています。
 しかし、心の深層に目を向ければ、「薬物療法」を有効に実施しつつ、「
精神療法」に重点を置くということになると考えます。

 *心に届くのは共感から生まれる声の響き
 ―「精神療法」は。
   
 □…「精神療法」は、患者さんの話に耳を傾け、その症状の原因を理解して、
対話などを通して、症状の改善を目指そうとする治療法です。
 「精神療法」は、治療者対患者という、いわば、上下関係では成り立たない
治療法であり、「共感」が大切であると考えられます。そのうえで、治療側の声
の響きが、治療上、重要なのではないかと考えています。患者さんは、言葉以上
に、声の響きを通して、治療者の心を感じているからです。
   
 ―つまり、治療側の「共感」が大切だ、ということですか。
   
 □…その通りです。先ほど、「不信」や「怨み」が深層にあると思われると言
いましたが、そこには、「自分のことを十分に受け入れてもらえなかった」とい
う体験が積み重なっていると思われます。
 ですから、病状に対して「分析」が鋭くても、そこに「共感」から生まれる声
の響きがなければ、患者さんの心の底には届きません。治療者の自己満足に終わ
りかねません。
   
 ―大きな悩みから、リストカット(手首を切る)するような人もいますね。
   
 □…ええ。うつ状態に陥り、「自傷行為」をする人もいます。
 なかには、「私はこんなに苦しんでいる」と、周囲の人を自分に注目させるた
めに自傷行為に走るような人もいます。
 そのような人は、おそらく、自分の身体の一部を傷つけることで無意識のうち
に、相手を自分の思う通り「操作」しようとしているのではないかと思われます

 人間関係の行き詰まりからリストカットしたある方がいました。生命に別条が
なかったのは幸いしましたが、よく話を聞いてみると、その方の場合には、親と
の間で、「支配―被支配」の関係が見受けられたのです。つまり、親が、その方
を自分の思う通りに育ててきたのです。
 ありのままの自分を受け入れられずに育ったその方は、今度は、自分がつくっ
た家族を「支配」――自分の思うように操作しようとしたのです。それが
行き詰まりの一因でした。その方の声は、「不安」と「不満」に満ちていました

 *自分自身の日々の成長が大切
 ―苦しんできた自分を理解して欲しかったのでしょうか。
   
 □…その方には、ありのままの自分を受け入れてくれる人が、まず、必要だっ
たと思います。その方の心理に共感して、症状についても語り合うなかで、少し
ずつ回復に向かってきたようです。
 精神療法は時間はかかりますが、共感をベースにすることで、患者さん自身が
持っている心のエネルギーを蘇(よみがえ)らせていくことにつながるのです。
   
 ―まず「共感」したうえでの、症状に対する冷静な「分析」が必要と。
   
 □…そうです。共感するためには、さまざまな心の病が、自分と全く関係ない
というのではなく、その病原は「自分自身の中にもある不信や怨み」――そうい
う視点に立ち、一緒に歩んでいく姿勢が必要だと思います。だれでもが持ってい
るものが、その患者さんの場合、たまたまこのような病を発症した――。そう考
えれば、これはだれでも共感していけるものではないかと思います。
 そういう「共感のこもった心」が「声の響き」となり、心の深層にまで届くの
ではないでしょうか。
 相手に対して、「不信」や「怒り」「怨み」などがあれば、たとえ、話の内容
が論理的に正しくとも、相手の心の底には響かないと思います。
   
 ―声をよくするには、体力や栄養なども関係しているとの説もありますが。
   
 □…音楽家や俳優の場合には、よい声を出すための正しい発声法、呼吸法をす
るなど、「ボイストレーニング」も必要でしょう。
 しかし、人間の心の底に響くには、そうしたことよりも、心の姿勢が問われて
いるのだと思います。
   
 ―仏法では、「心が声に表れる。声を聞いて心を知ることができる」と説いて
います。
   
 □…その通りだと思いますね。私は、治療などを通して、私たちの心がそのま
ま表れているのが声だと痛感しています。声とは、心そのものとも言えると思い
ます。不思議です。
 ですから、日々、自分自身の内なる「不信」「怨み」と戦い続けているかどう
か――。それが自分に問われている、と自戒しています。

