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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

田圃の中干し

2022年07月18日 06時23分07秒 | 棚田

棚田地帯を眺めていると、不思議な現象を目撃する事に。水稲と言って、水を主体とした稲作だが、圃場である田圃から水が消えているのだ。7月の中旬前後、何処の田圃でも行われる「中干し」が始まったのだ。師匠の田圃を覗いてみたら、画像のように丁度水を抜き終わった段階と思え、少し湿った土の状態だった。やがてこれが乾燥してひび割れが生じ、彼方此方の田圃が皮靴でも平気で歩けるようになってくる。中干しには明確な目的があって、稲作の中間的な作業でもあるのだ。主な目的は、①土中に酸素を補給し根腐れを防ぐ、②土中から有毒ガスを抜く、③窒素の供給を押さえ過剰な分けつを防ぐ、といった点にあり、稲刈りへの準備でもあるだろう。再度水入れは行うのだが、一端乾燥させて土を硬くしておけばコンバインやバインダーなどが走りやすい。

中干しが始まると稲作も峠を越えたな・・・・・・・といった印象で、秋の稲刈りへの期待も膨らんでくる。但し、雑草の処理は続いており、手法によっては大変な労働ともなってくる。今は止めてしまったが、我々が稲作を行っていた頃は田圃に入り、歩き回りながら手作業で雑草を抜き取っていた。腰に負担が掛かり悲鳴を上げながらの作業でもあったのだ。今は、大半の方が除草剤の使用であろう。除草剤の使用に関しては賛否両論あるかと思うが、作業の過酷さを考えれば一概に否定も出来ない。机の上で空論を語るのは簡単な事なのだ。

田圃は青々として稲も元気が良さそうだ。今年はまだ台風の影響も受けておらず、このままの進捗を期待したいが、こればかりはお天気次第。直撃されると目も当てられないような被害が生じることも。農作業は自然界の支配下の世界、人知の及ばない領域も存在するのだ。「田圃の中干し」に見られるように、稲作はご先祖様達の遺産に頼る部分が多い。伝統を踏まえながらも少しづつ機械化や改良を加えて、稲作の省力化を図りたいもの。それでなくとも従事者の減少と高齢化で、農作業というか食料生産は危機的な状況だ。自前の食い扶持は自分達で確保したいもの、他国に頼るようでは首根っこを押さえられた状態、自立的な生存は不可能となってくる。

 

 

 


早苗並び立つ

2022年07月03日 14時50分59秒 | 棚田

早朝には少しひんやりとした空気が流れている。初夏特有の湿った重苦しい暑さでは無いようだ。この季節、油断すると体調を狂わせやすい。暑さ、ヒンヤリ・・・・の変動に体がついていかないのだ。風邪など召されぬように、ご注意あれ。まだ仲間達が出動しない農園を彷徨っていると、彼方此方に早苗が見受けられる。どうやら先週中位で当地の田植えも終わったようだ。ほぼ連日農園には出向いていたのに、田植えの賑やかさは感じないままだった。従前のように、大勢の方々が田圃に入り込んでの田植え作業・・・・・といった光景は無くなった。田植機が走り回り、見掛ける人影はせいぜい2名程度。田植機を操作するオペレーターと苗を補充するアシスタント位だ。師匠宅の田圃も何時の間にか田植えは終わっていた。どうやらサラリーマンの息子氏が仕事の合間に片付けてしまった模様だ。

聞くところによると、稲作で田圃に入るのは年間10日~20日程度とか。苗のJA購入や機械化による時短或いは省力により、僅かな日数で米作りは終了するそうな。そりゃあ、田植えの賑やかさも感じないままであろう。江戸時代の、全てを手作業で行っていた稲作が懐かしくもあり、思い出深い作業でもある。激しい労働だったとは思うが、収穫への期待と思いが作業に耐えさせたのだろう。収穫の喜びに天地に感謝しきりだったかと思う。今は短時間で収穫可能な故か、作業は楽になったが喜びは減少したようだ。何が良いのか悪いのか。

初夏の農村風景だった、田圃とツバメとのコラボレーションは見られ無い。当地にはまだツバメの飛来は無さそうだ。それとも別の地域へと鞍替えをしてしまったのだろうか。農家風建物が減少し、民家から軒先が無くなってしまった。人と共存して安全を守るツバメにとって、当地は生存不能な地域となってしまったのかも知れない。ツバメの姿は明日の我が身かも、そう思うと・・・・・・寂しい限りだ。健気な早苗たちは、微風に揺らぎながら懸命に生きようとしている。秋の実りへと、与えられた使命を全うしようと必死なのかも。今年の台風は如何か、襲撃の無い事を願っているのだが。


水温む

2022年07月03日 10時46分15秒 | 棚田

暖かくなってきましたね。日々、日中気温は30度近くとなって来たようです。田圃も稲作の準備が整った模様で、大半の耕地で「荒起こし」が終わり、「代掻き」のシーズンとなってきました。代掻きとはご存じかと思いますが、荒起こしの終わった田圃に水を導入し、耕土を攪拌して稲を植え付けられるよう柔軟な土壌とすることです。気を付けるのは地面が水平であること、つまり水を張った場合、水深が一定の均一な深さと成ることです。基本トラクター等で作業を行いますが、微妙なところはトンボといった手道具を使っての肉体労働となります。どろんこ遊びのようで気持ちは良いのですが、ハードな作業となってきます。画像は師匠宅の田圃ですが、代掻きの下準備は整った模様ですね。

事実上の主であるサラリーマンの息子氏が「田植機」の洗車を行ってました。師匠宅も本日から田植えの実施のようです。田植機は乗用式で、車のように苗を積んだ機械に乗って田圃をグルグルと回るだけ、随分と楽になったようです。その分機械への投資額は半端では無いようですが。我々が稲作を行っていた頃は、歩行式の田植機でした。二条植えといって、動力式の田植機を押しながら二条並列で植え込んでいったものです。泥田に足を取られ、植え込んだ苗がジグザクとなるのが通常でした。最近は見掛けぬ機械ですね。

田圃に水が張られると棚田の風景が一変します。山間の耕地に水の張られた田圃が地塘のようで、気温も一気に下がって微風が流れるような感覚に陥ります。最近はツバメの来訪がめっきりと少なくなりましたが、この季節、田圃の水面とツバメとの組み合わせは定番でした。ツバメも巣を作れるような民家が減少して、訪問先を変更したのかも知れませんね。いわばツバメにも嫌われてしまった環境変化のニッポン・・・・・かも。ともあれ、6月にはいって当地も田植えのシーズン、今週末あたりの土日に集中するのでしょう。賑やかな週末となりそうです。上述のように田植機による機械植えが中心となるため、従前のような菅笠姿の娘さんが横一列に並んで・・・・・といった艶やかな姿は無くなりましたが。