心こそ大切なれ 私の歩む道

2006年10月04日 | 心の病
1994/02/02: ◆こころ 心こそ大切なれ 私の歩む道(25)=完 主任臨床心理士 野口敏

 *こころ/KOKORO/心/心こそ大切なれ/私の歩む道(25)=完/
米沢市立病院・主任臨床心理士/野口敏信さん/“蘇生の輝きを信じて”/閉ざ
された心に光をともし20年
 ###   ###
 精神分裂症、神経症、そしてうつ病、アルコール依存症等々、現在、日本では
心の病で悩む患者さんは数百万人を数えると言われています。今回は、不自由な
体で、患者さんの蘇生(そせい)へのカウンセリング(心理療法)を続ける
米沢市立病院主任臨床心理士の野口敏信さんを、雪の降り積もる山形県米沢市に
訪ねました。
 ###   ###
 -失明と小児麻痺-
 〇…私は生後数カ月の時、ちょっとした事故で左目を失明。四歳の時に脊髄(
せきずい)性小児麻痺(まひ)にかかり、その時以来、右足が不自由になり、
現在、右足が約三センチ短くなっています。
 -入学式の日-
 〇…両親の心配を感じながらも、私は生まれ故郷の石川を離れて宮城教育大学
に進学しました。希望に胸をふくらませた晴れの入学式の日。式の後に大学の
学生課に呼ばれ、職員から遠慮がちに言われたのです。
 「あなたは身体が不自由なので、教員は無理かも知れません」
 「えぇ!」
 目の前が真っ暗になる、とはこういうことを言うのでしょうか。ここまで頑張
ってきたのに。それも、入学式の日に、そんなことを言われるとは……。心は
千々に乱れました。
 -入会-
 〇…意気消沈している私に親切に声をかけてくれたのは創価学会の学生部員で
した。「青年らしい生き方」を熱心に語る姿に感銘し、素直に学会に入会。しか
し、それが宗教団体ということが分かって、「自分は早まったのだろうか」と
悩み始めました。
 〇…入会して四日後、学生部の先輩から「池田先生が出席される会合があるか
ら、野口君もぜひ参加しようよ」と誘われたのです。
 みんなが口々に言う「池田先生」とはどんな人だろう、と思いながら、当日、
私はバスにゆられて会場の宮城県スポーツセンターに行きました。先輩は
約束通り私を待っていてくれました。
 〇…会場の片隅で、一万数千の人々を温かく包みこみながら、明快な指導をさ
れている池田先生の姿を見て、私はなぜか涙があふれ、今まで苦しんできたこと
がうそのように消え去っていきました。「自分の判断はまちがっていなかった。
この人についていこう」と決めたのです。この日は、私の一生を決定した日とも
いえます。今もって、入会まもない一学生に温かな手をさしのべてくれたその
先輩に感謝の思いは尽きません。
 -自閉症児-
 〇…大学一年の時、県内に、自閉症児がいるというので、大学の教官に紹介し
てもらい、一週間に一度、面倒を見ることにしました。十歳のA君はだっこして
もらっていても、いすに座っているような感じで、普通の感情的な反応が少ない
のです。母親と一緒にいても、その女性に対し母親であるという表情を全く示さ
ないのです。「どうしてこういう子供になったのだろう?」「どうしたら、この
子はよくなるのだろう?」。疑問は続きます。
 〇…一緒にレストランに入っても、隣の人の腕をつかんだり、食べていると思
ったら、急に外に飛び出したり……。このA君との出会いこそが、卒業後、
心の病の治療に向かうきっかけになったのです。
 -聴くこと-
 〇…治療のための対話といっても、まず患者さんの言葉を心から聴くことから
始まります。対話を通じて、患者さん自身が自分で自分の問題の根に気がつき、
時間をかけて一つ一つ丁寧に自分で問題をほぐしていくことが望まれます。大切
なことは自分で何が問題になっているかに気づくことだと思います。
 -夫婦間の問題-
 〇…ある時、二人の子供たちの虚言(=うそをつく)や盗癖(=他人の物を盗
むクセ)などで悩み、一人の婦人が来院されました。その方の話を聞いて、これ
は両親のカウンセリングが必要と判断し、父親にも来てもらうことにしました。
父親は初め「子供が問題なのに、どうして私が来なければならないのか」と反発
していました。
 〇…しかし、三世代で生活するこの夫婦間には会話が全くなく、待合室でも離
れて座って待つというありさまでした。それでも、来科して対話の回数を重ねる
なかで、子供たちの問題は実は夫婦間の問題が根になっていることを少しずつ
理解してもらいました。
 〇…まず、夫婦の間であいさつをすることや、一日十分間でいいから、きょう
あったことをお互いに話すようにすることをすすめました。やがて、父親は「
先生、話をすること、いっぱいあるんですね」と言うようになりました。数カ月
たつうち、夫婦が仲良く何でも話せるようになるにつれて、二人の子供も
問題行動が自然におさまってきました。
 -切り換え-
 〇…この道に入って二十年。けっして順調に進んできたわけではありません。
仕事も将来への不安からスランプに陥ったこともあります。
 そうしたある日、学会の先輩から“五時から生命(いのち)の切り換えを”と
、仕事を終えてからの学会活動の大切さを指導されたことがあります。その言葉
は、いまだに耳朶(じだ)に残っています。
 -病によりて-
 〇…思えば、私は生後間もないころから不自由な身体で生きてきました。
日蓮大聖人は「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇ページ)と仰せです
が、そのための苦悩を経たからこそ、仏法の素晴らしさ、学会の同志のありがた
さが分かったのかもしれません。
 〇…長い間の心の葛藤(かっとう)が、今ではしきいが高いといわれる精神科
の門をくぐる人の苦悩を敏感に感じさせてくれているのかもしれません。
 治療を通して、患者さんが問題の根に気付き、自らの中にひそむ蘇生の力を
引き出し問題を克服して、今まで以上の大きな人間になっていく姿をみる時ほど
、臨床心理士になってよかったと思う時はありません。
 〇…心の問題で悩む人々を見ていて思うことは、病むことは自身の中にひそむ
蘇生の力を知っていくキッカケになるということです。悩みを通して、
日蓮大聖人の仏法に近づいていくような気がしてなりません。
 -心の自由-
 〇…私は長い間、五体満足の人には絶対負けない、という意地で生きてきまし
た。それが学会活動に励む間に、「不自由なのは身体ではなく、自分の心だった
」ということに気がついたのです。大切なのは、心を豊かにすること、心の自由
こそ大切なのだと思います。
 〇…多くの先輩に育てられてきた感謝の思いを胸に、身体が不自由な人も心を
病む人も健康な人も、すべてが互いに認め合っていくような思いやりのある社会
を目指し、私はこれからも心の病む人々のために少しでも役立てる仕事をしてい
きたいと思っています。

 *ひとこと/悩みに共感できる人/山形大学医学部精神科医師/沼田由紀夫さ

 野口さんとは米沢市立病院の精神科で、特に、アルコール依存症の治療に一緒
に取り組みました。
 治療のため、患者さんと一緒に、「行軍」といって暖かな季節には渓流沿いの
険しい道を歩いたり、寒い冬にはかんじきを履いて、雪の中を歩きました。野口
さんは不自由な体でも、時には杖をつきながら、5キロから10キロの道を必ず走破し
ていました。意志の強い、行動力のある方です。
 研究発表の時には、丹念に資料をあつめて論文を作成するなど、ち密な面も持
っています。
 また、家族療法といって、患者さんの治療のため家族の方々に来ていただくこ
とがありますが、時間をかけて丁寧に説明し、また、耳を傾けておられました。
 臨床心理士は患者さんやその家族を温かく包み込み、その悩みを受け止め共感
できることが必要だと思いますが、野口さんはそれができる方です。
 ###   ###
 のぐち・としのぶ 昭和25年、石川県鹿島郡に生まれる。48年、宮城教育大学
(養護学校教員養成課程)卒業後、米沢市立病院に勤務。現在、主任臨床心理士
。日本心理臨床学会会員。山形県臨床心理士会副会長。
山形アルコール問題研究会会員。44年、入会。圏書記長(本部長兼任)。
教学部教授。
 ###   ###
 患者さんの話をじっくり聴くのが野口さんのモットーである
 生命を磨くためにも、広布への活動は欠かせない

精神障害者の家族会会長

2006年10月04日 | 心の病
2003/04/15: ◆ひまわり讃歌 水俣・芦北 精神障害者の家族会会長 熊本県水俣市 森俊子

公害の原点の地・水俣
苦海の彼方に希望の花は美しく 
水俣・芦北 精神障害者の家族会会長
地域に信頼の根を張ってこそ仏法者
勝とう!強気で戦おう!
 【熊本県水俣市】今回の「ひまわり讃歌」は、世界的な公害の原点の地・水俣から。森俊子さん(69)=熊本大城県副婦人部長、浜支部=の体験である。広布草創期、女子部で戦った俊子さんは、1男2女の母に。水俣病が社会問題となる一方で、長男が心の病になり、彼女の戦いが始まった。“すべてに勝とう! 強気で戦おう!”と信心根本に戦い、「水俣・芦北精神障害者地域家族会」会長として献身の汗を。水俣湾の埋め立て地「親水緑地」で、障害者らが共同作業でつくる“花の里”をサポート。緑地には今、春の花が咲き誇っている。
パート1
汚染の海は「親水緑地」に
 春の日射しが、濃緑の葉にこぼれて光っていた。
 静かな湾の向こうにある恋路島が間近に見える。
 水俣の海は、大きく変貌していた。
 水銀で汚染された海は、広大な埋め立て地「親水緑地」となっていた。その広さは約58万平方メートルで、東京ドームの12個分。
 その緑地帯を望む丘に、金子宅があった。家主であった故・近さんは、水俣病の公害認定患者第1号。その妻・スミ子さんは“水俣病の語り部”。息子の親雄さん(51)=副ブロック長=は小児性水俣病で、公害認定第2号。親雄さんの妻・雅子さん(46)=地区副婦人部長=は、25年前に熊本市から金子家に嫁いできた。3女がいる。「世間の差別に悩みましたが、しかし学会の世界には差別がない。辛い時、落ち込んだ時など、いつも森さんに励まされてきました。森さんには、悩む友に同苦する優しさがあるんです」と語る金子さん夫妻。3人の娘は白樺グループなど、女子部で活躍している。
 森宅は、金子宅の近くの丘。「昔は、このすぐ下が海でした」と夫・一雄さん(64)=副本部長=は、感慨深げに水俣湾を見つめる。
 水俣病で苦しむ友を支え続けてきた俊子さんは、「私たち一家も、長男が心の病になった時は、深く悩み苦しみました」と。
 ――彼女は鹿児島県鹿屋市の生まれ。中国東北部(旧満州)で育ち、戦後、湯浦町に。無神論者で酒乱であった父が、学会の出版物を読み、「これは本物かもしれん」と入会。母に続き、俊子さんも入会。1958年(昭和33年)のことであった。
 懸命に信心に励んだ父は、3年後に世を去った。「近所の人たちが、ビックリするような素晴らしい成仏の相でした。母やきょうだいと、“父の分も頑張ろう!”と発心しました」(俊子さん)。彼女は保母をしながら、女子部のリーダーとなって戦った。
 64年に結婚。1男2女の母となり、広布の第一線で活躍する彼女に、苦難が押し寄せた……。
パート2
 高校卒業時に長男が発病
 進路に悩んでいた長男の態度に、異変を感じたのだ。高校卒業式の日、友と挨拶も交わさず、帰宅してしまった。
 心の優しい真面目な高校生であった。しかし、この時を境に、部屋に引きこもり、食事もしなくなってしまったのだ。痩せ細り、奇異な行動が目立つようになる。熊本の大学病院へ連れて行ったが、精神神経科と内科を行ったり来たり。
 崩れそうになるわが身に活を入れながら、心の病のわが子を抱え、支部婦人部長、本部長として友の激励に走る俊子さんであった。やがて長男に病名がついた。「統合失調症」であった。
 「お母さん、これは長くかかる病気ですよ」と医師に言われた時、目に涙があふれた。長男の肩を抱いて、彼女は、自分に言い聞かせるように言った。「お母さんは負けない! お母さんの信心で必ずよくしてみせるからね」
 通院と、入退院を繰り返す日々が続く。長男に幻聴や被害妄想の症状もみられる。しかし、俊子さんは負けなかった。真剣に唱題に励んだ。その胸には、74年1月24日の「第1回水俣友の集い」での池田名誉会長の指導が蘇っていた。
 「この水俣の地と、水俣の人々の姿というものが、今後20年、50年、いや100年後にどうなったかということが最も重大な課題です。……黄金の光が輝き、福運に満ちあふれる根本の原因を皆さんは持っていることだけは、強く強く確信していただきたい」と。
 以来、彼女は「一生成仏抄」の一節を座右とするようになった。「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずソ<鹿の下に鹿2つ>法なり」(御書383ページ)
 宿命転換の力は、自身の胸中にある仏の命を奮い立たせていくことから生まれる。その一念が定まれば、苦難を乗り越え、すべてを生かしていくことができる。環境のせいにしているかぎり、宿命転換はない。
 俊子さんは心の底から燃え立った。何事も勝つことだ。勝つことは喜びであり、幸福である。負ければ不幸であり、悲惨である。苦労が大きいのは、使命が大きいのだ。勝とう! 強気に戦おう!と。
 二人の娘は女子部で活動し、やがて長女・智香子さんは水俣圏女子部長、二女・富美子さんは圏主任部長に。母を心から励ましてくれる、頼もしい娘たちである。
 このような家族の理解もあり、彼女は、自分と同じ悩みを持つ人々の励ましに走るようになった。「水俣・芦北精神障害者地域家族会」の設立に尽力。同会の人たちの間での信頼も厚く、彼女は「21世紀は女性の時代」と会長に推薦されたのである。
パート3
障害者らが仲良く共同作業を
 長男・宣明さんは病院を退院し、2年前から精神障害者生活訓練施設(援護寮)の「まどか園」に。一方、俊子さんは市の社会福祉協議会と連携をとり、障害者が安らげる園芸治療の場を探していた。精神障害、知的障害、身体障害、さらに水俣病の人たちが、能力に応じて協力し合う園芸作業できる地はないか……。それが水俣湾の埋め立て地「里のゾーン」に実現した。一角に、美しい“花の里”が築かれたのである。
 「里のゾーン」には、“ふるさと広場”や“遊びの森”“小鳥の森”、さらに各種スポーツ施設もあり、まさに市民の憩いの場。
 4月――。“花の里”には白いジキタリスや、赤、ピンク、黄のリビングストンデージー、パンジーやポピー、マーガレットなどの花々が、春を謳い、訪れる友を楽しませている。
 「これからも障害者と、その家族に光をあて、皆が心安らぐ場を築いていきたい。各町村に分会を作り、家族会の輪を広げていきたい」と俊子さん。
 「花作り管理事務所」の責任者・窪一己さんが語っていた。「世界的な公害の原点の地・水俣から、土と生命を基調とした環境再生をテーマに、さまざまな生き物と人間が共生するエコパークの素晴らしさを発信したい。“花の里”は障害者同士の交流と園芸療法の場として、森会長と一緒に頑張ってきました。会をリードする森さんは、明るく気さくで、会の人を自分の家族のように大切にされ、みんな楽しくやっています」と。
 その“里のゾーン”を見下ろす丘に「まどか園」があった。新装の施設。宣明さんの自室で、しばし歓談。その後、「まどか園」施設長の萩嶺浄円さんが、明るく「ひまわり讃歌」を奏でてくれた。
 「森(宣明)君は、当初は“引きこもり”などがありましたが、今では自分の方から“おはよう”“今日はぬくかねえ”と、コミュニケーションをとるようになりました。体験入寮してくる人も“森君がいたから、園で寝食が共にできる”と言ってくれる。言葉かけがうまいわけではないが、人間性が信頼され、“存在”そのものが素晴らしい。彼の成長ぶりに、病院の主治医もビックリしてますよ。ここでのコミュニケーションが社会復帰そのもですよ。また森会長の存在も大きい。心の大きい、まさに“肝っ玉母さん”で、水俣になくてはならない人。それに父親や長女、次女が、よく森君に会いに来てくれるんですよ。あの一家には温かい人間主義がある」と――。
<取材後記>
 ○…昨年、水俣の友はかつてない弘教を達成、生命の蘇生の連帯を地域に大きく広げている。その友の健闘を称えて、東京・八王子の牧口庭園の一角に「水俣の木」が記念植樹されている。
 ○…「週刊新潮」は、水俣病患者の問題でも“公害成金”呼ばわりする反人権記事を掲載(79年12月6日号)して抗議されている。取材で、水俣病の公害認定患者第2号の金子さんと妻の雅子さんの言葉が印象深い。「世間の差別に悩みましたが、しかし学会の世界には差別がなかった」と。長く“水俣病”と戦い続け、患者の裁判闘争にも深く関わってきた作家・石牟礼道子さんが『石牟礼道子対談集=魂の言葉を紡(つむ)ぐ』の中で述べている。「今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった」と。
 ○…舘野允男初代水俣長が語る。「生命の尊厳を冒すものとの戦いは、これからも続けなくてはいけない。庶民一人ひとりが生き抜く尊さを誰よりも強く訴え、勝利して初めて正義は証明される」と。(水)
水俣湾の海辺「親水緑地」で語らう一家(右から夫・一雄さん、二女・富美子さん、長男・宣明さん、俊子さん、長女・智香子さん)
春を迎え“花の里”での共同作業は楽しい(左から2人目が俊子さん)
「まどか園」で生活する長男・宣明さん(左)
萩嶺さん

心の病をもつ人のために尽くす

2006年10月04日 | 心の病
2000/05/23: ◆体験 心の病をもつ人のために尽くす 神奈川県南足柄市 太田ハル子さん

 【神奈川県南足柄市】市の施設・りんどう会館に、にぎやかな声が響きわたる。「南足柄市さつき会」(心の病〈やまい〉をもつ人の家族会)のメンバーが、使用済みフィルムの解体作業などの職業訓練を受けているのだ。訓練センターの運営委員長は、太田ハル子さん(63)=関本支部、婦人部副本部長。長女・淳子さん(41)は、ここで訓練を受ける。「娘が心の病にかかったと知った時、私の本当の人生が始まりました」と。太田さんの“本当の人生”とは何だったのだろうか――。
 1年間だけの約束で
 淳子さんが発病したのは、中学二年生の時だった。当時、一家は、念願の自宅を購入(一九七二年=昭和四十七年)、南足柄の地に移り住んだばかり。だが、喜びもつかの間、転校のストレスからか、淳子さんの様子がおかしくなった。
 普段はおとなしいのに、立ったり座ったりと、落ち着きがない。突然、訳もなく笑い出すようになった。医師の診断は、精神分裂症だった。
 「なぜうちの子が……」。苦悩の底に沈んだ。病院を変え、医師を変え、占いから宗教まで、いいと言われることは何でもした。
 自分を責めもした。“育て方が悪かったのか?”“転校させないほうが良かったのか?”。だが、病状は変わらず、四年が過ぎたころ、友人の紹介で創価学会と出あう。
 「この信心は絶対です!」
 確信ある言葉に心が揺れた。だが、他宗の住職をした夫・宣章(せんしょう)さん(65)=副支部長=は、決して許そうとはしなかった。
 「淳子と一年間だけ、やらせてください」
 涙ながらの訴えで、七六年七月、念願の入会。母娘は新しい人生を切った。
 唱題、弘教、勉強会。淳子さんと二人で、広布の道を真っすぐに歩んだ。病状は徐々に治まっていった。
 そんな姿を見て、宣章さんも学会に興味をもつ。『大白蓮華』を盗み読みし、「十界論」に驚いた。
 「浄土真宗には、天界までしかありませんから」。今はそう笑う宣章さん。一年後には、長男・証史(さとし)さん(38)とともに入会した。
 「入会した当初は、それまでの人生を悔やみました。今は違う。淳子の病気は学会に出あわせてくれるためだったのです」。太田さん夫妻は声をそろえた。
 寺を捨て職探しへ
 夫妻は、ともに新潟県出身。宣章さんは、百世帯に満たない山村の寺に、二男として生まれた。住職を務める父が開いた寺だった。
 「日顕宗と同じ。徹底した階級社会でした」
 父は熱心に村人のために尽くした。だが、末寺のランクは本山に納める金額で決まる。いくら真摯(しんし)に信者に尽くしても、評価されることはなかった。
 そんな寺の跡は継ぎたくないと、長男は東京に出た。両親の期待は宣章さんの一身にかかった。
 権威的な体質に加えて、経済難も宣章さんを苦しめた。高度経済成長で、周囲の人たちはどんどん豊かになっていく。相対的に、一家は貧しくなるばかりだった。
 五七年、結婚。二年後には父が他界し、二代目住職を継ぐ。むろん、法事など、一人では手が回らない。太田さんも得度して資格を取り、夫を支えた。
 二年後、母が亡くなる。もう限界だった。「こんな生活から脱したい」。夫の言葉に、太田さんもうなずくしかなかった。
 忘れもしない六三年二月。雪の深い日だった。
 朝四時、宣章さんは単身、神奈川の姉を頼り、寺を後にした。新しい仕事を探すためだった。
 早朝、出発したのは、周囲の信者に知られないため。もちろん、本山にも内証。万が一、転職に失敗したら、戻れなくなってしまうからだ。
 何とか、小さな土木建築会社に職を見付け、四カ月後、一家そろって神奈川に移った。
 新しい出発は順調に見えた。少なくとも、淳子さんが発病するまでは……。
 「本当に幸せな人生は、人のために尽くす人生です。淳子は、それを教えてくれました」
 全部、学会で教わった
 信心が深まるにつれ、太田さんは気付いた。
 「淳子が発病して、私自身、これまでどれほど多くの人の世話になっていたかを知ったのです。そして、今度は、私が皆の世話をする番だって」
 太田さんは八〇年、「南足柄市さつき会」の前身である「南足柄家族会」(なぐさめ会)を発足。副会長として、同じ悩みを持つ家族が話し合える場を作った。
 その間、医学の進歩によって、心に病をもつ人の多くが、仕事を含む日常生活を営めるようになっていった。そのため、家族の相談の場から、患者自身が社会復帰するための準備の場が求められるように。十二年前、名称を「さつき会」と変え、作業訓練所として再出発した。
 現在、撮影済みのフィルムケースの解体作業のほか、ハーブ園の手入れなども行う。わずかながらも賃金がもらえる場として、また、患者同士の交流の場、社会との接点として、「さつき会」の存在はますます大きくなっている。
 人のために尽くす人生。それは、宣章さんも同じだ。
 社会福祉協議会の副会長として、同会発足以来、十二年間、地道に活動してきた。高齢者への一声掛け運動に始まり、今では、独居高齢者の家庭訪問、寝たきり高齢者へのはがき見舞いなども行う。
 「結局、全部、学会で教わったことです」と宣章さん。
 初信の功徳は、地元最大手の土木建築会社への就職。定年後は、大手フィルム会社の子会社に紹介された。一年契約の更新だが、本年で五年。「おかげで、新潟を離れて以来、経済的な苦労は全くない」と言う。
 今、淳子さんは買い物もするし、友達と映画にも行く。
 だが、時には症状が出ることもある。
 「決まって、私たちの信心が停滞している時です。だから、毎日、前進しないと。淳子は、私たち夫婦の信心のバロメーターです」
 太田さんの家は、箱根から十五キロと離れていない。当然、坂も多く、家の目の前にも急な坂が走る。いつしか、その坂を“広布坂”“幸せ坂”と名付けた。
 「本当に急な坂。それを一日に五、六往復します。でも、だから福運が積まれるのでしょう。人生も同じ。坂があるから幸せを感じられるのです」
 “どんな坂でも来い”。太田さんの目は、そう語っていた。

統合失調症 日本学生科学賞などに輝く

2006年10月04日 | 心の病
1993/02/10: ◆体験 高校の生物部顧問24年、日本学生科学賞などに輝く 福岡 橋田沙弓

 *自然を守る“みどりちゃん先生”/生物部顧問24年/生徒とともに川の
水質調査に取り組む/『日本学生科学賞』『県知事賞』などに輝く
 ###   ###
 【福岡県久留米市】橋田沙弓さん(53)=東久留米圏・耳納支部、
副ブロック担当員=は高校の生物教諭。久留米信愛女学院高等学校で教べんをと
るかたわら、同校生物部の顧問を務める。橋田さんは生物部の生徒たちとともに
長年、地域の河川の水質調査や植物調査に取り組んでいる。その成果は高い評価
を受け、生物部には「日本学生科学賞」など数々の表彰が贈られている。信仰を
軸に多くの苦労を乗り越え、人間教育の道を歩む橋田さんの活躍を追ってみた。
 ###   ###
 橋田さんが久留米信愛女学院高等学校に赴任したのは昭和三十九年。
熊本大学理学部を卒業後、教育者の道を歩もうと決意して以来、今日まで明るく
ひたむきに教べんをとっている。
 同校の生物部顧問になってから二十四年。橋田さん自身、高校の生物部出身だ
けに、生徒たちと一緒になってクラブ活動に情熱を注いでいる。「クラブ活動は
教師と生徒が垣根をこえて互いに交流できる場。だから生物部の活動を大切にし
ています」
 橋田さんが自然や生き物に関心を深めたのは学生時代。山や森の中に入ると、
いつも“母親のようなぬくもり”を感じたという。そんな思いの深さを表すよう
に、橋田さんは緑色の服を身に着けることが多く、生徒から“みどりちゃん”の
愛称で親しまれている。
 いつも元気はつらつと生徒たちの輪の中で仕事に励む橋田さん。だが、今日に
至るまでには、つらく苦しい試練のカベを幾重も乗り越えなければならなかった
--。
 橋田さんは教諭となってからしばらくして、縁あって結婚。だがその直後に夫
は重度の精神分裂症にかかり、七年間も入院する。重苦しい日々が続くなか、
長男を出産したが、喜びもつかの間、一年後に病気であっけなくこの世を去った

 「ああ、生きるのがつらい、なぜこんな目にあうのか」。橋田さんは絶望の淵
に沈んだ。悲しみ、不安が毎日、心を黒雲のように覆った。やがて夫とも離別。
後に生まれた長女・幹代さんを必死に育てながら、寂しい日々を過ごしていった

 そんななか、近所の学会員の勧めで座談会に参加した。学会家族の温かさに初
めて触れた橋田さんは、そこに希望の灯を発見。昭和四十四年七月、橋田さんは
入信した。自らの宿命を自らの力で乗り越えようと決意も固く--。
 まず小説「人間革命」を一気に読み、感動。信仰活動に励みながら少しずつ
希望を取り戻していった。そして教育部の会合に参加した時、「教師こそ生徒に
とって最大の教育環境」との池田名誉会長の指針を知り、橋田さんは、教育者と
して新たな使命を自覚したのである。
 子育てに、広布の活動にと多忙な中にあっても、橋田さんはくじけない。“必
ず教育の現場で実証を示していくんだ”との誓いを胸に、懸命に仕事に取り組ん
でいった。
 クラブ活動の中でも、生物部はどちらかというと地味なクラブと見られがち。
しかし橋田さんは、生物の研究を通して、生徒たちに成長してもらいたいと願い
、努力を重ねた。自分の専門外の分野については、近くの久留米大学に通い、
生徒と一緒に特別に講義を受けたこともある。
 昭和四十九年、自然への思いが強い橋田さんは、久留米市内の河川の汚染状況
を知り、生物部を率いて川の水質調査を始めることにした。学校の近くを流れる
高良川や九州一大きな筑後川などの土手に下り、地道に丹念に調査を続けた。
 研究の成果は毎年、筑後地区や県の大会で発表。昭和五十一年に県知事賞を
受賞するなど数々の発表の機会に高い評価を受けた。大学関係者からは「高校生
のレベルをこえ、学界で発表してもいいほど」と称賛されたほどだ。
 更に、山や川辺での植生調査や、合成洗剤が魚類や水質汚染に及ぼす影響につ
いてなど、研究の幅を広げ、熱心に取り組んだ。橋田さんは語る。「二十一世紀
を担う子供たちに汚染の現状と自然環境のもろさを学び取ってもらいたい。とと
もに私たちの活動が、郷土の自然を守るための一助になればとの思いで頑張って
いるんです」と。
 こうした活躍の一方、橋田さんは平成元年に子宮筋腫(きんしゅ)を、翌年に
は胆石を患い、入退院を繰り返したこともあった。だが、“使命ある
限り病気なんかに負けない”と、真剣な唱題に励み、教職に復帰することができ
た。
 平成三年八月、福岡県環境整備局主催の「環境月間の集い」で、同校生物部が
県の環境功労者として表彰された。高校生が表彰を受けるのは初めてで、生物部
のメンバーは「夏の暑い中を調査に出掛けたり、顕微鏡をのぞく作業など大変だ
ったけど、苦労が実ってうれしい」と大喜び。
 また、昨年十一月には「高良川及び下弓削(しもゆげ)川の浄化装置が周辺の
河川生態系に及ぼす影響についての調査研究」が大きな反響を呼び、「
第三十六回日本学生科学賞」を受賞。マスコミにも大きく紹介され、生物部は
新たな伝統を築いたのである。
 信心を根本に、持ち前の努力と信念で生物部を支えてきた橋田さん。今では「
福岡県環境保全指導員」として幅広く自然保護運動の一翼も担い、各種会合に呼
ばれ講演を行うなど活躍。また久留米市の自然を取り上げた二冊の本も出版して
いる。
 娘の幹代さんも立派に育ち、今春、大学を卒業する予定だ。「仏法と出あえた
からこそ今日まで頑張り抜くことができました。今後も愛する町の自然を守るた
め、子供たちの成長のために全力投球してまいります」と語る橋田さんは、我が
人生を誇らかに歩む。
 ###   ###
 河川の水質調査をする橋田さん